02話:泥を捏ねるように

『異様に寒い……なんだ、私は、何処に――』


エルフの宮廷魔術師が目覚めると、顔から小指程度の距離に、奇跡の少年の心配そうな表情が広がっていました。

驚きのあまり急いで立ち上がろうとし、当然のように彼女の額は少年の額と激突します。


仰け反った少年は涙目で痛みを堪えます。

しかし勿論、宮廷魔術師が痛がることなどあり得ません。

魔法のエキスパートである彼女は「青」の「痛覚遮断の魔法」を常時展開しています。

「不快に感じる」以上の激痛なんて数百年も経験したことがありませんから――


「ひゅッが! むぅごぉお”お”お”お”!」


何故だか分かりませんが、痛覚遮断は途切れてしまっていたようです。

宮廷魔術師は痙攣するようにひっくり返り、綺麗なブリッジを描くのでした。

日常であり得るレベルの痛みも百年単位でシャットアウトしていたのです。

不意に「涙が出るくらいの痛み」を受けて堪えることなどできません。


「お、お姉さん、大丈夫ですか、息してますか……?」


むしろ過呼吸で再び眠りに就きそうなくらいです。





====================◇====================





痛みも落ち着き、冷静になりかけたエルフの宮廷魔術師。

まず奇跡の少年、ひいては周囲の存在から「醜態の記憶」を抹消しようと「青」の「洗脳の魔法」を試みます。

しかし『チート能力』によって少年は無意識にレジストします。

「青」の「洗脳の魔法」を何処からともなく現れたピンクの獏がムシャムシャ食べてしまったのです。


「なんだこれ……」


訝しむ宮廷魔術師は気付くのですが、そもそも周囲には少年の他、誰も居ませんでした。

其処は鬱蒼と生い茂る森でした、どう見ても人の手など入っていません。

月明かりに照らされた、捻じれ曲がった針葉樹、根元には魔法茸がニョキリ。

ホウホウとフクロウが呟き、リンリンとスズムシが鳴き、ついでにピンクの獏もワハハと笑って消えました。

そんな、人里どころか獣道からも外れた森のど真ん中。


「……どうなっている?」


まるでピントのぼやけたレンズのように、記憶はハッキリしません。

確か、偉大なるイリス王国で華やかなりし祝宴が行われて……。

危険分子、もとい、奇跡の少年が『ドミナの石板』を読む手筈となり……。

此処で記憶は途切れています。


「やっぱり、覚えてないんです?」


恐る恐る少年が尋ねるのを、エルフの尖った耳がピクリと反応します。





====================◇====================





(この少年……何を知っている)

(あの時、何が起こった)

(どうして、私たちは此処に居る)

(そもそもさっきの獏は何者だ)


イリス王国の最高叡智と謳われるエルフの宮廷魔術師でしたが、不思議と答えを導き出せません。

口を噤んだ少年へ、苛立ったように宮廷魔術師は話の続きを求めます。


「ご、ごめんなさい」

「お姉さんが死んじゃって、僕も動揺して……」


「は?」


「何度かチャレンジしたんですけど」

「上手く生き返らせられなくて……」

「さっき、やっと、成功して」

「お姉さんが起きたとき、安心したんです!」

「あ、足りない分は、あそこの土を使いました」


ウルウルと涙ながらに語る少年の言葉は、エルフ耳を東風のように抜け。

空虚で生温かい夜風が、妙に身体へと染み渡ります。

宮廷魔術師は吐き気と眩暈を覚えるのでした。





====================◇====================





彼女は自らの身に起こった不運を概ね把握しました。

つまり自分は1度死んで、雑な処置で蘇らされたと。

だから記憶も欠落して……。

そもそも本当に「今の自分」は「元の自分」なのでしょうか……?


「やだやだ、もう聞きたくないぃぃいい!」


その哲学的命題の理解を拒絶した、エルフの宮廷魔術師による奇行。

駄々っ子のように転がってジタバタ手足を動かしていました。

奇跡の少年はギョッとしますが、誰よりビックリしたのは宮廷魔術師でした。


(私は、何をやっている……?)

(こ、こら、落ち着け、私の感情 )

(「青」の「沈静の魔法」!)

(「青」の「沈静の魔法」!)


宮廷魔術師の全身が、淡い「青」の流れる粒子エフェクトに包まれます

ゼェゼェと肩で息を切らせながらも、自分に掛けた魔法のお陰で宮廷魔術師は落ち着きます。


「や、やっぱり失敗したんじゃ?」

「もう1回『作り直さないと』――」


モモンガが樹から樹へと渡り飛ぶ一瞬の間。

少年の悲しそうな顔を見て、宮廷魔術師は危険信号を即座に嗅ぎ取りました。

伊達に幾多もの悲喜劇を生き残り、今の地位を得た訳ではありません。


「いやいや、その心配はない、ちょっと動揺しただけで」

「もう大丈夫、元気、溌剌!」


先程、即座に「青」の「沈静の魔法」を用いたのが良い方向に働きましたね。





====================◇====================





何故、エルフの宮廷魔術師は「幼児のような反応」をしてしまったのでしょうか?

答えは「宮廷魔術師の肉体が幼児のもの」だからです。

若すぎる大脳辺縁系に引っ張られる形で、精神も昂ぶり易くなったのです。


トライ、アンド、エラー。

奇跡の少年は『チート能力』によって何度も彼女の蘇生を試みました。

その都度「なにか違うような……」と「失敗作」を破棄したのです。

さながら、泥を捏ねるように、何度も、何度も、コネコネと。

はい、小さな女の子の出来上がりです。


(そもそも、どうして、私は死んだんだ……)

「……り、理屈は分かった。でも、何故、こんな小さい姿に?」


あまりにも唐突過ぎて、自らの死も冷静に捉えてしまいました。

しかし震える声で宮廷魔術師は尋ねます。


「作る度に『質量』が失われて……色々と『材料』は足したんですけど」

「今回は、ちゃんと会話できてますので、バッチリな出来だと思います!」


(そんな訳ないだろ……)


何処からどう見ても「ただの少年」でありながら、その扱いには「黙示録の禁呪」の如く細心の注意が要りそうです。

内心疲れ果てながら、宮廷魔術師は確信します。


(急いでイリス王国に戻って報告せねば)

(常識の欠如、倫理の破綻、禁忌の到達)

(コイツは紛れもなく――この世界の危険分子だ!)





====================◇====================





祝宴で何が起こったのか。

どのように自分が死んだのか。

そうエルフの宮廷魔術師が尋ねる前に、奇跡の少年が問いかけます。


「お名前、なんと仰るのですか? 横に耳の長いお姉さん」


エルフの概念すら分かってないのか、と宮廷魔術師は無知に呆れます。


「……名を聞くなら自分から名乗るのが、この世界での礼儀だ」


刺激を避けるべき相手とはいえ、ツンとした態度を取るプライドは存在したようです。


「でも、僕の名前、イリス王国の人なら、みんな知ってるんじゃ?」


「礼、儀、の、話!」


癇癪を起こすのも幼児だから仕方ないですね。

申し訳なさそうに少年は慌て、はにかんだように笑います。


「聖 柊夜(ひじり しゅうや)と言います」

「こっちでの名前は……忘れてしまいましたが、よろしくお願いします」


「バベット・ルモワーヌ。イリス王国の宮廷魔術師」


幼児が腰に手を当て「偉い存在なんだぞ」と、ドヤ顔で名乗ります。

なんだか微笑ましくなり、柊夜は手を差し伸べ、握手を求めます。

バベットはプイッと明後日の方向を向きながら、それに応えました。

こうして奇妙な関係性が築かれ、世界は破滅へとまた一歩進んでいったのでした。

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