第41話 新学期

◇優視点◇


 長いようで短い夏休みも終わり、今日から新学期が始まる。

 学校が始まるのは面倒だと感じるものの、始まってしまったのなら、よほどなことがない限りは行くしかない。

 起きたばかりで重たい身体を何とか動かしつつ、リビングへと向かう。


 ――いつも通り、まずはコーヒーを飲まないとな。


 

 リビングへと入ると、キッチンでせっせと朝ごはんの準備をしているアルフィリアが視界に入る。

 今日から学校ということもあっていつもより早めに起きてきたのに、相変わらず朝が早い。

 向こうの世界での生活でずっと朝が早かったせいで目が覚めてしまうのだろうが、また前みたいに倒れられても困るし、心配するのであまり無理はしないでほしいところである。


「おはよう、アルフィリア」

「あ、おはようございます!優さん!今日はいつもより少し早いですね?」

「まあな。今日からまた学校だから、新学期早々遅刻するわけにも行かないし早めに起きたんだ」

「なるほど……あ、コーヒーですよね?朝ごはんと一緒に持っていくので、テーブルでゆっくりしててください」


 さすがに毎日一緒に過ごしていると、こちらの行動パターンまで把握しているようで、毎朝先回りしてコーヒーの用意をしてくれるようになった。

 口にはしないが、俺の誕生日にマグカップを贈ってくれて以来、毎朝コーヒーを一緒に飲めるようにと、勝手に都合よく自己解釈している。


 ひとまずアルフィリアの厚意を受け取る前に、なにか手伝えることはないかキッチンの様子を確認してみるが、もうほとんど終えているようなので俺の出番はなさそうだ。


「……頼もしくなったよなぁ」


 前も同じことを感じたが、アルフィリアの成長を感じられて嬉しいような寂しいような、なんとも言えない気持ちになる。


「えっ?どうしたんですか?急に」

「いや、なんでもない。先に座って待ってるぞ」


 素直にアルフィリアの厚意を受け取ることにして、『ありがとう』の意味を込めてアルフィリアの頭を軽く撫でてから食卓へと向かった。


「―—そういうの、ずるいです」



 アルフィリアとの談笑を楽しみつつ朝食を終えた後は、身支度を整えてからアルフィリアに送り出されながら家を出て学校へと向かった。

 歩いてだいたい15分程度で着く距離にある学校へと、何事もなく到着する。

 

「……学校が近いのは、ほんと助かるな」


 進学する高校を選ぶときも家から近い場所から選んでいるため、朝は比較的のんびりしながら登校できるので、その点電車通学やバスで通学する生徒に比べれば楽なものだ。

 朝の満員電車やバスで体力も精神もすり減らしてから学校で授業を受けるなんて、想像しただけでも億劫になりそうだ。


 そんなことを考えながら、自分のクラスの教室へと向かって歩いていると、プリントを重そうに運んでいる一人の女子生徒が視界に入り、立ち止まる。

 たしか同じクラスの……誰だったか。

 同じクラスにいるということだけは覚えているのだが、名前が思い出せない。

 そもそも二菜以外のクラスメイトとほとんど関わりがないので、名前を覚える機会もない。


 さて、どうしたものか。

 特に手伝う理由もメリットもないし、クラス内の俺の立場を多少なりとも知っているとすれば、急に話しかけるのも不自然だろう。

 ここは手伝わずに、見ない振りして過ぎ去るのが吉か。


「―—手伝ってあげれば?」

「うおっ!?」


 突然背後から聞き覚えのある声が聞こえて、びっくりしてしまった。

 話しかけてきたのはジト目でこちらを見ている二菜だった。


「二菜……急に後ろから声を掛けられたらびっくりするだろ」

「私が後ろから近づいていたことに気づかなかったアンタが悪いわね」


 なんとも理不尽な。

 しかも考え事をしていたとはいえ、気づかなかったということはあえて気配を消していた可能性があるので、なおのこと理不尽だと思う。


「それで、橋本さんが大変そうにしているのをぼーっと見つめているだけなの?」

「橋本って言ったっけ……そういえば、そんな名前だったかも……」

「アンタ……クラスメイトの名前覚えてないって……」


 ただでさえジト目だった二菜の顔が、余計にありえないものでも見るかのような表情に変わる。

 たしかに名前を憶えていないのは俺が百パーセント悪いのだが……。


「とりあえず、とっとと声かけるわよ」

「なんで俺まで……」

「困っているクラスメイトが目の前にいるんだから、無視はないわよ」

「二菜だけで充分だろ」

「い・い・か・ら。それに、フィリアがこんなアンタを知ったら幻滅されるかもしれないわよ。今からでも少しは変わろうとしなさい」

「…………」


 アルフィリアの名前を出されてしまったら、俺は黙るしかなかった。

 

「それに、今後のためにも絶対に人との関わりは広げるべきよ。いつまでも損得ばかりで動いてたら、困るのは優なんだからね」


 前に父さんに言われたことと同じようなことを言われる。

 二菜の表情は真剣で、無理やり言うことを聞かせるために言っているのではないというのは分かる。

 

 ―—最終的に困るのは自分、か。


「……分かったよ」

「……まあ一歩前進、と言ったところか」

「うるさい。さっさと行くぞ」

「あ、ちょっと!」


 半ば強引に二菜を引っ張っていき、目の前で重そうにプリントを運んでいる橋本の元へ駆け寄った。


「……よいしょ……っと」

「……あの」

「ひゃぁ!?」

「っと!……ふぅ……だ、大丈夫か?」


 プリントを持ち直そうとしていたところで声を掛けてしまったためか、橋本を驚かせてしまった。

 なんとかプリントが崩れ落ちそうなところをギリギリで抑えることに成功したため、大惨事は免れた。

 

「大丈夫?橋本さん」

「柚原さん……と、早乙女君?」

「……悪い、急に声を掛けたせいで驚かせたか」

「う、ううん!大丈夫!それよりどうしたの?早乙女君が声を掛けて来るなんて珍しい……というか初めて?」

「いや、なんというかその……橋本が困ってるみたいだったから」


 改まって用件を聞かれると、手伝いに来たとは言いづらくて、たどたどしい感じになってしまった。

 

「……手伝ってくれようとしたの?」

「……まあ、二菜に……いっ!?」


 二菜に言われて、と言おうとしたところでその二菜に足を思いっきり踏まれたことにより、言葉がさえぎられる。

 痛む足を抑えながら二菜を睨みつけると、こちらを見下ろしながら目で「余計なことは言うな」と無言で圧力を掛けられる。

 ―—こいつ、後で覚えとけよ……。


「……?」

「なんでもないわ。橋本さん重そうにプリントは混んでたから、二人で手伝おうって話を優としてたの」

「そうだったんだ?」

「あ、ああ。どう見てもひとりで持っていくにはきつい量だろ」


 見たところ六百枚以上はあるプリントを女子生徒一人に運ばせるのはさすがに厳しいだろう。

 先生たちもそこまで考えが至らないとは考えにくいが、新学期ということもあって忙しいのだろう。


「ありがとう……それじゃあ、お願いしてもいいかな?」

「ああ」


 本人からもお願いされたので、橋本からプリントを半分預かった。

 

「橋本さん、私も半分持つわ」

「ありがとう、柚原さん」


 二菜もさすがに手伝うようで、橋本が持っていた残りのプリントから半分を受け取っていた。

 

「それで、これどこに持っていけばいい?」

「あっ、このまま教室までだよ。このプリント、LHRで配布する奴って言ってたから」

「わかった」


 持っていく場所が目的地と一致していたので、非常に助かる。

 

「……それにしても、早乙女君って人助けとかするんだね」

「……はっ?」

「あ、気を悪くしたならごめんね!入学当初のこともあったからちょっと意外だったの」

「……まあ、あのときは俺が悪かったな」

「優は元々優しいわよ。ただ性格ねじ曲がってしまっただけで」

「……そうなの?」

「……うるさい。余計なことは言うな」

「……ほら、こんな感じで素直じゃないのよ」

「なるほど」


 納得されてしまうのは、なんとも複雑な気持ちになる。

 性格がねじ曲がっているのは否定しないが、それを他人に言われるのはなんだか違い気がする。

 これ以上のんびりしていたら、いろいろ言われかねないので教室まで急ぐことにする。


「……先行くからな」

「あ、ちょっと!……もう」

「……柚原さんも大変だね」

「……ほんとにね。世話が焼けるわ」


 背後で余計なことを言われているような気がするが、とにかく一刻も早くこの仕事を終わらせるために歩く速度を速めるのだった。


「……ほんとにありがとね、早乙女君、柚原さん」


 まあ、たまにはこういうのも悪くないかもな――。

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