第2章ー13
今日、俺たちが演奏する曲は、セルゲイ=ラフマニノフ作曲の『前奏曲 嬰ハ短調 作品3-2』だ。『鐘』や『Cシャープ』と呼ばれ、大変人気の高い楽曲で、フィギアスケーターの人気選手が、オリンピックのフリープログラムでこの曲を使用したことで、クラシック音楽に馴染みがない人々の間にも知られるところとなった曲だ。この曲をリクエストしてきたのは、学長の
「あまり、俺に期待するなよ、泉。俺は、せいぜい、オマエの演奏を邪魔しないように弾く。それだけで、精一杯だ」
泉は、何かを言いかけた後、口を噤み、そして、心底残念そうに、
「わかった……」
と言った。これ以上、余計なことを口走ったら、俺が機嫌を損ねるであろうことを察知したのだろう。
昔からそうだった。二人の間で険悪な空気が漂ったとき、身を引くのは、必ず兄だった。だから、俺たち双子の兄弟は、これまで、ただの一度もケンカらしいケンカをしたことがなかった。そんな俺たちのことを、周りの人々は「ケンカもしないほど仲の良い兄弟」と思い込んでいたようだが、実際のところは、ケンカすらできない、仲の良い悪い云々以前の話だったのだ。俺は、お互いの本当の気持ちをぶつけ合って思いっきりケンカをしなかったことを、兄がいなくなってから、ただひたすらに後悔することとなる。
「万が一、俺が、本番でやらかしたら、オマエは演奏を止めずに続けてくれ、頼む」
俺がそう言うと、泉は、悲しそうに頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます