第10話

千馬ちばくん、外回りに行きましょう」

「ひゃい…」


こうして外出の準備を整えホワイトボードの行動予定に書込みオフィスを出ることにした。

受付カウンターを通る際にお嬢にひと声かける。


「外でてきまーす」

「……ますゅ」

「いってらっしゃいませ」


私はお嬢の顔をチラ見しただけだったが、

ヘコヘコ頭を下げる千馬くんにニッコリと挨拶したようだ。


いつもはシカトするくせに!


「あの子に気を使うことないよ。

 ろくに仕事もしないし…」

「そうなんですゅか?」


私達はエレベーターに乗り込み、誰もいないので内緒話として口を滑らせた。


「仕事中にネットショッピングしてるし、

 電話は担当にちゃんと繋がないわ、

 お客様は勝手に帰すし。

 それから上役にしか挨拶しないの。

 うちらには愛想もないんだよ。

 なんでも社長狙いらしくて、

 露骨に用事を奪って社長室に出入りしてる

 らしいよ」

「ぶっふぉっ… 大変ら…」


千馬くんは余計におどおどし始める。

緊張しやすい性格なのだろうと思ったのだけれど、どうやらそれだけではなくて……

ビルの案内をしていて方向転換するとき、


「うわぁっ、おっと」

「すゅみませんっ」


私と逆方向に一歩を踏み出す千馬くん。

ボヨン、とおなかに跳ね返されて私はよろけてしまった。


エスカレーターを降りたときも、

出口を通った次の一歩も。

なぜかぶつかりそうになる、磁石みたいに。


方向感覚がおかしいのではないかと思う。

しかも……


一緒に歩いていて急にカクンとなる。

駅まで歩く間に膝カックンが度々起き、

駅中の平らな地面の何でもない所で蹴躓く。


そして地下鉄のホームに着いた頃には突然転んで一回転。

ビタン、ゴロン。


「!!?? だ、大丈夫!?」

「い"っ!! すゅみませんっ」


千馬くんはとても足腰が弱いらしい。

外に連れ出した事を後悔し始めたけれど、電車に乗れば午前中のこの時間帯なら座れるだろうし、下車駅まで会話しながらコミュニケーションを深めてと計画したものの……


「ち、千馬くん?汗かな?冷や汗かな?」

「(ガクガクブルブル)……」


電車に乗り込み空いている席に並んで座ってみたが、すぐに千馬くんの異変に気付いた。


緊張とか疲労というレベルではない震えよう。

ぷっくりした顔もさっきまで紅潮していたのに真っ青だ。


咄嗟に私は千馬くんの腕を掴み立ち上がった。


「っ!?」

「降りるよ!」


予定変更、電車を一駅で降りる。


掴んだ腕から歩く度に弾力がボヨンボヨンと伝わってくる感覚。

千馬くんにとっては歩くことさえ過酷だったのかもしれない。


苦痛な空間に体が異常を発したのだろう。

とにかく外に出ようと腕を引いたまま一番近い出入口を上がった。


「ゼーハー、ゼーハー」

「あそこの木陰に座って。

 何かドリンク買ってくるから」


駅前のロータリーにあった植込みのベンチに、息絶えだえの千馬くんを座らせて私は自販機に急いだ。


水とジュースを買って両方差し出すと甘いのをハァハァしながら受け取り、ペットボトルをボコボコいわせてイッキ飲みしていて驚いた。


チラッと見えた腕時計は高級品で、

装飾に見合っていない彼の振る舞いを……

残念に感じていると悟られてしまったのだろうか。


千馬くんは申し訳なさそうに大きな体を縮こめた。


「すゅみません……迷惑ばかりおかけして、

 何も僕できなくて……」

「今は休憩しましょう……」


打開策も特になくただ何の変哲もなしに発した私の言葉だったが、彼には棘が刺さったようで……


そっと痛みを我慢して引っこ抜くみたいに、

ぽつりぽつりと身の上話をしてくれた。

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