03話:猫から昇ったお月さま

『まさか此処まで未開の地に飛ばされたとは……』


「そうなんです、この場所に、気付いたら一瞬で跳びまして」

「『ドミナの石板』の文章を読んだ効果なのかな……?」

「近くに居たバベットさんも巻き込まれて、着地に失敗する形でお亡くなりに」


「……悔しいが、割と納得もいく」

「私は受け身すら取れないレベルで運動に向いてないからな」

「まあ、ともかく、さっさと森から脱出するぞ」


ある日、森の中、迷走もとい遭難。

慎重に先を進むバベットでしたが、歩けども同じような黒緑の光景が広がります。

しかし柊夜という「子供の皮を被った弩級災害」を前に「憂」の顔色は出せませんでした。

此処で彼女が「道に迷った」と言えば、少年は『チート能力』に頼ることでしょう。

それでどんな風にエキセントリックな解決策を閃くのか……想像するだけで恐ろしくなります。


(今更ながら、こんな危険分子にイリス王国は問題解決させてたのか)


せめて「青」の「洗脳の魔法」が効けば、意のままに操れました。

しかしどう考えても『チート能力』で防がれます……実際、先程そうなってましたね。


(そもそもの話として)

(現在の私は魔力が枯渇している……)


不器用な手先の美術補習を文字通り「受けた」結果です。

肉体が小さくなっただけでなく、総魔力のキャパシティも著しく低下。

その状態で「青」の魔法を連打したのが痛かったですね。

良質なポーションを補給するまで、バベットは魔法を使えません。

つまり「探索の魔法」すら発動できないという意味です。


獣害に気を付けるどころか、すぐ隣に危険分子……何が死の引鉄となるか分かりません。

バベット視点、優しい月明かりだけが頼もしく感じるのでした。





====================◇====================





一方、柊夜は何処か嬉しそうにバベットの後を付いてゆきます。

彼の性質は、温和で、暢気で、なおかつ短慮。

夜の森がどれだけ恐ろしい空間かも分からず、ただバベットとの「散歩」を喜んでいます。

それもその筈、柊夜視点で「バベットは一度死んだ人間」だったのです。


(だから蘇って嬉しいし、命の大切さを改めて知ることもできました)


小学生の感想文にも似た倫理観を持つのが柊夜です。

「この楽しい時間がずっと続けばいいな」と――無意識のうちに彼は『チート能力』を使っていたのです。


天まで届く背丈の黒猫。

あまりにも巨大で、バベットどころか柊夜すらも、その存在に気付いていません。

黒猫がチョイッと前脚で「月」を手元に引き寄せると、二人の進んだ「位置」が元に戻ります。

それと同時に、二人視点で不自然に思われないよう、「ダンジョン」と化した「森」が、樹の配置をプロシージャル。


――「時間操作」と「自動生成ダンジョン」。


明けない夜の下、無限に続く森を、柊夜が飽きるまで二人は歩き続けるのです。





====================◇====================





さて「自動生成ダンジョン」はともかくとして。

「時間操作」は世界全体に大きなダメージを与えました。

柊夜は「この世界」から「閉ざされた結界」にダンジョン・ギミックとして「月」を移動させてしまったのです。

つまり「この世界」から暫くの間「月」が消失しています。


「月が無ければ星に命は育まれなかった」と言われるほど「衛星」は重要な存在です。

「潮の満ち引き」は有名な話ですが、それ以外にも幾つかの影響が存在します。


例えば――。


「うわあああ!? あ、あ、あ、あああああああ!?」

「お、落ちる、お、落ち、なんで、横に、地平線に!!」


イリス王国の民は世界から振り放されないよう、必死に何かへとしがみ付きます。

さながら明後日の方向に凄まじい「重力」が発生したかのような現象。

これも「月」が消失した影響。

「星の自転」が加速したのです。


他にも――。


「いやあああ!? あ、あ、あ、あああああああ!?」

「こ、今度は、風、いや大嵐!? みんな空に飛ばされ、て、あはは……」


イリス王国の民は宙を舞います。

重力の均衡が崩れたのも理由の一つですが、このスーパーセル(上昇気流域を伴う雷雲群)の主要因として「この世界の魔力を月がコントロールしていた」ことが挙げられます。

魔力の媒体、魔力の調整役、魔力のパイプライン、全部消えました。

制御不能で希釈されていない魔力が、星外へと逃げるように放たれたのです。


文明の終焉、地獄の幕開け、としか言いようがありませんでした。





====================◇====================





「まだ森から出られないんです? そろそろ寝る時間だと思うんですが」


「『甘ったれるな』と頭を叩いてやりたい気分だ」


「バベットさんの背だと、僕の頭に手が届きませんしね」


「煩い」


歩き続け眠くなってきた柊夜が欠伸をすると、巨大な黒猫も同時に欠伸をします。

空を見上げた柊夜と、黒猫の輝ける黄金の両目が、バッチリ合います。

黒猫は慌てて両目を閉じ、両前脚で頭を押さえ、身を隠すように屈むのでした。


「この世界には月が三つ?」


「そんな訳ないだろ」

「オマエ、記憶を取り戻してから何日経った?」

「それまで一度でも月が多重に見えたか?」


「二週間くらいですかね……まあ、仰る通り、見たことありませんけど」

「すみません、気のせいだったみたいです」


(……眠気に幻覚でも見てるのか? 進むのを中断し、野宿も視野だな)


こうして即席のキャンプが始まるのでした。

ウトウトしながらも、柊夜はせっせと働きます。

あまりにも準備が面白いもので、シャッキリと眠気が飛んでゆきます。

その様子を見てバベットは嫌そうな顔をします。

ただ逆に『チート能力』を使わず「どうでも良いこと」に集中してもらえるなら、それで問題ないと判断しました。


(「前の世界」に戻りたい気持ちに、嘘はないけど)

(「今の世界」でバベットさんが「お友だち」になってくれて)


「本当に嬉しかったです」と存在しない感想文を柊夜は心の中で記します。

それから少年はお月さまに願います。


(……「前の世界」だと「お友だち」が居なかったから)

(ずっとバベットさんと「お友だち」で居させてください)


薄幸な宮廷魔術師の運命が定められた瞬間でした。





====================◇====================





「うわあああ!? あ、あ、あ、あ……?」

「いやあああ!? あ、あ、あ、あ……?」


叫ぶことしかできなかった、イリス王国の民は正気に戻ります。

それもその筈、柊夜が無意識に喚んだ黒猫は、目と目が合った驚きのあまり「月から完全に手を放してしまった」のです。

その結果、世界にプカプカと月は戻っていきましたし、「時間操作」自体がなかったことになりました。


世界規模のカタストロフでした。

しかし誰も死者は出ませんでした。

しかし何も建物は倒れませんでした。

そもそも全部なかったこと。


唯一影響がある点と言えば、人々の「記憶」まで巻き戻らなかった点でしょう。

民へ植え付けられた恐怖心は、計り知れないものでした。

その結果、陰謀論者が台頭してしまうのも、自然な流れ。

「どの色の陣営が起こした魔法兵器の影響」だとか「『ドミナの石板』は一つの陣営だけを生き残らせるための終末装置」だとか。


イリス王国に、憎悪の種、絶望の萌芽が撒き散らされます。

「魔法大戦」の火蓋が完全に切られた、としか言いようがありませんでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る