片翼を失ったピアニスト

喜島 塔

序章「ブラボー!」


 長年のブランクを感じさせないくらい、しゅんの指は、良くまわった。


 ―S.Rachimaninovセルゲイ ラフマニノフ

 『ヴォカリーズ 作品34-14』


 舜が、最初の一音を紡ぎ出した瞬間、ザワザワと賑やかだった会場が、一瞬にして静寂に呑み込まれた。淡々とした静かな和音に乗せて、ロシア音楽に多く見られる憂いを帯びた旋律が奏でられる。一音一音に、舜の想いの全てを重ねる。


 失ったものは、得たものを凌駕する。


 幸せだった幼少期、突然の双子の兄、せんの死、母の病気、バラバラに散った家族、壊れた心……


 この日、ここで、この曲を弾くこと「神の啓示」であったかのように、美しいハーモニーが奏でられていく。


 最後の一音、音の残像、響き渡る余韻、静寂、こみ上げる感情、一粒の涙、沸き上がる会場、拍手喝采……母の笑顔……


「ブラボー!」


 会場の後方から聴こえた賞賛の声は、泉の声に良く似ていた。

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