第1章「革命のエチュード」ー1

「ねえ、せんくんと、しゅんくんは、ピアノを弾かないの?」 


 双子の兄弟である俺と、兄の泉が、ピアノを弾くきっかけとなったのは、母の教え子の一人で当時中学生だった、マリカお姉さんのこの一言だった。俺たちが、小学校に入学する少し前のことだった。一卵性の双子である俺たちは、二人揃って、綺麗で優しいマリカお姉さんに恋をしていたのだ。


 俺たち家族は、父と母、双子の兄である谷村泉たにむら せんと、弟の俺、谷村舜たにむら しゅんの四人家族で、東京都港区の高級マンションに暮らしていた。父、谷村 浩平たにむら こうへいは、大手総合商社に勤務する商社マンで、海外出張が多く不在がちであったが家族をこよなく愛していた。母、谷村樹たにむら いつきはピアニスト……と言っても、一流と呼ばれるピアニストからは程遠く、たまに、地方の小さなコンサートホールでリサイタルを開催することもあったが、赤字になることが多く、その損失は、副業のピアノ講師で補っていた。当の本人は”ピアニスト”である自分に”矜持”をもっていたが、俺からしたら、どう見ても”副業がピアニスト”としか思えなかった。己の才能の限界をいちばん判っていたのは母本人に違いないのだが、そのことを己が認めてしまうことで、人一倍繊細な己の精神は一瞬にして崩壊してしまうことを、母は本能でわかっていたのだろう。だからこそ、母は「ピアニスト・谷村 樹」という呪文を唱えることで、ギリギリのところで心の均衡を保っていた。


 母は、二人の息子たちにピアノを強いることはしなかった。自分と同じ辛い思いを二人の愛する息子たちに味わわせたくなかったのだろうと思う。

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