第12話 聖女の独白
◇アルフィリア視点◇
『どうせ聖女様がなんとかするだろ』
『なんとかしてよ聖女様』
『聖女って不愛想よね』
『きっと私たちのことを見下してるわ』
街中を歩くたびに聞こえてきた人々の声が聞こえてくる。
すでに聞きなれてしまった言葉の数々、国民から向けられる冷めた視線。
国民の為に、聖女としての使命を全うしているだけなのに。
なぜ、こんな言葉しか聞こえてこないんだろう。
なんで、どうして、私を見てくれないのだろう。
『お前は聖女以外の何者でもない』
―—私……なんで聖女なんかやっているんだろう。
「……はっ!」
気持ちの悪い夢から逃げ出すように目が覚める。
視界に映るのは、ここ最近見慣れてきた天井だ。
どうして、私はベッドで寝ていたのだろうか。
とにかく、周囲の確認をしなくては。
そう思って起き上がろうとするが、身体に力が入らない。
「……無理して起き上がらない方がいいぞ」
「えっ?」
突然聞こえてきた声の方に顔を向けると、ベッドの横で優さんが椅子に座ってこちらを見つめていた。
「なんで、優さんがここに……?」
「お前の看病をしているからに決まってるだろ」
「……看病?」
私の看病とはどういうことだろうか。
そもそも私は、さっきまで家事をしていたはずだ。
いつベッドに入ったのだろう。
「お前、リビングですごい熱出して倒れていたんだぞ。覚えてないか?」
「…………あっ」
そこまで言われて思い出した。
私……掃除を終えた後、気分が悪くて、その後……。
記憶が鮮明になっていくにつれて、背筋が凍りついていくような錯覚に陥っていく。
「も、申し訳ございません!私、洗濯物……」
「いや、それは別にいい。干してはあったから、取り込んで畳むだけだったからな」
「ですが……」
私は任された仕事をちゃんとやれなかった。
それどころか私なんかが体調を崩してしまったばっかりに迷惑まで掛けてしまった。
ただでさえ、ここに置いてくれているだけでも迷惑だろうに。
「それよりも、体調のほうはどうだ?動けそうか」
「……申し訳ございません。まだ、動くのは辛いです……」
「そうか。まあしばらく安静にしていてくれ。俺は母さんたちに目を覚ましたことを……ん?」
「…………えっ」
部屋から出ていこうと立ち上がった優さんの袖口を、私は無意識に掴んでいた。
私は自分の行動に驚き、困惑する。
どうして、私は優さんを引き留めているのだろうか。
わからない。
とにかく、優さんが困っているから離さないと。
「ご、ごめんなさい」
「……まあ、報告は後でいいか」
優さんはそう言うと、また座り直した。
「…………」
本当は優さんのことを引き留めるべきではないのに、ここに残ってくれたことに安堵している自分に気づく。
(ああ……私は寂しかったんですね)
誰でも感じることのある感情のはずなのに、その感情を長らく忘れていた。
必要ないと自分で切り捨ててから、もう何年も感じてこなかったのに。
そんな感情が自分に残っていたことを、少しだけ嬉しいと感じる。
「……なあ、聞いてもいいか?」
「?……はい、どうぞ」
「…………アルフィリアは、聖女になりたくなかったのか?」
「えっ……?」
どうして、そんなことを聞いてくるのだろうか。
「それは、どういう……」
「……うなされてたときに、『なんで聖女なんかやっているんだろう』って言ってたから」
「…………」
さっきまで見ていた夢の中の自分が、口にした言葉を優さんも口にする。
夢にうなされていたとはいえ、まさか自分がそんなことを言っているなんて信じられなかった。
抱いてはいけない感情、考えてはいけないことだったソレを押し殺し続け、もう自分の中には残っていないとさえ信じ込んでいた想い。
だが、優さんも実際に聞いて口にしているのだから、確かに私の口から出た言葉なのだろう。
「…………」
「…………」
私は何も答えられず、優さんは私の言葉を待っているが故の沈黙が場を支配する。
どう答えるべきだろうか。
ここはやはり、夢の中の自分が一時の気の迷いで言った言葉が出ただけだと笑って誤魔化すか。
これ以上、余計な心配をかけないためにも……。
「……きっと、もう疲れていたのだと思います」
あれ?と思ったときにはもう遅かった。
「どれだけ人を助けても、国の為に尽くしてもッ…………!」
私はなにを言っているのだろう。
こんなことを言うはずじゃなかったのに。
止まらないと……。
「誰も
もう、抑えられなかった。
吐き出すように、叫ぶように、言葉が口から飛び出していく。
感情が涙となって流れ出す。
「…………」
優さんはなにも言わなかった。
溜め込んだものを吐き出しきるのを待っているかのように。
「最初は聖女であることに誇りも持っていて、必ず人々の、国のお役に立つという思いさえあありました……。でも、次第に私が誰かの為に何かを成す事は当たり前のことだと、私を見るようになったんです……。それを私は見て見ぬふりをして、気にしないように感情を押し殺して、ただ聖女としてやるべきことをするだけの、人形のような存在になっていたんです……。そうすることでしか、自分を守れなかったんです……。向こうの世界に戻ってからも……そうやって生きていくしかないって思っていたのに……」
震える声で、弱音を吐き出していく。
「でもダメなんです、もう……!私、聖女なのに……!あの世界に戻らなくちゃいけないのに……居場所がないんです……」
向こうへ戻れたとしても、聖女としての居場所すら奪われているかもしれない。
最初からアルフィリア・マルガゼントの居場所などない。
「……こんなこと考えちゃダメなのに、この世界でこのまま生きていけたら……なんて考えてしまったんです」
きっとこの家の人たちの温かさが、私の求めていたモノ、憧れていたモノだったから、手放したくなくて……身勝手で、無責任な願い。
「……私……どうしたら、いいんでしょう?」
最後に出たのは、そんな言葉だった。
もう全部言ってしまった。
もはや愚痴のような独白だ。
優さんの顔を見るのが怖くて、背中を向けるようにして寝返りを打った。
「…………」
「…………」
また二人の間に沈黙が流れる。
今度こそ、追い出されるのだろうか。
そんな考えが脳裏をよぎる。
もしそうなら、仕方のないことだと思う。
ここにいる条件として言い渡らされた家事をこなすことができず、さらには倒れて迷惑を掛け、私の愚痴で困らせているのだから。
「……いいんじゃないか?戻りたくないのならここにいれば」
「えっ……」
優さんから返って来た声は、想像していたものとは真逆のもので、思わず再び寝返りを打って、優さんの顔を見てみると、今までに見たことがないほど優しい表情をしていた。
どうして、そんな表情ができるのだろうか。
これだけの失態、醜態を晒したのに。
どこまで、優しいのだろう。
「あの、私……ここにいてもいいんですか?」
「……戻っても辛い思いをするだけなら、戻らなくていい」
「でも……私は聖女で、その役目を」
「知らん。聖女として人に尽くしてきたのは立派だと思うが、それでお前になにか得でもあったか?少なくとも今聞いている限りでは、ただ周りにはやって当然だ、みたいなことを言われてきたんじゃないのか?」
「それは……」
「……もしお前の優しさを、責任感を、都合のいいように使う奴らがいる場所にお前が本当に戻りたいのなら、俺も止めない」
「…………」
「でも、お前が戻りたくないと思うなら、俺たちを頼れ。聖女としての言葉じゃなくて、アルフィリアの言葉で本心を聞きたい」
優さんはなにか決意のようなものを宿した目でまっすぐ私の目を見つめて、返事を待っている。
―—ずるい。
そんな言葉で言われてしまったら、私は……。
「私……ここにいたいです」
「……そうか。それがお前の本心なら、それを大事にしろ。少なくともここでは、聖女である必要はない」
「……!」
『聖女である必要はない』なんて、その言葉はあまりに無責任なもののはずなのに、私は心が軽くなるのを感じた。
まるでアルフィリアという1人の人間を、初めて認めてもらえたような気がした。
私が、ずっとほしかった言葉をこの人はくれたのだ。
「……ありがとう、ございます……!」
また涙が流れ出てくる。
でも、これは嬉しいから流れる涙だ。
生まれて初めて嬉しさで泣いたのだ。
ふいに、私の頭になにかが触れる。
優さんの大きな手が、優しく私の頭を撫でているのだ。
「ゆ、優さん……!?」
「ああ、悪い。勝手に触ってしまって」
「い、いえ……そういうわけではなくて……!」
初めて誰かに撫でられた。
しかも同い年の男性に撫でられて、私の心臓が突然早鐘をうつ。
ただでさえ高かった体温が、さらに上昇していく。
「……とりあえず、今後どうするかは母さんたちとまた話をするとして、今回のことに関して俺から言いたいことがある」
優さんは撫でるのをやめ、改まって話をし出す。
もしかして、今度こそお怒りの言葉でも貰うのだろうか。
「今後絶対に無理をするな。倒れられたら元も子もないんだからな」
「……怒らないんですか?」
「怒っているぞ?お前が無理して、倒れたことに関してな。倒れたら余計な手間が増えるだけだろ、まったく」
「うぐっ……」
先ほどの優しい表情からいつもの優さんに戻ったかと思えば、痛いところをついてくる小言を投げつけて来る。
その通りなので、弁明のしようもないのだが……。
「だから、もし体調が悪いとか、困ったことがあれば俺や母さんたちに必ず言え」
「……はい、気を付けます」
「よろしい」
そういって、優さんはまた私の頭を撫でる。
どうして頭を撫でるのだろうか。
「さて、今度こそ俺は母さんたちにお前が目を覚ましたことを伝えに行ってくる。ちなみに腹は空いているか?」
「あ、えっと……少しだけ」
「ならついでにおかゆも持ってくるから」
「あ、あの……ご迷惑を」
「今更だから気にするな。また戻ってくるから寝て待ってろ」
「は、はい……」
優さんはそういうと、立ち上がって部屋を出ていった。
「…………」
私は優さんが出ていった扉を見つめたままぼーっとする。
先ほど撫でられたところを無意識に触る。
なんだか優さんに撫でられるのは心地が良くて、手が離れていくのを名残惜しいと感じてしまった。
また撫でられたい、なんて私はどうかしてしまったのだろうか。
この気持ちは何なのか、わからない。
撫でているときの優さんの顔を思い出し、私は恥ずかしくなって布団を頭まで隠すようにして被る。
ほんとにどうかしてしまったのだろう。
きっと、ここにいても良いと言ってくれたことが嬉しくて、舞い上がっているからだと思いたい。
この気持ちの正体を、いつか見つけられるだろうか。
見つけたときに、何かが変わる予感がしているのだ。
「……ふふ」
自然と零れた笑みの意味も分からず、私は布団に隠れたまま優さんが戻ってくるのを静かに待つのだった。
◇優視点◇
俺はアルフィリアの部屋から出て、扉に背を預けてへたり込んでいた。
妙な胸騒ぎを感じ、急いで学校から帰ってくるとアルフィリアがリビングで高熱を出して倒れていたのでさすがに焦ったが、目を覚まして本当に良かったと思う。
そして今は、さっきアルフィリアの愚痴のような独白を聞いて、思わず無責任な発言をしたことを自覚して頭を抱えているところだった。
気が付けば『ここにいればいい』なんて、できるかもわからないことを口にしていたのだ。
だがアルフィリアの泣いている表情があの人と重なって見えて、もし向こうの世界に戻れたとしても、あの人と同じようになってしまうのではないかと思うと、そう言わずにはいられなかった。
もう言ってしまったのだから、ちゃんと母さんたちにも話をしなくてはいけない。
「でも……」
俺は自分の右手を見つめて、ため息を零す。
さっき俺は、アルフィリアの頭を撫でた。
ふと、そうしたいと思ったときには手が動いて撫でていたのだ。
どうして、そんな風に思ったのかわからない。
でも……。
「……可愛かったな、ちくしょう」
頭を撫でたアルフィリアは、いつもの大人びた雰囲気はなく、甘えた子猫のような可愛さがあった。
もし、また撫でたら同じ表情が見られるのだろうか……なんて邪な考えが浮かんだところで、それを振り払うように頭を振る。
「……とりあえず、報告しないとな」
とにかく今は母さんたちにアルフィリアが目を覚ましたことの報告とおかゆの準備をしなくてはいけないので、そんなことを考えている場合ではない。
こんな考えは時間が経てば忘れていくものだ。
きっと今だけの気の迷いだ。
そう自分に言い聞かせて、当初の目的通りそわそわしながらアルフィリアの心配をしている両親を安心させるべくリビングへと向かうのだった――。
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