第2章ー8

 「何と言われようとイヤです! 俺にだって感情があるんです! ”心”があるんです。傷付くことだってあるんです! 先生方は、大人の事情を最優先して、落ち零れの生徒の心が傷付くことなんてお構いなしなんですか?」


 さすがに、人格者もどきの佐渡は、俺の悲痛な叫びを聞いて少なからず、同情をしている様子だった。心優しき兄にいたっては、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


 やめろ! やめてくれ! そんな顔をして俺を見るな! 


 憐れみの対象となった俺は、幼少期に、泣きながら、ショパンの『ワルツop.64-2』を何度も何度も繰り返し練習する兄の姿を思い出していた。


―― 双子の兄弟なのに、どうして、僕と同じように弾けないんだろう……


 あの時、俺が兄に対して思ったことを、立場が逆転した今、兄が俺に対して思っているのではないか? と、疑心暗鬼になった。心臓を握り潰されるような鋭い痛み……筆舌に尽くしがたい黒い感情が俺の心の中でグルグルと渦を巻いた。とても苦しくて、醜い感情……きっと、これが”嫉妬”という感情なんだと思った。そして、そんな俺の苦しみなど微塵も理解できない、心の貧しいフレグランス婦人は、「ごめんくださいまし」と平然と言いながら、泥まみれの足でズカズカと俺の心の中に入り込んできた。


「あなたねえ、さっきから黙って聞いていれば何なの? 我儘ばかり言って! まさか、前期の実技試験での大失態を忘れたわけではないわよねえ?」

「呉林先生……ちょっと……生徒の前で、その話を切り出すのはいかがなものかと……」


 動揺しまっくっている佐渡の言葉をも無視し、フレグランス婦人は、強行突破で話を続けた。勿論、俺が、前期の実技試験での大失態を忘れるわけがなかった。

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