タバコの煙と夕闇の空
「物資の輸送隊が東の集落から出発したはずなんだが、まだ到着していないんだ」
緊急避難センターの代表の顔は曇っていた。
このセンターは地方都市の近郊にあり、感染拡大の初期段階においては避難者を受け入れるという本来の目的を果たしていた。
だがそのうち収容人数がオーバーし、内部から転化クラスターを発生させてからは、それまでのセンターの職員に代わって転化クラスターを鎮圧したグループが運営を行なっていた。顔を曇らせている代表は、そのグループのリーダーである。
「到着予定時刻を26時間ほど過ぎている。無線にも応答しない」
彼は方針を変え、今はもう当初のセンターの目的である避難者の受け入れは行なっていない。
理由としては、センターでは食糧が特に乏しいからだ。最近では食糧難を少しでも軽減させるために、東の集落と『貿易』を行なっていた。
センターが東の集落に渡すのは衣服や工具、技術書など。代わりに食糧を受け取るという貿易の約束が交わされており、今回も農耕に成功している東の集落から食糧を積んだ輸送隊が出発したはずだった。
「東の山あいで武装した一団を見たって話を聞いたぜ」
カゲトラは、センター代表にもう使えないと言われた日本円の札束を、とんとんとデスクを使いながらきれいに揃えて、カバンにしまい込みながら言った。もうこの紙の束は焚き火にくべて、火口代わりにするくらいしか価値はない。せっかく動く死体どもの財布から、かき集めたんだがと、カゲトラは心の中で毒づいていた。
この緊急避難センターを偶然発見し、カゲトラは物資の交換や情報を期待して訪れていた。特に物資の交換は、自分にとってのガラクタが相手にとっては有用となる場合がある。世界が崩壊したせいで、各物資の価値は著しく変化した。食料や種を基本として、工具、キャンプ用品、近接格闘用の武器や防具が特に高い。反面、骨董品や美術品などは価値が下がった。だが交換用にと思い持ってきた手持ちの物資は、ほとんどがゴミ扱いだった。
「調べてくれないか。報酬は出そう」
「報酬の内容は?」
センター代表の口から出た魅力的な単語に、カゲトラはすぐに喰いついた。ほとんどの自分の物資が交換用として使えなかったし、もしかしたら依頼も簡単に終わる内容かもしれない。
「輸送物資を発見できたら、発見できた分の20パー出す。向こうの集落の食糧でも、こっちのセンターの物資でも、好きな方を選んでくれ」
喰いついて来たカゲトラを見据えながら代表は条件を提示した。
「ただし輸送ルートの安全確保も込みだ。これが輸送物資のリスト」
センター代表がチラシの裏にびっしりと書かれたリストを見せる。
「ずいぶんたくさんあるな」
カゲトラはチラシを受け取り、目を細めてリストに目を凝らした。
「4トン車に詰め込めるだけ詰め込んだんだ」
それが全部パアになってしまったら困るんだと、曇った顔をさらに暗くして代表は続けた。
カゲトラはリストを眺めながら思案してみた。
物資を回収するだけなら、状況にも
まあ、こういう規模の武装集団がいるということを調べてみるだけなら、自分の得にもなるかとカゲトラは捉えることにした。
「リストは書き写してくれよ。電気は潤沢にあるわけじゃないからな」
カゲトラはそれを聞いて、あれはどうなんだという目つきで、センター代表の後ろにあるコピー機を指差したが、彼は首を横に振るだけだった。白く大きいその機械は、今はただの重いハリボテらしい。
カゲトラは小さくうなずいて、ボールペンを取り出した。
その後カゲトラはセンター代表に輸送ルートを確認し、様々な情報交換をした後、とりあえず今日は帰ることにした。
「頼むぞ。電子タバコだぞ。西海岸製のやつだ」
「わかってる」
カゲトラは代表の顔を見ながら目を細めて言った。
「あればな」
センターの外はもう夕方になっていた。カゲトラは自分のバンに乗り込んで、オイルライターでタバコに火をつけた。運転席の窓を開けて外気を入れる。しばし口の中で香りを味わい上を向き、大きくふうっと息を吐きだす。それはカゲトラの、その日一日の溜息だった。こんな世界では一日の苦労が徒労に終わることも多く、無駄骨、空振りは日常茶飯だった。そんな日は夕日に向かって、煙の溜息をつく。
吹かした溜息はぴったり形よく収まる寝床を探すように車内をゆっくりとさまよい、その後、いやいや、やはり自由の身でいたいといった風に、夕闇が迫りつつある外気に踊るように吸い込まれてゆく。
カゲトラは、不規則に揺らめきながら消えていく煙を見つめながら一息ごとに力を抜きリラックスし、最近の日中の出来事を思い出していた。
最近は毎日が徒労に終わることが多かった。この前などは一日で6棟も屋上に上がったのに、一つもソーラーパネルを見つけることが出来なかったのだ。ソーラーパネルがあれば冷凍庫を安定して稼働させられるのだが、なかなか見つけることができないでいたし、極めつけは今日見つけたこの避難センターで、ことごとく物資の交換がうまく行かなかったことだ。
上に泳がせた視線の先には運転席のサンバイザーがあり、そこにグレーの合皮製のフォトフレームがバンドでくくられていた。強い西日とタバコの煙が目に染みて写真はよく見えなかったが、カゲトラは目をしかめてその写真を見つめていた。写真の中ではカゲトラに馬乗りになった少女が顔いっぱいの笑顔を湛えている。
カゲトラの娘だった。
強い西日はいつも、カゲトラの孤独をじっくりと焼き、孤独な男の陰をより黒く長く濃く伸ばして、見ろお前は一人だと、責めるように無言で地面に焼きつけ、眩しく押しつけた。そうやって焼きつけられると、カゲトラは胃や肺の辺りや体の内臓がすべて黒く長く伸ばされる感覚を覚えた。いつもそうだった。毎回この時刻はそうだった。だがそれは事実であったし、カゲトラは何も西日に言い返せなかった。溜息の煙を夕方の空に吹かしてうやむやにする。西日に言いたいことも。娘の後悔のことも。
さあ、日が暮れないうちに帰ろう。車の走行音はやつらをおびき寄せる。
カゲトラは車のエンジンスタートボタンを押した。
自分の家に向かうにあたり、帰りは一度だけ使ったことのある、森の中の近道をまた使ってみることにした。
未舗装の道路だが、このルートから行けば早く着く。一つ気をつけなければならないのは、未舗装路に木の杭が何本か落ちている箇所があることだ。いくら急いでいると言ってもここだけはスピードを落とす必要がある。
「確かこの辺だったな……」
慎重にスピードを落としながら進む。低速になったことで、バンが、より丁寧に地面の
木の杭が道に無造作に何本も落ちている。この前見たときと若干重なり方が違うように見えた。
ゆっくりと進みながらふと森の奥を見た時、開けた場所が目に入った。鉄のフェンスがある。鉄のフェンスの向こうにはおびただしい数の折り重なった死体の山。死体の山の横には何本も木の杭が地面に刺さっている。
「処刑場…みたいなもんか?」
死体の山の周辺には、死してなお動き続けるお馴染みの面々がいた。かなりの数だ。こちらには気づいていないようだがあの数は厄介だ。ましてや死体の山の中にも動き出すのが眠っているかもしれない。
「このルートはなるべくなら使わないほうがいいかもな……」
木の杭の重なっている場所を抜け、カゲトラは車を加速させた。
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