第3話
私が今のご主人様であるディートリッヒ=アッシュ様の侍女となることを承諾したことに、してしまったことに気づいたのは二週間ほど前のことである。
あの日は、そろそろお姉さまのウェディングドレスをどの針子さんに頼むか決めようと、城下町の服屋さんのウィンドウを見て回っていた。
すでにお姉様とジャックには私がウェディングドレスを用意することの許可は取ってあり、要望もバッチリ聞いてある。要望と言っても色は白がいいとか、装飾はあまり派手でないのがいいとか、ほんの少しだけだけど……。
今までも何度か服屋巡りをしてきて、何店かまでは絞ってあった。その甲斐もあり、その日でやっと3店まで絞れたのだ。3店くらいだったら後は針子さんと直接会って話してから決めればいい。
その時の私は一年に一度あるかないかというぐらいのハイテンションで城の自室へと戻っていった。すると部屋の目の前に今日は出勤日であるはずの同僚で数少ない友人でもあるシンディが立っていた。
「あ、アイヴィー! やっと帰ってきた」
「どうしたの、シンディ?」
「シンドラー王子がアイヴィーをお呼びなのよ。なんでも次の雇い先の件で話があるんですって」
「ああ、なるほど。教えてくれてありがとう」
「それはいいんだけど、アイヴィー……あなた、本当に他のところ行っちゃうのね」
「ええ」
「私、あなたが居なくなる時はお嫁に行くときだって思ってたのよ?」
「それは無理よ。だって私の周りに男性の影すらなかったのよ? シンディもよく知ってるでしょ?」
「それはアイヴィーが影はいっぱいチラついていたのに気づかなかっただけ」
まさかこんな時に冗談を言われるなんて……。もっと女として自信を持てっていう、シンディなりのエールなのかしらね。……と、そんなことよりもさすがにこれ以上シンドラー王子を待たせるわけにはいかない。
「あはは、冗談でしょ」
軽く笑って受け流してから、シンディとのお話を切り上げる。
冗談じゃないのに……なんてシンディの呟きに励まされながら、次の職場でいい出会いがあったらいいのになんて考えていた。
――新しい雇い先の主人の顔を見るまでは。
「ああ、来た来た。休みのところ悪いんだが、ディートリッヒが雇う前にどうしてもアイヴィーと話しておきたいって言うんだ。今は時間大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。でもなぜディートリッヒ様が?」
「え、なぜってそりゃあ今回の話は元々ディートリッヒが持ってきたものだからな」
もしかして次の雇い先ってディートリッヒ様の知り合いの家とか?
シンドラー王子のお目付け役であったディートリッヒ様は今では王子の護衛役である。その関係で王子が勧めてくれたなんてことは十分あり得る話である。だとしたら心配して話をしたいというのも頷ける話である。
なにせ数年前から顔を合わせて業務連絡をするくらいの仲でしかないのだ。いや、嫌われているなんてこともある。数カ月に一度、メイド一同に差し入れをしてくれることがあるのだが、決まって鋭い視線で見られるのだ。嫌々、というのは初恋に浮かれている私だって分かってしまう。……それでも私は彼への恋愛感情を抱き続けている。初恋に一目惚れと掛け合わせた結果、中々こじらせているということは自覚している。
それでもディートリッヒ様に顔と名前を覚えてもらっているのは、ただ単純に私がシンドラー王子に気に入られていると勘違いされているからだと弁えているつもりだ。
その他に何か理由があるとすればそれは私の思考が王子と少しリンクするところがあるところだろうか。
一度ディートリッヒ様に「アイヴィーに聞いた場所に向かえば大抵そこに王子がいらっしゃる」と誉められたことがある。その時のふっと笑った優しげな笑みに再び心を掴まれた。通常時は無表情、向けられる視線は鋭いときてのこれである。このギャップで落ちる女性は少なくはないはずだ。
その時は役に立てて嬉しいと思っていたのだが、今になって思うと精神年齢が低いことを笑われただけではなかろうかと心配になってくる。
なにせシンドラー王子は王子とはいえ、私よりも5つほど年が下なのだから。
だがディートリッヒ様から見れば、花が綺麗だから庭にいらっしゃるのでは? と答える私も、花の香りに連れられてダンスレッスンを抜け出した王子も同じく子どもなのだろう。
改めて振り返ってみると地位や身分だけでなく、他にもディートリッヒ様に届かないところがたくさんある。足りないものだらけだ。
元より叶うはずのない恋だ。それに初恋は叶わないと言う。
叶った人を身近で4人ほど見てきたわけだが、どれも色々と周りがお節介を焼いた甲斐あってのものである。
お姉様とジャックは見ているこっちがむず痒くなってきて、それはもう人員をこれでもかと投下してくっつけたものである。婚約発表があった時には涙する者も多かった。二人ともそれだけいろんな人に好かれているのだ。さすがお姉様と(未来の)お義兄様である。
そして後の2人、シンドラー王子と婚約者のマリー様は元々婚約者という関係にありながらも、いや政略的なものであったからこそ二人揃って両片思いをこじらせていた。
シンドラー王子の気持ちは打ち明けられるまで全く気づかなかった。だがマリー様の方は初めてお会いした時にすぐ気づくことができた。
なにせシンドラー王子の隣に立っていただけの私を親の敵の如く、それはもう可愛らしいお顔を歪めてまでにらんできたのだ。あれで気づかなかったら、私はよほど鈍感な人間になってしまう。
気づいてしまったからにはなにかしらのアシストを! と咄嗟に思った私は、マリー様がお城にやってくる度にシンドラー王子の重い腰を動かすことにした。それはメイドというポジションを逸脱しているのだが、気分はお姉さんだったのだ。世話を焼いてやらねばという使命感に追われていた。楽しさも半分ほど詰まっていたけれど。
そんな私を誰も止めることはなかった。
なにせそこまでしてもシンドラー王子はマリー様の気持ちに気づかない、にぶちんだったからだ。
私だけでなく、他の使用人達の協力も増えてきた頃、私はシンドラー王子に「話がある」と呼び出された。
さすがにやりすぎたか? と冷や汗を伝わせながら王子の部屋に入ると、そこには両手を組んで深刻な表情を浮かべるシンドラー王子がいた。
そこまで深刻になるほどにマリー様がお嫌いなのか、とビクビクとしながらシンドラー王子の言葉を待っていると、彼の口から飛び出したのは予想外の言葉だった。
「今まで政略的な婚約者だからと遠慮していたのだが、最近のマリーは私に歩み寄ってくれている。だから俺はマリーに思いを打ち明けたい。アイヴィー、協力してくれないか!」
まさか今さら援護要請とは……。
それにあそこまで好意を寄せられておいて、『歩み寄り』なんて言ってるの?
相手が王子じゃなかったらこのにぶちんが! と一喝してやりたいほどである。さすがにそんなことはしないけど。
代わりにお説教一歩手前のアドバイスを投げつけておいた。
「忙しいのはわかりますけど、ちゃんと愛情表現しなきゃダメですからね」
そう伝えるとシンドラー王子は真面目な顔でコクンと頷いた。そして一気に距離を詰めていったという訳だ。
だがまさか自分からお茶会にすら誘ったことがなかったとは……。遠慮しているにもほどがある。
まぁ上手くいったからいいけど。
思えばいい人がいないのか? なんて言い出したのはその後くらいからだったような気がする。
シンドラー王子は義理堅い人だから、自分がしてもらったからには返さねば! なんて思っているのだろう。
――だとしたら誤魔化したりしないで、ちゃんと伝えて置けばよかったかもしれない。
もちろん名前は伏せて。
「アイヴィー、このたびは話を受けてくれて感謝する。シンドラー王子から聞いているとは思うが、私が家をでる前からずっとアッシュ家で働いてくれていたメイドが腰を痛めて実家に帰ってしまったんだ。それで代わりのメイドを探していたところ、シンドラー王子から君を紹介されたというわけだ。真面目な君なら安心して家を任せることができる。正式にうちのメイドになるのは2週間後だ。週末の夜、私が帰宅する際に連れて行くからそれまでに荷物をまとめておいてくれ」
「はい。かしこまりました」――と返事をして、この時ようやく私はディートリッヒ様の家のメイドになるのだという事実に気づいたのだった。
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