第3章「前奏曲 嬰ハ短調 作品3-2『鐘』」二台ピアノー1


 開場の十五時十五分まで、まだ一時間以上あるというのに、藤原記念講堂前には長蛇の列ができており、音響祭実行委員会のスタッフたちがあくせくと働いていた。


「こちらが最後尾になっておりまーす! 事前にお配りした整理券をお手元にご用意の上、二列にお並びくださーい! 整理券をお持ちになっていないお客様は入場できませんので、ご注意くださいませー!」


 『こちらが最後尾です!』と書かれたプラカードを持った小柄な女生徒が、その体格に見合わない、デパートのバーゲンセール中のアパレルスタッフ並の大声を張り上げていた。彼女は、「オペラ研究会」に所属している生徒だ。心地良いナチュラルヴィヴラートヴォイスが澄み渡る秋空に吸い込まれていった。列は正門近くまで伸びており、その光景を見て、俺は、幼少期に家族四人で出掛けた浅草寺せんそうじの初詣を思い出していた。まだ、俺たちがピアノを始める前のことだった。


***


「お母さん、何をおいのりしたの?」

「泉くんと舜くんが、ずーと健康で仲良しでいてくれますように」

 母は、聖母マリア様のように優しく微笑みながら答えた。

「そんなの、お母さんがおいのりしなくても、もうかなっているよ!」

「なっ! 泉!」

 俺がそう言うと、泉は嬉そうに、

「うんっ! ぼくたちはずっとずっとなかよしで、ひゃくさいまで生きるんだ! いっしょに生まれたんだから、しぬときもいっしょなんだ!」

 と言った。それをきいた母はとても幸せそうだった。


***


 俺がノスタルジックな気分に呆け現実逃避をしている間も、時は容赦なく刻一刻と前進し、俺を大衆の門前に晒しだそうとしていた。俺は逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

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