第2章ー3

 音中時代の俺は、学校での態度も悪く、落ちこぼれの烙印を押された仲間たちとつるみ、授業をサボり、ピアノの練習も、ろくすっぽしなかった。俺の担当の女講師は、何かにつけて、優等生の泉と問題児の俺を比較し、

「あなたも、少しは、お兄さんを見習ったらどうなの?」

 と、俺の顔を見るたびに、「ごきげんよう」のご挨拶のように言った。このオバさんは、泉の担当になりたかったらしい。この人だけじゃない。「慧都音楽大学附属中学校」のピアノ科の講師全員が、泉の担当になりたがっていた。「谷村泉」という金の卵の担当講師となれば、箔が付くからだ。残念なことに、この女講師が引いたのは、容姿だけが、谷村泉にそっくりな、偽物のガラクタの方だったのだ。俺とこの女講師の相性は最悪で、俺は、オバさんがいつも身につけている香水の匂いが漂うレッスン室が大嫌いで吐きそうだった。


 まだまだ残暑が厳しい晩夏の日の昼休み。俺にとっては最悪の出来事が起こった。あれは確か、慧都音中で毎年十一月に行われる「音響祭おんきょうさい」の二カ月ほど前のことだったと記憶している。


***


「おーい、舜、”フレグランス婦人”が、鬼の形相でオマエのこと探してたぞー!オマエ、また何かやらかしたのー?」


 購買から帰って来た”落ちこぼれ三人衆”の一角を担う、芹沢涼真せりざわ りょうまが、焼きそばパンを齧りながら、俺の席の方に近づいて来た。ふわふわの天然パーマがトレードマークの涼真は、人懐っこいヤツだ。


「マジでー? 俺、何かやらかしたっけ?」

「舜は、やらかし過ぎてて、どれのことか、サッパリわかんねーよ!」

”落ちこぼれ三人衆”のもう一角を担う、竹井 晴音たけい はのんが、笑いながら言った。

「オマエさー、”フレグランス婦人”のソルフェージュの授業中、爆睡してただろ? あのことじゃね?」

「ああ、アレなー。だって、”フレグランス婦人”の授業、超つまんねーんだもん」

 晴音は、ネイビーのお洒落メガネが良く似合うインテリ男子だ。実際、ピアノの実技以外の国語や算数、英語などの一般科目やソルフェージュの成績はトップクラスだ。因みに、俺たちが”フレグランス婦人”と呼んでいるのは、俺の実技担当の女講師のことで、本名は、呉林育子くればやし いくこという。香水の匂いがキツいことと、何かにつけて、

「そこは、もぎたてのグレープフルーツのような香りを思い描いて弾くのよ!」だの、「そこは、芳醇な赤ワインのような香りを漂わせて!」だの”香り”に例えた指示をするので、俺たち三人衆は”フレグランス婦人”と呼んでいる。フレグランス婦人は、俺の母の母校である「花澤音大はなざわおんだい」の同期でライバルだったそうだ。フレグランス婦人は、二十歳ハタチの時、「フランソワーズコンクール」だか「フランボワーズコンクール」だかのファイナルに残ったことを、何度も何度も自慢してくる。きっと、俺の母と同じで、何かに縋っていないと、精神を保てない類の人間なのだろう。

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