第29話 邂逅

◇アルフィリア視点◇

 

 それは唐突に訪れた。

 私と二菜と愛さんが女性用の更衣室で身体を洗って着替えていたときに、この世界では感じるはずがないと思っていた気配を感じ取った。

 なんで、どうして、と言う前に私は外へ飛び出していた。

 朝感じた胸騒ぎ、あくまでただの予感という曖昧なものだったそれが、現実のものとなって起きようとしているのを感じる。

 着替え終わった直後だったので、外へ出ても問題ない恰好だったのが幸いだった。

 私は、状況を把握するためにまず周囲を見渡す。

 日が暮れ始めていることもあり、海水浴を楽しんでいたほとんどの人の気配はもうしない。

 だが、ここにいるはずの人の姿も気配もなくなっていることに気づく。


「……優さんがいない……!?」


 ここで待っていると言っていたはずの優さんの姿がない。

 彼に限って何も言わずに突然いなくなるなんてことはしないはずだ。

 なにより優さんが持っていたであろう荷物だけが床に落ちているのに、彼の姿が見当たらないのは、どう考えても異常事態だ。

 

「気配はあっち……!」


 私は優さんがこのよこしまな気を放っている存在に攫われたと見て、真っ先にその気配のある場所へと走り出す。

出所は海の方だ。


「あっ!」


 海の中に優さんとこの世界では架空の存在となっているはずの魔物……人魚マーメイドの姿を捉える。

 そして、人魚の手が優さんに今にも触れようとしていた。


「優さんッ!!!!」


 私は今までに出したことがないほど大きな声で叫んでいた。

 何も考えず、優さんの元へ全速力で向かう。


「……優さんから離れてッ!」


 使うのは控えるように言われていた魔法も非常時の為解禁した。

 もしこのことでお叱りを受け、追い出されたとしても構わない。

 いまは優さんを確実に救うために全力を尽くすのみ。


「……っ!?」


 私が魔力を解放したことで、どうやら人魚は私の存在に気付いたようだ。

 今すぐにでも攻撃をしたいが、迂闊な攻撃魔法は優さんに当たる可能性が高い。

 

「……防護結界プロテクション


 まずは安全を確保するために結界で優さんと人魚を引き離す。

 突然現れた結界に、人魚も警戒してか距離を取った。

 人魚の気が逸れた影響で掛かっていたであろう洗脳も溶けたのか、優さんは海の中へと倒れ込みそうになる。

 私は急いで優さんが倒れる前に受け止め、彼の安否を確認する。


「優さん!ご無事ですか!?」

「…………」


 声を掛けても返事がない。

 私は血の気が引く感覚を覚える。


「お願い……!目を開けて……!」


 私は必死に彼の頬を叩いてみるが、目を開ける気配がない。

 意識が戻らないことで、段々と不安が募っていく。

 

「……なんだ?そいつはお前の男か?」

「……!?」


 結界の向こう側で静観していた人魚が口を開く。

 私は全身を強張らせ、警戒を強める。


「……それは、お前の男か?」


 人魚は先ほどと同じ質問を繰り返す。

 どうやら意思疎通ができるほどに高い知能を持つ個体のようだ。

 ここまではっきりと言葉を発することができる魔物は、元いた世界にもそうそういない。

 

「……そうだ、と言ったら?」

「……つまらん。他人ひとのものを奪う趣味はない」


 私が答えると、人魚はまるでこちらに興味を失ったみたいに背を向ける。

 なんだというのだ。

 先ほどからの言動の意味が理解できない。

 いままでにこんな魔物と出会ったことがない。


「……何が目的ですか」

「ただ小腹が減った故、そこらの旨そうな人間を喰おうとしただけだ。その男からは他の人間とは違う匂いを感じたのでな。だがもう喰う気も失せたわ。疾くそいつを連れて去れ」

「……そんな身勝手な理由で優さんを……!」


 私は怒りで目の前の人魚を睨みつける。

 ただ腹が減ったという理由だけで彼を狙い、危険にさらしただけでもはらわたが煮えくり返りそうになるのに、挙句の果てには興味を失ったからさっさと帰れという始末だ。

 言葉を交わせても、どこまで行っても魔物は魔物だ。 


「怒りをこちらにぶつけている暇があるのなら、早くそいつを連れて帰れ。意識を失っているのは洗脳によるものじゃ。じきに目を覚ます」


 怒りの感情をむき出しにしている私とは対照的に、人魚は冷静に現状すべきことを述べていく。

 まるで、冷静になれと諭しているようにさえ思えてくる言動に私は疑問を抱く。

 どうして、魔物である彼女がこちらの身を案じるようなことを言うのだろうか。


「なんで……」

「……気まぐれじゃ」


 最後にそう言って、悲しげな表情をしながら人魚は海の中へと消えていった。


「……違う、そんなことよりも!」


 人魚の真意はわからないが、今はまず優さんを海から引き揚げることが最優先だ。

 魔物の助言に従う形になるのはなんだか不思議な感じだが、彼女が正しいので言われた通りにする。

 一度砂浜まで優さんを運んで寝かせる。

 意識はないが息はしている。


「優さん!……起きてください!」


 私はまた優さんの肩を揺すって声を掛ける。

 何度か呼びかけを繰り返していると、意識が戻ったのか優さんはうっすらと目を開けた。


「優さん……!よかった、目を覚ましてくれた……」


 ひとまずは無事なことを改めて確認できたところで私は胸を撫で下ろす。

 優さんの方はまだ意識が朦朧としているのか、ぼーっとした表情を浮かべこちらを見つめている。

 もしかして、洗脳の影響で記憶に障害が出ているのだろうか。


「……いちかさん……きれいだ……」

「えっ……?」


 意識がはっきりしないまま無意識に呟かれたであろう『いちかさん』という知らない名前に困惑する。

 一体誰の事なのだろうか。

 

「……うおっ!?アルフィリア……!?」

「きゃっ!」


 意識がはっきりしたのか、優さんがいきなり起き上がったのでびっくりして声を上げてしまった。

 

「ご、ごめん……!驚かせるつもりはなかったんだが……」

「い、いえ……こちらこそすみません……。それよりも意識が戻ったみたいでよかったです」

「意識が戻った……?いったいなにが……ってなんで俺たち濡れてるんだ?さっきまで更衣室の前で……」

「何も覚えていないんですか?」

「あ、ああ……」


 どうやら洗脳されていたときのことは覚えていないようで、現状を飲み込めていないようだ。

 私は先ほどまで人魚に洗脳されていたこと、私がそれに気づいて駆けつけたことなどの経緯を説明した。

 本人は半ば信じがたいというような表情で聞いていたが、途中で何かを思い出したのか最終的に納得した表情に変わる。


「なるほど……助けてくれたんだな。ありがとうアルフィリア」

「いえ、助けるのは当然です!だって優さんは私の……」

「……私の?」

「命の恩人ですから」


 思わず私の大切な人と言いそうになったので、咄嗟に恩人と誤魔化した。

 恩人というのも間違ってはいないので嘘はついていない。


「そんな大げさな。今回は俺が命を救われたんだし、アルフィリアのほうが命の恩人だ。ほんとにありがとな」

「は、はい……ご無事でよかったです」


 正直あれだけ知性のある人魚だと相当な力を有していると思われるので、戦闘になっていたらと思うとゾッとするが、そうならずに助けられてよかった。

 こればっかりは人魚の気まぐれに感謝するしかない。

 

「しかし、これは参ったな……。せっかく身体を洗ったばかりなのにまた濡れちゃったな」

「そうですね」


 優さんは私と自身の姿を見て、頭を抱える。

 まあ、この状況ではまたシャワーを浴びるしかないだろう。

 それよりも私は気になっていることがある。

 それは先ほど優さんの口から出た名前の正体だ。

 感じからして女性だというのはなんとなくわかるが、それと別になにか特別な存在だと思っている感じがして、気になって仕方がなかった。

 ここは思い切って聞いてみよう。


「あの……優さん、聞きたいことが……」

「ちょっと!二人ともどうしたの!?」

「もう!急に飛び出していったと思ったらなんで二人してびしょ濡れになってるの!?」


 私が質問しようしたところで更衣室に残っていた二菜と愛さんが心配してこちらの様子を見に来てくれた。

 愛さんが急いで私たちに駆けよってタオルを渡してくれた。


「なにがあったの?」

「いろいろありまして……」


 愛さんからタオルを受け取り、身体を軽く拭きながら先ほどまでの出来事を説明する。

 二人は信じられないというような表情を浮かべるも、すぐに真実であると理解してくれたようで安堵の表情に変わった。


「大変だったわね」

「でも、二人共無事でよかったわ」

「心配かけてごめん」

「すみませんでした。私も勝手に一人で飛び出してしまって……」

「何言ってるの。あなたのおかげで優は助かったんだし、どちらかといえばそんな変な声にほいほい誘い出されたこのバカ息子がいけないのよ。だから、ありがとうね」

「い、いえ……」


 真正面からお礼を言われて、少しだけ照れくさくなってしまう。

 

「さあ、とりあえず二人とももう一回シャワー浴びてらっしゃい。希さんには私から話をしておくから」

「私はさっきのこともあるので、フィリアと優について行きますね」

「ええ、お願いね二菜ちゃん」

「すみません」


 こうして謎は残ったままではあるものの、この世界での予期しなかった魔物との邂逅は幕を閉じたのであった――。



 

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