ビルとひび割れた空

 去って行った男の拳銃の残弾数を確認したが、結局マガジンにも薬室チャンバーにも一発も弾丸は入っていなかった。

 カゲトラはその拳銃に合う口径の弾丸を持っていたが、倒れたロッカーの中にその拳銃を入れておくことにした。

 それが終わると、息絶えた男に近寄り、その男の持っていた拳銃や予備の残弾数を確認していた。


 9mmの弾を指に取った時、不意に緊張が走った。


 階下からまた割れたガラスを踏む音が聞こえてきたのだ。今度は複数だった。足音が機敏だからゾンビではない。銃声を聞いて漁夫の利を得ようと近寄ってきた物資探索者スカベンジャーかもしれない。


 カゲトラのいる位置からは、一階に向かう階段も非常階段も遠かった。つまりまた袋小路に追い詰められたということだ。今回の状況は危機的だった。

 素早く倒れたロッカーの近くにまた身を寄せたが、まだワイヤーは回収できていなかった。もっともワイヤーを使った不意討ちで勝てる人数ではなさそうだった。あとはもう今度こそ、窓から飛び出すしかない。


 ドタドタとそのまま階段を上がってくる音がして、二階に複数の足音が広がった。二階のクリアリングをしているようだ。


「出てこい!」


 誰かが叫んだ。それに呼応してカゲトラも声をかけた。


「争うつもりはない!俺はただ物資の探索に来ただけだ!ここで襲われて、今撃退したところなんだ」


 別の位置からしわがれた声が聞こえる。


「それなら出てきてくれ。俺たちも探索に来ただけだ。無駄に争いたくはない」


 カゲトラは少し考え、それからさっきと同じようにアサルトライフルを構え、ゆっくりとロッカーの陰から出ていった。


 それを見て男たちはカゲトラに照準を合わせた。カゲトラと男たちはしばらくにらみ合っていたが、一番奥のしわがれた声の男がショットガンを下ろして、言った。


「お前ら、銃を下ろせ」


 男たちはそれぞれ、銃を下ろした。


「あんたが殺ったのか」


 ショットガンの男が聞いた。彼がリーダーのようだった。彼を入れて全部で六人の男たちだった。


「そうだ。ここの住人で、罠を張っていたようだ。出ていくと伝えたが聞かなかった」


 去っていった男のことは黙っていた。何となく言っても意味がないような気がした。男たちはカゲトラを見据え、値踏みするような目で見た。


「あんたが殺った奴が持ってた物と、この二階の物は持って行っていい。だがこのフロアより上階の、このビルのものはすべて俺たちがいただく」


 リーダーらしき男はしわがれた声で言った。


「わかった。別に構わない」


 カゲトラは実のところ、別にどうでも良かった。あの家族の写真の男を助けた時点で、自分も帰るつもりだった。

 カゲトラが答えると、男たちは三階の階段の方へ向かい始めた。


 二組のグループに遭遇し銃を向け合うまで行って、怪我もなくこのまま銃を持ち帰ることが出来るのなら御の字だった。本当はこのままこの男たちに漁らせるままにするのは、あの家族の写真の男に気の毒ではあったが、相手が複数なのもあり、自分ではどうすることもできなかった。






 カゲトラは懐からタバコを取り出しオイルライターで火を付けた。空を見ながら考える。あの男はどこに行くんだろう。弾丸の入っていない拳銃でも、持っていれば対人なら威嚇にも使えたのに、彼は家族の写真の入った財布の方だけを持っていった。

 晴れた空に浮かぶ雲を見ながら、セブンストライクの灰を落とす。


 元は良い父親だったのかも知れない。そんな考えが頭をよぎった。


 確かに自分は殺されそうになった。だが生きるためにやっていたことかもしれない。納得行かないままやっていたことかもしれない。

 そこまで思考が至ってから、自分の甘い考えに短くため息を吐いた。結果論だ。切り抜けられたからこんなことを考えている。自分は身ぐるみ剥がされるところだったのだ。


 カゲトラは思案を巡らせながら、窓から別棟のもう一つのビルを眺めていた。自分がいるビルもそうだったが、そのビルは味気なくグレーに塗られており、所々ひび割れていた。ちょうどそのひび割れが今日の晴れた空の雲の切れ目に続いており、空にもひびが入っていた。カゲトラはビルと空のひびを見つめていたが、そのひびは雲のゆったりとした動きで、少しずつ空の青に溶けていった。


 タバコの火を消そうとした時、カゲトラの元にさっきの男たちが降りてきた。それぞれバッグを大きく膨らませ、手にも袋を持っている男もいる。彼らはカゲトラを一瞥し通り過ぎた。一階に降りていくようだった。


 リーダーの男がカゲトラのところへ来て、窓の外を見て言った。


「結構たんまりとあったぞ」


 リーダーの男は興奮しているようだった。


「こいつは結構貯め込んでいたな」

 死体を見やり、また窓の外を見る。


「もうひとつビルがあるみたいだな」

「ああ」


 カゲトラはセブンストライクの最後の煙を吐いて、もう一つのグレーのビルをじっと見ながら気のない返事をした。


「これから行こうと思う」


 リーダーの男はそう言うと、続けた。


「一緒に来るか?」

「やめておく」


 即答だった。リーダーの男は目を丸くしてカゲトラを見た。その表情には弁明のような説得のような、そういうものがごちゃ混ぜになった感情が含まれていた。


「確かにこっちのビルの三階より上の物資は俺たちがもらった。あんたは二階までの取り分だったから少なかったかもしれん。だが、あっちのビルは別だ。俺たち七人で探索するんだから、公平に七等分だ。文句ないだろ」


 リーダーの男はカゲトラを仲間に引き入れたいのか、思いのほか、まくし立てていた。


「それにあっちのビルは見るからにまだ手つかずだ。ほら、キレイなもんだろ。こっちにこれだけ物資があったんだ。あっちのビルにはもっとあるはずだ。見ろ。窓から中が見えるだろう。あんなに整然と」


「整然としてるから、行かないんだ」


 カゲトラはリーダーの男の言葉を、ビルから視線を外さずに、ゆっくりと遮った。そしてセブンストライクの吸い殻を足元に落とし、靴の裏でこすって、火を消した。


「整然としすぎてる。なにか嫌な感じがする」


 カゲトラはリーダーの男に向き直って、改めて言った。


「だから俺は行かないんだ」


 カゲトラは続けた。


「それにあんたらこのビルでもう充分物資は手に入れたろ?今日はそれで帰らないのか」


 リーダーの男はしばらく呆けたようにカゲトラを見ていたが、やがて自分を取り戻したように話し始めた。


「そうか。まあいい。俺たちは別の所に車もあるし、物資は浅れる時に漁れるだけ漁る。漁れる時にな」


 リーダーの男はそう念を押して、歩き出した。


 間違ってはいなかった。漁れる時に漁ってしまわなければ、他の生存者に漁られてしまうかも知れないのが当たり前の世界だった。だが、カゲトラは慎重に生きていくと決めたのだ。自分が危ないと思えばそれ以上は踏み込まず引き返す。こんな世界ではそうやって生きていくことが自分の身を守ることになる。カゲトラはそう、決めたのだ。


 カゲトラと男たちはそこで別れを告げ、男たちは別棟のビルへ向かい、カゲトラは手に入れた分の物資を持って帰った。


 そのビルの周辺で、大量の物資と共に男たちの死体が見つかったと噂で聞いたのは、それからしばらくしてからのことだった。

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