第25話 海に行く日の朝

◇優視点◇


 パタン……。


「…………」


 陽が昇り切っていない朝、俺は自室の扉が静かに閉まる音がするのを待ってから、寝たふりをやめて目を開ける。

 

「……なんだったんだ、さっきの」


 先ほどまで部屋にいたであろう人物が出ていった扉を見つめながらそう呟く。

 どういうわけか先に起きていたアルフィリアが俺の部屋に入って来たので、しばらく寝たふりをしていたのだが、なぜか人の寝顔を見ては可愛いと呟いたり、急に頬を突いて遊び始めたりと不可解な行動ばかりしてから部屋を出ていった。

 アルフィリアはなぜあんなことをしたのだろうか。

 あの行動の理由をあれこれ考えてみるが、しっくり来る答えは見つからない。

 本人に直接聞くのが一番だろうが、寝たふりをしていたこともバレて気まずくなると思うと聞くに聞けない。

 

「……とりあえず起きるか」


 今日は海へ行く日なので、早めに起きていつでも出掛けられるように準備しておくほうがいいだろう。

 先ほどの疑問に答えを出そうとしても、本人に聞く以上に確かな答えは得られないと判断して、考えるのを諦めてサクッと思考を切り替える。

 ひとまず俺はベッドから出て、早めに朝食を食べるために一階へ降りることにした。

 

 

「あ、おはようございます。優さん」

「あ、ああ……おはよう」


 下に降りてリビングへ入ると、食卓に座ってコーヒーを飲んでいるアルフィリアが出迎えてくれた。

 先ほどの一件を思い出してしまい、少しだけ挨拶がぎこちなくなってしまったが、アルフィリアは気にした様子もなく「朝ごはん食べますか?」と聞いてくる。

 俺はそれに頷いて返事をすると、アルフィリアは立ち上がろうとしたので俺は慌ててそれを止める。


「いや、自分で用意するからアルフィリアは座ってていいよ」

「でも……」

「今日はトーストだけだから大丈夫」

「そうですか。わかりました」


 アルフィリアが椅子に座り直したのを確認して、俺はキッチンに入って食パンを一枚トースターに入れてスイッチを入れる。

 あとはトーストができるまでの間にバターを用意して、コーヒーも淹れておく。

 しばらくしてチンッ!という音とともにトーストされたパンをお皿に乗せてバターを塗り、コーヒーと一緒にテーブルへと運んでアルフィリアの正面の席に座る。

 俺がトーストをひとかじりしたところで、アルフィリアが口を開く。

 

「海、楽しみですね」

「そうだな」

「私、海で遊ぶなんて初めてです。海で遊ぶって具体的にどんなことをするんですか?」

「まあ俺はあまり行ったことがないから詳しくないんだが、思いつくものだと砂浜で城を作ったりとかビーチバレーとか、あとは普通に海で泳いだりとかだな」

「お、泳ぐ……ですか」


 アルフィリアは泳ぐと聞いた途端、なぜだか微妙な反応をした。

 もしかして……。


「違ってたら悪いんだが、アルフィリアって泳げなかったりする?」

「えっと、その……はい」


 どうやら図星のようで、アルフィリアは恥ずかしそうに目を逸らして泳げないことを認める。

 正直に言ってしまえば……。


「意外だ」


 慣れないことだらけのこの世界で、短い期間の間に色々なことに順応していくアルフィリアに対して、苦手なことはないと勝手なイメージを抱いていた。

 アルフィリアも女神様からの加護というチートをもらった聖女様だったとはいえ、基本的には普通の人間と同じように得手不得手があるのは当たり前のことなのだ。


「だって……泳いだことなんてないですし」

「ごめん。ただアルフィリアはなんでもできるようになるってイメージが強かったから」


 これに関しては俺の偏見でしかないので素直に謝罪を述べる。


「もう!私にだって苦手なことやできないことたくさんありますよ」

「悪かったって」

「ふん!」


 少しだけ気に障ったのか、アルフィリアは頬を膨らませながらそっぽを向いて怒っているという仕草をする。

 この怒っている姿は正直可愛いと思ってしまうだけで怖いとは感じないし、見ていて面白おかしいだけなのだが、本人に言うと本気で怒らせてしまいそうなので黙っておく。


「そう不機嫌になるなって。どうすれば許してくれる?」

「……優さんが私に泳ぎ方を教えてくれたら許してあげます」


 これまた可愛い要求だな、とは思いつつもその言葉は飲み込む。


「そのお役目、謹んでお受けします」

「……なら許します。よろしくお願いしますね?先生」

「はいはい」


 とはいっても俺は水泳を教えられるほど得意というわけではないし、海で教えるというのも波がある分難しいだろう。

 もちろん頑張ってみるが、もし厳しい場合は、また後日プールに行って教えることも視野に入れておこう。

 朝食を食べながらのんびりとした時間を過ごしているうちに、父さんたちが起きてきたので海へ行くための準備を始めるのだった。





 ひと通り準備を終えて早速出発した俺たちは、まず二菜を迎えに来た。


「おはようございます!」

「おはよう柚原さん」

「二菜ちゃん久しぶりー!元気にしてたー?」

「はい!愛さんも希さんもお久しぶりです!今日明日の二日間、よろしくお願いします!」


 二菜はウチの両親に挨拶をすると、車のトランクに荷物を入れてから車に乗り込んできた。


「おはよう二人とも」

「おはよ」

「おはようございます」


 俺とアルフィリアは挨拶を返しながら、二菜が座れる分のスペースを作るために少し距離を詰める。

 二菜は空いたスペースに座り、すぐシートベルトをつける。

 

「それにしても、まさか泊まりで海に行くことになるなんてね」

「そうだな」


 夏休み前、両親に海へ遊びに行く話をしたところ、海の近くに知り合いが経営している旅館があるらしく、せっかくならそこで一泊していかないかという話になったのだ。

 ただ海へ遊びに行くだけのつもりがいつのまにかプチ旅行に変わっていたのだが、遊べる時間が増えただけなので当然文句など出るはずもない。

 それにアルフィリアにとっては初めての外泊になるのだから、むしろいい機会だと言える。

 そうこうしているうちに、二菜のお母さんに挨拶をしていた父さんたちが車に戻って来た。


「では、うちの娘をよろしくお願いします」

「はい、お預かりします」

「二菜、皆さんに迷惑を掛けないようにね」

「わかってるわよ。いってきます」

「はい、いってらっしゃい」


 二菜のお母さんへの挨拶を済ませると、いよいよ海へ向けて車を走らせる。

 

「そういえば父さん」

「ん?」

「俺たちが今日泊まる旅館ってどんなところなんだ?」

「実は僕たちも行ったことがないから詳しくは分からないんだ。でも、温泉もあるし、海の近くで景色もいいところだって」

「ちなみに結構お高い旅館よ」

「マジか」


 父さんたちも行ったことがないらしいが、聞く限りでは中々いいところのようで価格もそれなりの場所のようだ。

 

「それ、ほんとに私も一緒でよかったんですか?海は別の機会にして、家族水入らずで行った方がよかったんじゃ……」

「そんなこと気にしなくていいのよ。私たちが誘ったんですもの」

「そうだよ。優がいつもお世話になっているようだしね」

「どこが……」

「学校でまともに話してくれるのは彼女くらいじゃないのかい?」

「うっ……」

「ぷふっ……!」


 父さんに図星を突かれ、思わずしかめっ面をする。

 二菜に至っては笑われる始末だ。


「やっぱり、優さんって学校だとご友人が少ないんですね」

「やめてくれアルフィリア……その言葉は俺に効く」

「ご、ごめんなさい!」


 アルフィリアの言葉が俺の心にクリティカルヒットする。

 こんな風に言われてしまうのであれば、夏休み明けの目標に友人を作ることを加えたほうがいいかもしれない。

 

「でも、私は学校での優さんを知らないので興味があります」

「私たちも知りたいわね。この子全然話してくれないもの」

「おいやめろ」

「まあなんとなく予想はできるけどね」

「じゃあせっかくだし、優のクラスでの様子とか中学のときの話とかしましょうか」

「ぜひお願いします!」

「馬鹿やめろ!なにがせっかくだ!」


 本人の居る前でなんて話をしようとしているんだ。

 二菜が構わず話始めようとするので俺は慌てて止めに入ろうとするもアルフィリアに腕を掴まれ、それもかなわない。


「離してくれアルフィリア!俺は二菜の口封じをする!」

「ごめんなさい。私も気になるので……それに優さん約束しましたよ?学校でのお話を聞かせてくれるって。それを守って下さらない優さんが悪いです」

「……あー」


 言われてみれば確かに、以前ショッピングモールでアルフィリアとそんな約束をしたような気がする。

 だからといってここで暴露されてもいいはずがない。


「そ、それはまた今度の機会に……な?」

「後でも話せるのであれば、今でも問題ないですよね?」

「いや、それは……」


 どうやらアルフィリアはもう待つつもりはないようだ。

 最近のアルフィリアは強引なことが多く、遠慮も段々しなくなってきた。

 それはいいことなのだが、この場においては俺にとって非常によろしくない。

 

「それじゃあ学校での優はねー……」


 なんとかアルフィリアの拘束から逃れようとするも力及ばず、抵抗も虚しく二菜の口から俺の普段での学校生活や中学校での恥ずかしい黒歴史などが語られていく。

 挙句の果てには母さんたちまで幼少の頃の話までし出すものだから、俺はもう頭を抱えるしかなかった。

 

(……いっそ殺してくれ)


 車内は俺の昔話で盛り上がり、恥ずかしさのあまり心の中でそんなことを呟く。

 それから目的地に着くまでの数時間の間、俺は心を無にしながらこの生き地獄を味わうことになるのだった――。

 

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