第8話 side和弘
ただでさえ仕事で自宅に戻ることが少なかった兄夫婦が本格的に帰らなくなったのは、大学生の和弘が就活をしているころだった。
遺跡の発掘で著名な兄夫婦は、海外のダンジョン研究室に呼ばれて渡航してしまったのである。
真央が残されたのは、あちらに連れていっても二人は忙しいままだからだ。
それならここに置いて、和弘に面倒を見てもらうのが一番だと判断されたのだった。
和弘の両親はもう居ない。
そのため年の離れた兄夫婦の家に引き取られていた。
二人の代わりに姪っ子の真央ちゃんの面倒を見ていたのは、だいたい彼だった。
「シュート! シュート!」
と言いながら水鉄砲を和弘に向かって撃ってくる真央。
マメな彼は、就活の合間でもちゃんと時間を作って真央と遊ぶ。
「うわった! 降参、降参だ真央ちゃん! 俺の負け!」
「ぼんやりしてるからですよお兄ちゃん、せんじょーで物思いに耽るのは無能な後方指揮官だけなのです!」
「むむぅ、言葉もない」
和弘は苦笑しながら思い出す。
先日一緒に見たアニメのセリフだったっけ。すぐ覚えちゃうな、真央ちゃんは。すごく頭がいい。
「じゃあ勝利者の真央ちゃん、お父さんたちにひと言」
軒下に置いといたハンディカムを手にすると、真央に向ける和弘。真央はニッコリ笑い。
「お父さん、お母さん、見てますか? 真央ちゃんは今日も元気です」
「それ、別に勝利者の言葉じゃなくない?」
「今日のお兄ちゃんは弱すぎて、勝利した気になれません!」
和弘は困ったように頭を掻いた。
そういえば急にぼんやり意識が飛んでた気がする。
「おつかれですか? お兄ちゃん」
「はは、そうかも」
なにせ就活も忙しい。
この時期に決まってないのは、本来とてもヤバいことなのだ。
そう考えると、真央ちゃんとこうしている時間が少し惜しい。そんなことを思ってしまう自分を見い出してしまい、自己嫌悪を覚えそうになる。
「じゃあ、今日はもうやめて、オヤツにでもしましょう」
「え、あ? うん、シュークリームを買っておいたよ」
「いいですね! シュークリームは大好きです!」
自ら水鉄砲を置いた真央ちゃんに、彼女をないがしろにするような気持ちを悟られたのではないかと、ドキっとしてしまう。若干の後ろめたさを感じながら、和弘は真央と一緒に家の中に入っていった。
居間で真央がシュークリームを並べている間に、和弘は紅茶を入れた。真央にはミルクと砂糖をたっぷりだ。
「いただきまーす」
「はい、いただきます」
食べてるシーンも、ハンディカムで映像に残す。
「あまーい!」
甘い物大好き真央ちゃんはシュークリームをパクパク食べる。
昔から真央は大食いで、二人分くらいの量を平気で食べつくしてしまうのだ。
シュークリームがおやつのときは大抵真央が先に食べ終わってしまうので、
「もうちょっと食べる?」
「はい!」
「じゃあ、これ」
と残り一個のシュークリームを半分こにして二人で食べるのが常だった。
「おいしーです!」
「美味しいねぇ」
お茶まで飲み干して、ひと心地。
和弘はカメラを回したまま、真央に訊ねた。
「いつもシュークリームばかりだけど、たまには他のオヤツも買ってこようか?」
「いえ! シュークリームで構いません!」
「真央ちゃん大好きだなぁシュークリーム。なんでそんな好きなの?」
真央は、ほんのちょっとだけ俯いて、でも笑顔のまま答える。
「……お母さんと一緒に作ったことがあるんです」
「お母さんと?」
あの忙しい真央ちゃんのお母さんと?
和弘は想像した。ああそれは、お母さんが頑張って時間を捻出したのだろう。
真央ちゃんが喜んでくれるように、と一緒に楽しい時間を過ごす為に。
「だから真央ちゃんはシュークリームでいいんです。大歓迎です」
「そっかぁ」
彼女にとって、特別な食べ物なのだ。
そうだよな、まだ子供なんだもの。両親が家にいなくて寂しくないわけがない。
和弘は真央の頭に、ポンと手を置いた。
「じゃあ、今度俺とも作ってみようか、シュークリーム」
「ほんとですか!?」
「初体験だから、真央ちゃんに教わることになるかもしれないけど」
「いいですとも! 真央ちゃんがお兄ちゃんに指導します!」
「あはは、楽しみだ」
二人で指切り。
その様子を撮影した。海外の兄夫婦に送ってあげたら喜びそうだ。
そんなことを考えながらカメラを弄っていると。
「真央ちゃんはシュークリームが大好きですけど、お兄ちゃんはカメラが大好きそうですねぇ」
「うん?」
「でも不思議です。カメラは好きそうなのに、あまり楽しそうに撮ってない気がします」
「――」
和弘はビックリした。
真央ちゃんは良く見ている。
「そうかな。そんなことないと思うんだけど」
「かずひろお兄ちゃんが笑顔でカメラ覗いてるの、見たことありません。どうしてですか?」
実は、明確に理由がある。
だけどその話を、まだ小さな彼女に何故かと問われると少し困る。
別に聞かせて面白い話ではないからだ。
お茶を濁そうか、とも思った和弘なのだが、真央がしっかり視線を向けてきているのを見て、少し姿勢を正した。真面目に聞かれたことには、真摯に答えるべきだろう。
「お兄ちゃんね、昔、頭を打って記憶を失ってた時期があるんだ」
「きおく?」
「そう、記憶。自分のこと、家のこと、お父さんやお母さんのこと、真央ちゃんのこと。自分を形作っている大切なモノのことだね。事故でそれを、全部忘れちゃったんだよ」
真央ちゃんは悲しそうな顔をした。
「真央ちゃんのことを忘れちゃったんですか!?」
「あはは、もう思い出してるからここにいるんだけどね。でもそう、全部忘れちゃったことがあるんだ」
大事だったはずのことを全て忘れる、というのは、とても所在ない気持ちになるものだった。
宙ぶらりんに、自分が浮いているとでもいうのだろうか。
寄る辺なき暗闇の海原に、小舟で浮いているような心細さ。
落ちつかない。
自分が何者かがわからない。
わからないは、怖い。
いま思い出しても身が震える。あんな思いは、もう御免なのだ。
和弘は苦笑いをした。
「だからね、俺がカメラで録画しちゃうのは怖いからなんだ。もしまた大切なことを忘れたらどうしよう、ってね。つい記録してしまう。忘れないように。忘れたとしても、思い出せるように。ここに、戻ってこれるように」
早口になってしまうことを自覚しながら、大きく深呼吸をした。
きっといま自分は、難しいことを真央ちゃんに言ってしまっている。もうちょっと伝わりやすく言えたらな、と思うのだけれども、これ以上和弘はうまく言えない。
だけど。
「怖がらなくてもいいですよ、かずひろおにーちゃん」
真央はテーブルの向こうから身を乗り出して、彼の頭をポンポン、と撫でたのだった。
「真央ちゃんはお兄ちゃんに感謝しています。いつも遊んでくれて、いつも構ってくれて。いつも真央ちゃんに付き合ってくれるお兄ちゃんが大好きです。お兄ちゃんが忙しいことをわかってても、つい甘えてしまうくらい大好きです」
あ、と思った。
やっぱり真央ちゃんには気づかれてたのだろう。さっき一瞬、彼女を疎ましく思ってしまったことなど、お見通しに違いない。
「だからお兄ちゃんがなにを忘れても、真央ちゃんは甘えにいきます。真央ちゃんのことを思い出させます。手を引いて、一緒に家へと連れて帰ってきます。シュークリームを一緒に食べて、今度は真央ちゃんが最後の一個を半分こにして、お兄ちゃんに渡します。お兄ちゃんが忘れたことを思い出すまで、それを繰り返します」
こっちを見つめる真央の目は澄んでいて、和弘は吸い込まれてしまうのではないかと思った。言葉が出ない。そんな彼に、やっぱり真央ちゃんは微笑みを向けるのだ。
「だから怖がらないでいいんです。真央ちゃんはお兄ちゃんが大好きなんですから、忘れさせてなんてあげません!」
和弘の口から笑いが漏れた。
彼は自嘲気味に笑う、こんな子を一瞬でも疎ましく思った自分を殴ってやりたいと。
こみ上げてくる幸せな気持ちがこそばゆくて、ムズムズした。
ああ、自分はこんなに好かれてて、こんなに頼られているのか。ついつい浮足立ってしまう心を抑えながら、和弘はわざとらしく咳払いをしてみせた。
「頼りにさせて貰おうかな」
「頼りにしてください!」
◇◆◇◆
耳の中に鳴っていた蝉の声が止んで、和弘は「あれ?」と周囲を見渡した。
ここはどこだ? ――ああそうだ。俺はジュクダンで、真央ちゃんや伏見さんと一緒に居て。
……誰かに問われた気がしたんだ。なんで真央ちゃんを守ろうとしているのか、と。
「なにしてるんだ斎堂! 俺の声が聞こえないのか!?」
聞こえてる。これは課長の声。
そうだ、俺は『なにをしていた』んだ!
「ごめん真央ちゃん。また忘れるところだった」
「お兄ちゃん?」
キョトンとした真央に、和弘はにっこり笑う。
「俺も、真央ちゃんが大好きだよ!」
言って彼は真央への契約書を破り捨てた。
なんでって? それはきっと、共に過ごした尊い時間を守るため。つまり。
――俺の為だ。
”あ、戻った”
”戻ったね”
”これはお兄さん”
”まおちゃんのお兄さん、おかえりなさい”
コメント欄は大いに沸いたのだった。
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その後、和弘が真央ちゃんと最初に作ったシュークリームは、見た目こそ悪いけど味は悪くなかったそうです。
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