第30話 邂逅の後
◇アルフィリア視点◇
辺りはすっかり日が暮れてしまい、思えば希さんをかなり待たせてしまう結果になってしまった。
「愛さんから話は聞いたよ。二人とも無事でよかった」
「ご迷惑をおかけしました」
「とんでもない。優を助けてくれたんだろう?むしろ感謝しているよ。ありがとう」
「いえ……!」
希さんは待たされたことに対して文句の一つも言わず、それどころか感謝の言葉を口にした。
本当によくできた人だと思う。
「むしろフィリアに迷惑を掛けた形になったわよね」
「それについては反論の余地もないな。ごめんな、アルフィリア」
「そ、それは違いますよ!」
謝る優さんに、私は即座にその非を否定する。
あれは人魚の魔法で操られていただけに過ぎないのだ。
魔法と無縁の生活をしてきたこの世界の人たちでは、対抗する術を持たないのは仕方のないことで、むしろ被害者と言うべきだ。
「水族館であんなことを言っておいてこの様だ。すまん」
どうやら水族館で言った「海で変な声を聴いても、安易に誘われないようにするさ」のことを言っているようだ。
本人は冗談で言っていたに違いないだろうし、私もまさかこの世界であんな恐ろしい存在に出会うなんて思いもしなかったので、警戒もしていなかった。
だからこれは仕方のないことで、気にするようなことではない。
「はいはい。暗い話はそこまでにしましょ?」
「そうだね。一応今日泊まる予定の旅館のほうには少し遅れる旨を連絡してあるから大丈夫だけど、遅くなりすぎるのはよくない」
「そうだな」
愛さんの一言でこの話は一旦区切りにして、私たちは宿泊予定の旅館へと急いで向かうため、車に乗り込んだ。
車で旅館へ向かう間、私はどうしても引っ掛かることがあって頭の中はそのことでいっぱいだった。
なぜこの世界にあんな魔物が存在するのか、他にも存在するのだろうかなど気になることはたくさんあった。
だが、そんなことはどうでもよくなってしまうくらいに頭の中で何度も再生される名前―—『いちか』とは誰なのかということだ。
優さんが意識を取り戻した際に、私を見て言った名前だ。
洗脳されていたときの幻覚の中で見ていた人を私に重ねて言ったのだと推察できるが、その手の幻覚はその人に刻まれた記憶の最も深い部分にある存在を見せるものがほとんどだ。
つまり、その『いちか』という人は、優さんにとってとても大切な存在であるということだ。
そのことが私の心に強い動揺を与えていた。
自分でも驚いているのだが、優さんが意識を取り戻したときに最初に出た名前が私ではなく、その『いちか』という人だったことに私は嫉妬しているようだ。
そして、私を差し置いて出てくるほどに優さんの心の中二刻まれたその人はいったいどんな人物なのか気になって仕方がない。
おそらく優さんは意識が朦朧として覚醒し切っていないときに呟いた名前だったので、本人にその名を口にした自覚はない。
そうなると本人にも聞きづらい。
二菜ならなにか知っているだろうか。
私よりも優さんの事を知っているし、学校のお知り合いだった場合でも知っている可能性が高い。
旅館で二人きりになった際に聞いてみよう。
「見えてきたよ」
車を運転していた希さんが前方の方に見える建物を指さす。
最近覚えたモノの中でいえば、和風という言葉が似合う風貌の建物だ。
「こんなすごいところに今日は泊まるんですか?」
「そうだよ」
「私、こんな立派な旅館初めて」
「俺も」
二案も優さんも、こういった場所で寝泊まりはしたことがないようで少し興奮している様子だ。
私の元いた世界でもこのレベルの宿となれば、なかなか泊まれるものではないので、私も少しばかり気分が高揚している。
その旅館横にある駐車場に車を停め、私たちは着替えなどの荷物を持って建物内に足を踏み入れる。
「―—……お待ちしておりました、早乙女様」
入口で私たちを出迎えたのは、希さんと同い年くらいで和装に身を包んだ優しそうな男性だった。
「久しぶりだね松尾君。遅れてしまって申し訳ないね」
「いえいえ、ようこそいらっしゃいました」
「……できればその喋り方は普段通りにしてくれないかな。なんというか違和感がすごい」
「……はいはい。まったく、せっかく人がしっかりと出迎えようとしているというのに」
松尾君と呼ばれた男性に希さんが喋り方を指摘すると、先ほどまでの丁寧な喋り方から、少しだけフランクな喋り方に変わった。
「この人が父さんの知り合い?」
「そうだよ。彼は大学からの知り合いで、
「初めまして、松尾です。皆さんようこそいらっしゃいました。いろいろあったと聞いております。本日はゆっくりこちらでお休みくださいませ」
「よろしくお願いします」
柔らかな表情で丁寧なあいさつをする松尾さんに、私たちもお辞儀をする。
「それじゃあ、今日使ってもらう部屋に案内するよ。こちらへどうぞ」
「よろしく」
私たちは松尾さんに今日寝泊まりする部屋へ案内される。
旅館自体はかなり広く、迷ってしまいそうだ。
案内された部屋は、5人で布団を敷いてもそれなりにスペースに余裕ができるほどに広かった。
「すごく広いわね……」
「だな」
私たちは部屋の隅に荷物を置きながら、部屋の広さに驚いていた。
「それでは、私は一度下がらせてもらうよ。また後程夕飯を持ってくるから、それまで温泉の方で疲れを取ってくるのはどうだろうか」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
「それでは、ごゆっくり」
そういって、丁寧な所作で部屋の扉を閉めながら松尾さんは部屋を出ていった。
「それじゃあ皆、色々あって疲れているだろうし、早速お風呂に入りに行こうか」
「そうだな。正直もうくたくただ。ほとんど父さんのせいだけど」
「あれはあんたが無謀にも希さんに挑んだからでしょうが……」
「あはは……」
そいうわけで私たちは夕飯の前にこの旅館にある大浴場の温泉に浸かることになった。
「それじゃあ、男湯はこっちだからまた後で。終わったら向こうのエリアにいるから」
「わかったわ。それじゃあ二菜ちゃん、アルフィリアちゃん。行きましょ」
「はい」
浴場へ着いた私たちは、優さんたちと別れて女湯へと入る。
着替えている最中に温泉の入り方などの説明を二菜や愛さんから聞いて、服を脱いでから説明通りに身体を洗う。
浴場には、時間も夕飯の時間だということで他に人はほとんどおらず、ほぼ貸し切りに近い状態だった。
私たちはひと通り身体を洗ってから、タオルを湯につけないよう注意しながら温泉に浸かった。
「―—……ふぅ、気持ちいい」
温泉へ浸かると、身体の芯からほぐされ温まっていくような感覚に表情が思いっきり緩んでしまいそうになる。
それほどまでにほどよい温度で気持ちがいい。
今は夏なので冷えた身体を冷やしているわけではないが、冬などの寒い季節であれば、今よりもさらに気持ちのいい気分になるのではないだろうか。
冬に温泉へ行く機会があれば、ぜひとも行ってみたいものだ。
「気持ちいわねぇ~……」
「ですねぇ……」
二菜も愛さんもすっかりほぐれてしまっていて、言っては悪いが、非常にだらしない表情になっている。
「それにしても、フィリアのその背中の傷……聞いてはいたけど、実際に見て見るとなんというか……」
「ご、ごめんなさい。不快な物を見せてしまって……」
「いやそういうつもりで言ったんじゃないわよ?ただ、元いた世界でそんなひどい仕打ちを受けていたっていう事実を見せられて、少し怒りに近い感情をフィリアの両親に対して抱いているだけよ」
「そうねぇ。私も実際に会っていたら頬を平手で引っ叩いている自信があるわね」
私の背中の傷を見て、気持ち悪がるわけでもなく、挽いたりするわけでもなく、ただ私の為に怒ってくれるし、言葉をかけてくれる優しい人たち。
そんな人たちとこうして一緒に居られることが私にとっては幸せなことだ。
この世界に来れて、本当によかったと今では思う。
「まあその分私たちがいっぱいアルフィリアちゃんを可愛がって、嫌だと言いたくなるくらいに甘やかすつもりだから安心してね」
「あ、甘やかされるのはあの……」
「そうね。フィリアはもっと甘えたほうがいいわ。いままでできなかった分、甘える権利はあるし」
「それはその、なんというか申し訳ないというか、今でも十分甘やかして頂いてますし……」
「まだまだ足りないわよ?」
「そうよ」
いまでも十分に甘やかされていると感じるというのに、まだ二人は足りないと思っているらしい。
私、この恩はどう返していけばいいのかいまだに悩んでいるのに、これ以上は返しきれなくなってしまいそうで少し怖い。
「……さて、私は少しサウナに入ってくるけれど、二菜ちゃんたちはどうする?」
「私はここでまだゆっくり浸かっています」
「―—……っ!私も、二菜と一緒にここにいます」
「わかったわ。それじゃあちょっと行ってくるわね」
「はい、いってらっしゃい」
そう言って、愛さんは温泉から出ると、タオルを身体に巻いてサウナと呼ばれる場所へと向かった。
サウナという場所がどういった場所なのか分からないので興味はあるのだが、都合よく二菜と二人きりになれるチャンスが来たので、ここに残ることにした。
例のことについて聞く機会ができたのだ。
「……二菜、聞きたいことがあります」
「聞きたいこと?どうしたの改まって」
私が真剣に聞いているとわかってくれたのか、二菜はこちらの方に体を向けて聞く姿勢を取る。
私は意を決して、聞きたいことを口にする。
「―—いちか、という名前に聞き覚えはありますか?」
「えっ……」
私がその名を口にした瞬間、二菜はひどく動揺した。
この反応を見るに、二菜は誰の事かは知っているようだ。
だが、反応が普通じゃない。
「ど、どうして……」
「……人魚から優さんを助けた際に、優さんが無意識に口にしたんです。綺麗だとも……」
「…………」
「すみません。どうしても気になってしまったんです。もし知っていることがあれば教えてもらえないでしょうか?」
明らかに動揺して下を向いている二菜に、私は教えてほしいと頼み込む。
しばらくお互いの間に沈黙が流れる。
「……ごめん。あまり良い話じゃないから詳しいことは話したくない」
「……そうですか」
「一つ教えてあげられることがあるとすれば、そのいちか……柚原一花は私の姉よ」
「えっ……姉、ですか?」
「そうよ」
「なぜ、優さんの口から二菜のお姉様の名前が……」
「ごめん。私からは話したくない。もしどうしても知りたいなら、優に聞いてみて。彼が話したいって思ったら、きっと話してくれると思う」
「……わかりました。ごめんなさい、踏み込んだ話だったみたいで……」
「いいわよ。私のほうこそ話せなくてごめん」
いまの二菜の反応で、決して話しやすい話ではないことだけは分かった。
優さんの二菜の姉である一花さんの間になにかあったのだろうか。
気になることだが、これ以上聞くのは二菜に悪いのでぐっと飲み込む。
「……優さん、話してくれるでしょうか」
「難しいでしょうね。私以上に優のほうが」
「そうですか……」
「……私からお願いがあるとすれば、できれば優の方から話してくれるのを待ってあげてほしいわ」
「……わかりました」
「さ、この旅行中に暗い話はもうなしにしましょ。せっかくなら楽しまないと」
「……そうですね」
気になったことが解決したわけではないが、二菜の姉だということ、決していい話ではないということがわかっただけでもよしとしよう。
今はせっかくの旅行なのだから、ちゃんと楽しまなくては損だ。
「せっかくだし、私たちもサウナのほうに行きましょう」
「そうですね」
そういって、私たちも愛さんがいるであろうサウナの方に向かうのだった――。
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