第18話 梅雨と悪戯

◇優視点◇


 アルフィリアがこの世界に来てから、一か月が経った。

 今では家事なども問題なくこなせるようになってきているし、この世界の常識の部分も少しずつ覚え始めているので、こちらでの生活は今のところ順調だ。

 最初に比べて表情も豊かになってきて、もう聖女であることに固執していないようにも見える。

 笑顔も増えてきたので大変喜ばしいことではあるのだが、最近は何故だかスキンシップを取ることが増えてきて、大変心臓に悪い。

 二菜と二人で出かけたときから触れ合いが増えたような気がするので、その時何か心境の変化のようなものがあったのだろうが、何があったのかを聞いても教えてはくれなかった。

 無理に聞き出すわけにもいかないので、現在は己の精神を鍛える修行だと思うことにしている。

 色々な変化がありつつもなんだかんだ順調な日々なのだが、今日ちょっとした問題に直面し、俺は学校の校舎の入り口で途方に暮れていた。


「……はぁ」


 深いため息をついている理由は、目の前の雨である。

 今は6月、梅雨の時期だ。

 近頃は雨の日が多くなっているので、例に漏れず今日もそんな一日だっただけに過ぎないのだが、問題は今手元に傘がないことだった。


「まさか、取り違えられるとはな……」


 今日は昼から雨予報だったので傘を持ってきていたのだが、校舎入り口に設置されている傘立てに、挿しておいたはずの自分の傘の姿は見当たらない。

 要するに誰かが間違えて俺の傘を持っていったのである。

 

「名前、書いてあったんだがな……はぁ……」


 このような状況にならないためにも傘に名前を書いていたにも関わらず、間違えて持っていかれたことにまた深いため息を零す。

 雨の勢いはそれなりに強く、傘を射さずに帰るのは少し厳しい。

 しっかりと傘を持ってきたというのに、別の誰かのせいでこんな状況になっていることに怒りを覚えるが、誰が持っていったのかもわからないのでどうしようもない。

 職員室に行けば傘を借りられるだろうが、正直気が進まない。


「……優?」

「ん?」


 後ろから聞き覚えのある声で名前を呼ばれたので振り返ると、黒い傘を持った二菜がすぐ後ろに立っていた。


「どうしたの?こんなところでぼーっとして」

「この雨の中、傘がなくてどうしたもんかと途方に暮れているだけだ」

「傘?持ってきてなかったの?」

「もちろん持ってきてたぞ」

「じゃあどうして……」

「……誰かが間違えて持っていったんだよ」

「ああ……それは災難ね」

「やはり職員室で傘借りるしかなさそうだな……」

「それは無理だと思うわよ?」

「なんでだ?」


 傘を忘れた生徒が傘を借りることはよくある話だ。

 できないなんてことはないはずだ。


「もう貸し出し用の傘は全部なくなってたからよ」

「……マジ?」

「マジ。さっきまで職員室にいたから間違いないわ」

「…………」


 なんということだ。

 よりにもよって今日、貸し出し用の傘が全部貸し出されるなんて。

 いくらなんでも運が悪すぎるだろ。


「……じゃあ私の傘に一緒に入る?」

「えっ?」

「このまま濡れて帰るのは嫌でしょ?」

「それはそうだけど……」


 さすがに男女二人で同じ傘に入るのは、いくら幼馴染といえど恥ずかしい。

 それに万が一クラスの誰かに見られたら、二菜が変にいじられる可能性がある。

 俺はクラスの奴らから話しかけられることは滅多にないので心配ないが、友達が自分のせいでネタにされるのはやはりいい気はしない。


「や、やっぱり濡れて帰るから」

「はあ?なに?私と一緒の傘に入りたくないってこと?」


 一緒の傘に入って帰るのが嫌だと思われたせいか、二菜は少し不機嫌そうに眉間にしわを寄せる。

 もちろん嫌というわけではなく、単純に恥ずかしいだけだ。


「そういうわけじゃないけど……誰かに見られでもしたら恥ずかしいし」

「今更気にする必要ある?」

「あるだろ。いくら幼馴染といっても、周りから見ればその……か、彼氏彼女に見られかねないというか……」

「……べつに、見られてもいいんだけど」

「えっ?」


 二菜が目を逸らしながら何か呟いたように聞こえたが、声が小さすぎて聞こえなかった。

 

「悪い。いまなんて言ったんだ?」

「な、なんでもない!とにかく拒否権ないから!濡れて帰ったら風邪引くし、フィリアも心配するでしょ!」

「えぇ……じゃあ、その……宜しくお願いします」

「最初から素直にそういえばいいのよ」


 というわけで若干押し切られたような気もするが、確かに濡れて帰ってはアルフィリアが心配してしまうので、ここは素直に甘えることにする。

 身長差的に二菜が傘を持って歩くのは厳しいので、俺が傘を持つことになった。

 二人で同じ傘に入って歩き出す。

 そういえば小学生のころだったか、傘を忘れた二菜と一緒に同じ傘に入って帰ったことがあった。

 あの時とは立場が逆だが、少しだけ懐かしい気持ちになる。


「……昔こんな風に同じ傘に入って一緒に帰ったことあったわね」

「よく覚えてるな」


 どうやら俺と同じことをもい出したらしい二菜は、懐かしそうに目を細めている。

 あのときはお互いの体は小さく、同じ傘に入っても二人とも濡れることはなかったが、今は俺の肩が少しはみ出て雨に濡れてしまっている。

 

「あのときの優はまだ私と同じくらいの身長だったのに、今はこんなに大きくなっちゃって……」

「誰目線だよ……。それにあのときは俺のほうが確実に背が高かったぞ」

「身長ごときでなにムキになってるの?ウケる―」

「ムキになってないし」

「目、逸らしてるじゃない」

「うるさい馬鹿」

「馬鹿って言った!?」

「おい!押すなよ馬鹿!濡れるだろ!」

「あー!また言ったわね!」


 俺と二菜は、いつものように言い合う。

 傍から見れば、喧嘩してるようにも見えるやり取り。

 俺たちの関係性を言葉で表すならば、『喧嘩するほど仲がいい』だろう。

 仲がいいからこそできるこういう会話が、俺は好きだ。

 なんだかんだ二菜といるのは気楽で、居心地がいいとさえ感じる。

 この先もこんな関係が続けばいいと思いつつ、二菜としばらく言い合いをしながら歩いて行った。



 それからしばらく言い合いをしたり雑談したりしているうちに。いつのまにか俺の家の前へと辿り着いた。

 肩が若干濡れてしまったものの、二菜のおかげで全身濡れずに済んだので非常に助かった。


「今日は助かった。ありがとな」

「いいわよ別に」

「そうだ。お前もちょっと濡れたみたいだし、よかったら上がって乾かしていくか?傘に入れてもらった礼に茶くらい出すぞ」

「んー……どうしようかな」


 俺の提案に二菜は考えるような仕草をする。

 いつもなら迷わず「お邪魔するわ」と言って上がっていくのだが、今日はなんだか乗り気ではないようだ。

 どうしたのだろう、と考えようとしたところで玄関の扉が開いた。


「あ、声がしたのでもしやと思いましたが……おかえりなさい優さん……と二菜?……二人一緒だったのですか?」

「ああ、ちょっと色々あってな」

「こんにちはフィリア」


 どうやら俺たちの声がしたので、出迎えようとしてくれたようだ。

 不用心に扉を開けるものではないと思うのだが、まあそのことはまたあとで軽く注意することにして、ちょうどよかった。


「すまないがアルフィリア、タオルを二枚持ってきてもらっていいか?」

「タオル?……ああ、雨に濡れてしまったのですね」

 

 俺と二菜が若干濡れているのを見て察してくれたようだ。

 「すぐに持ってきます」とアルフィリアが取りに行こうとしたところで、二菜が声を掛ける。


「待ってフィリア、私の分はいいわ。私はこのまま帰るから」

「えっ?でも風邪ひいちゃいますよ?」

「これくらい平気よ」

「別にここで乾かして行ってもいいんだぞ?」

「大丈夫よ。今日は少しやること思い出したから」


 どうやら先ほど考えていたのは、やることがあるから早めに帰るべきか上がっていくかを悩んでいたということだろうか。

 まあ急いでいるのならば止める必要はない。

 濡れているといっても肩が少し濡れているくらいなので、二菜の言う通り家でしっかり乾かして身体が冷えないようにすれば風邪をひくことはないだろう。

 このお礼はまた別の形で返せば問題ないのだ。


「わかった。それじゃあ気を付けて帰れよ」

「ええ。それじゃあフィリア、またね。優もまた学校で」

「ああ」

「はい、また」

「あ、そうだ」

「?」


 帰ろうとしたところで、二菜は思い出したかのように自身の鞄からなにかを漁り始める。

 そして彼女が鞄から取り出したそれを見て、俺は目を疑った。


「……はっ?なんでそれ……」

「ふふっ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべながら彼女が鞄から取り出したのは、折り畳み傘だった。

 それじゃあ、二菜と一緒に使った傘はいったいなんだ……?

 あの傘の正体に思考を巡らせようとしたところで、二菜は手に持っていた黒い傘を俺に差し出す。

 

「はい、これ返すわ」

「……えっ?」


 よくわからないまま彼女から傘を受け取る。

 そしてその傘をよく見てみると、見覚えのある傘で……。


「こ、これ!俺の傘じゃねえか!」

「今更気が付いたの~?」

「お前な……」

「えっ?どういうことですか?」


 どうやら俺は二菜に嵌められたようだ。

 彼女はあらかじめ俺の傘を持ち出し、俺が来るのを入り口近くで待っていたのだ。

 そして知らないふりを装って傘を持ち出されたと勘違いして途方にくれている俺に声を掛け、一緒の傘に入る口実を作ったのだ。

 職員室の貸し出し用の傘がもうないというのは彼女のでたらめだ。

 二菜は自分の傘だと言っていたので特に疑うこともなかったが、よくよく見れば俺の傘だ。

 全く気が付かなかった俺も間抜けだったのだろう。

 

「ちなみに名前が書かれてたシールは剝がしちゃったから、また張り直す事ね」

「まったく……。なんでこんなこと」

「さあ?ちょっとした悪戯というか、宣戦布告?」

「宣戦布告って……俺、なんかしたか?」

「さあ?……ね?フィリア?」

「……!なるほど、そういうことですか」

「えっ?もしかして状況知らないの俺だけ?」


 二菜が意味ありげなことを言いながらアルフィリアに目配せすると、アルフィリアはその意味を理解したらしい。

 なにやら俺の知らない間にこの二人の間で何かがあったようだが、それが何か全く分からない。

 喧嘩じゃなければいいが……。


「今度からこうやって悪戯されないように、優も折り畳みの傘にした方がいいと思うわよ?」

「……余計なお世話だ」

「それじゃあね~」


 そう言って二菜は自分の折り畳み傘を広げて、帰っていった。

 まったく、とんでもないことを思いつく奴だ。

 どうしてこんな悪戯をしたのかはいまいち理解できないが、今日のようなことにならないために、今度折り畳み傘を買うことを密かに決意するのであった――。

 

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