第6話 聖女様と朝食
◇アルフィリア視点◇
「んっ……」
部屋のカーテンから差し込むほのかな日の光で目を覚ます。
見慣れない天井だが、知らない場所ではない。
(朝……ですか。やはり夢ではなかったですね)
目に映った景色が優さんの部屋なので、異世界へ迷い込んだことは紛れもない現実のようだ。
もうこの現実は受け入れて、これからどうするのかを考えていくしかないのだ。
一度ベッドを出て、手を上の方に上げながら大きく伸びをして、凝り固まった身体をほぐしていく。
「んぅ……!ふぅ……」
昨夜はぐっすり眠れたこともあり、疲れはほとんど感じない。
これも部屋を貸してくた優さんや、気遣ってくれた愛さんや希さんたちのおかげである。
(そういえば、今日は買い物に行くんですよね)
今日は私のための日用品を買いに行くことになっている。
なにからなにまで私の気を遣い、世話を焼いてくださるこの家の方々には頭が上がらない。
起きたままここでぼーっとしているわけにもいかないので、下の階へ降りることにして、部屋を出る。
階段へ続く廊下に出ると、他の方たちはもうすでに起きているのか、一階からいい匂いがする。
朝食を作っているのだろうか。
いやそれより……。
(私、寝坊してる……!?)
聖女として生活していたときは、陽が昇りきる前に起きるのは当たり前のことだったので、今回はだいぶ遅く起きたことになる。
カーテンから差し込む光からも、日は完全に昇りきっていたのは明白だ。
居候である私が、この家の方たちより眠りこけていることなどあってはならない。
私は急ぎ足で階段を下りて、リビングへと向かった。
「……あれ、もう起きたのか?早いな。おはよう」
「はぁ……はぁ……おはよう、ございます」
リビングへと入ると、優さんがテーブルに作ったであろう料理を運んでいるところだった。
希さんや愛さんの姿が見えないので、まだ寝ているのだろうか。
「どうした?息が上がってるようだが」
「い、いえ……寝坊してしまったと思って……」
「寝坊?いやまだ朝の6時半だけど……」
「あ、えっと、その……前は陽が昇りきる前に起きるのが当たり前だったもので……」
「あー……それで目を覚ましたら既に陽が昇っていて、キッチンで俺が朝飯作ってたから寝坊したと勘違いして慌てて降りてきた、と」
「は、はい」
ばっちりと言い当てられ、恥ずかしくなる。
「少なくとも、ここにいる間は陽が昇る前に起きたとしても基本的にみんな寝てるからすることないぞ。だいたいこのくらいかもう少し遅い時間でいい」
「わ、わかりました」
愛さんや希さんも起きてきていないことを考えると、ここではこのくらいの時間に起きることは普通のことらしい。
それでも、優さんが言うにはこの時間でもまだ早いという。
だとすれば、起きてから朝食を作っている優さんはもっと早く起きていたことになる。
「とりあえず、もう朝食食べる?食べるならアルフィリアの分も用意するけど」
「……はい、いただきます」
「わかった。すぐできるからテーブル座って待ってて」
「あの、何か手伝うことは……」
「いや、特にない。卵とベーコン焼いて、パンをトーストするだけからな」
「そ、そうですか」
どうやら手の込んだ朝食ではないから手伝いは不要とのことらしい。
さっそくお役に立てるチャンスが来たと思っていたので、少し肩を落としてしまう。
「……そうだ。この二つ、テーブルに持って行ってくれないか」
そんな私の様子を見かねたのか、優さんが四角い箱と茶色い液体が入った容器を私に渡す。
「これは?」
「バターと醤油だ」
「バター……としょうゆ?」
バターは私のいた世界にもあったので分かるが、しょうゆというのは聞いたことがない。
「醤油を知らないか。まあ大豆って豆からできる調味料なんだが……まあ今回は卵焼きにかけるものだと思っててくれ。卵焼きにも醤油のほかにソースや塩をかける場合もあるが、ウチは基本的に醤油だ」
しょうゆというものは卵を焼いたものにかけるものだと優さんが教えてくれる。
昨日食べたピザからもわかるように、この世界には食に関しても私の知らないことがたくさんあるようだ。
「わかりました。ではこちらは持っていきますね」
「よろしく。朝飯はすぐできると思うから待っててくれ」
「はい」
私は言われた通り、バターと醤油を持っていき、テーブルの真ん中あたりに置く。
優さんが自分用に作ったであろう朝食は、焼いた卵に、肉の燻製を焼いたもの、四角いパンをあぶったものだった。
どれも新鮮な食材で作られているのがわかり、とてもおいしそうだ。
キッチンからもいい匂いがしているので、段々とお腹も空いてくる。
「お待たせ。こんなもんしか作れないが……」
しばらくすると、優さんが朝食を持ってきて、私の目の前においてくれた。
受け取りに行けばよかったと少し後悔もしたが、いまさら言ってもしょうがない。
朝食の内容は優さんのものと同じだ。
「いえ、ありがとうございます。とてもおいしそうです」
礼を述べると、優さんは少し照れくさそうにしながら「そうか」と言って、自分の分が置かれている正面の席に座った。
そして手を合わせて、小さく「いただきます」と言って、食べ始める。
私もそれに倣い、手を合わせ、同じように「いただきます」と言ってから、パンにバターを塗ってからを口に運ぶ。
ザクッという食感と柔らかな食感、バターの濃厚な味に小麦の優しい味が口の中で広がる。
すごい、こんなパンは初めてだ。
「んっ……とてもおいしいです」
「そうか。といっても、パンはトーストしただけだけどな」
少なくとも私の知っているパンはこんな四角くないし、お世辞にも柔らかいとは言えない。
どちらかといえば、パリっという食感の固いもので、スープに浸して食べるイメージだ。
「この世界のパンって、すごく柔らかいんですね」
「食パンはそうだな。柔らかいものが多いが、あえて固くしているものもあったと思う」
「そうなんですね」
この四角いパンは『食パン』というらしい。
他にもいろんな種類のパンもあるそうで、いずれ機会があれば食べてみたいと思った。
卵焼きに『しょうゆ』というのを付けたもの、焼いた燻製肉も、優さんが作ってくれた朝食は、本人は大したものじゃないと言っていたが、どれもおいしい。
「……そういえば気になっていたんですが、聞いてもいいですか?」
「ん?なんだ?」
私が声をかけると、食べる手を止め、私の方に顔を向けてくれた。
「……優さんって、私がここにいることに反対していたと思うのです。それは当然の反応だと思います。……やはり、優さんにとって私は迷惑……でしたか?」
「……」
優さんは最初愛さんの言葉に反対し、喧嘩になりそうな言い合いをしていた。
希さんの声によって止められ、ご両親の説得もあり、優さんも渋々と言った感じで受け入れてくれていたが、内心ではここから去っていってほしいと思っているかもしれない。
今はそんな様子を微塵も見せないので、気になって聞いてしまった。
優さんは一度ため息をしてから、口を開く。
「たしかに一度反対はした。こちらにメリットはなかったからな」
「……っ」
「でもうちの親がお人好しでね。そうと決めたら曲げないし、逆らっても小遣いを減らすとか脅されて、無理やりにでも言うこと聞かせようとしただろうからな。そっちの方がデメリットとして看過できなかっただけだ」
優さんは淡々と、仕方がないといった風に説明する。
本意ではない、というように。
(まあ……それが普通、ですよね)
心の中で、落胆する。
そんな風に思ってはいけないのに。
私は思わず、俯いてしまう。
「……まあ、でも」
「……?」
「あのまま追い出しても、俺も寝ざめが悪かっただろうし、どっかでアンタが倒れでもしてたら、きっと後悔しただろうからな。結局俺も最終的には母さんと同じことを言っていたかもな」
「きっと後悔しただろう」とぶっきらぼうに優さんはそう言った。
その言葉に顔を上げると、恥ずかしいからなのか目を逸らしている。
(……この人も、どこまでいってもあのお二方の息子さんということですね)
そう思ったら、自然と笑みが零れる。
思えば、最初に出会ったときも、私の話を聞こうとしてくれていた。
普通なら聞く間もなく追い出すだろう。
捻くれている部分もあるが、根は優しい人なのだろう。
「……コーヒー淹れて来る。アルフィリアは?」
「えっあ、はい。お願いします」
『こーひー』がどんな飲み物か分からないが、私がそう答えると、優さんは逃げるようにして席を立つ。
もしかして、自分の言った言葉に照れているのだろうか。
だとすれば、少し可愛らしい一面もある人だなと思う。
「はい。インスタントだけど」
席を立ってからそう時間も経たず、『こーひー』の入ったカップを二つ持って、戻って来た。
そのうちの一つと、紙でできた棒状の物を2本私の前に置く。
その飲み物は黒かった。
大丈夫なのだろうか。
優さんは自分の分を普通に飲んでいるので、悪いものではないだろうけど。
ひとまずカップを手に取り、いい香りのする『こーひー』を口に入れる。
「……苦いっ!」
その飲み物は香りとは裏腹に、とにかく苦かった。
思わずしかめっ面をしてしまった。
「わ、悪い。もしかしてコーヒー初めてだったか?」
「は、はい……」
「一応砂糖を入れて飲むんだが……」
優さんは私の前に置かれた2本の棒のようなものを指さす。
どうやらこれは砂糖らしい。
「ちょい貸して」
優さんにカップを渡すと、2本の棒状の砂糖の上部を破いて、中身をコーヒーの中に入れて、私に渡す。
「ほい」
「あ、ありがとうございます」
私のいた世界の砂糖は庶民が手に入れるのは難しく、かなり高価なものだ。
何のためらいもなく使っているところを見ると、この世界では調味料の類は手に入れやすいのかもしれない。
砂糖の入ったコーヒーを口に入れると、先ほどまでの苦みは和らぎ、ほんのり酸味のある味わいに変わる。
だが、やはり少し苦みも感じるので慣れるのに時間がかかりそうだ。
「まだ飲みづらそうだな」
「す、すみません」
「いや、砂糖入りでも苦手な人も結構いるからな」
「そうなんですね」
「ミルクも入れるとさらに飲みやすいんだが……今切らしててな」
「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
ミルクがないことを申し訳なさそうに言う優さんに、大丈夫だと伝える。
「ふぁぁ~……あら~、二人とも早いわね」
朝食を楽しんでいると、愛さんたちがリビングへと入って来た。
「おはよう2人とも。アルフィリアさんはよく眠れたかな?」
「おはようございます。おかげさまで」
お二人に挨拶を返す。
「それはよかった」
「母さんたち、朝飯どうする?」
「僕はコーヒーだけもらおうかな」
「私はトーストだけいただくわ~」
「はいよ」
優さんは二人の要望を聞き、用意するために立ち上がる。
私もお手伝いを、と席を立とうとしたら優さんにやんわりと止められ、「母さんたちの相手しておいてくれ」と言って、優さんは私の返事も待たずにキッチンへと向かった。
「ふふっ、あの子なりの気遣いかしらね」
「優は素直じゃないからね」
お二人はそれぞれ空いている席に座ると、優さんの気遣いを温かい表情で眺める。
「聞こえてるからな二人とも」
「聞かせてるのよ♪」
優さんの不満げな声に、愛さんは笑顔で返す。
「ったく……」
優さんも本気で嫌がっているわけではないのか、やれやれと言った感じで準備する。
早乙女家の朝はすごく穏やかだ。
前までは誰かとこんな温かい雰囲気で食卓を囲んだことはなかった。
両親との食事も、事務的なことでしか言葉を交わすことはなく、冷たいと感じる場所でしかなかった。
本来、家族とはこうあるべきなのだろう。
(……眩しい)
この温かな空間に、私も混ざることはできるだろうか。
もしできたら、きっと……すごく幸せなことだろう、と思う。
私は早乙女家の朝の風景を眺めながら、そんなことを思うのだった――。
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