食料が無ければコオロギを食えばいいじゃない!(前編)

「人間が動物育てて食べるとして、一番コスト安いのって何?」


 職場で突然同僚がこんな事を言い出した。

 とはいえ、珍しい事でもない。

 こんな感じで唐突に話題を振るのは、熊もよくやる事だ。

 時間は早番の熊と遅番の同僚の勤務切り替え時。


 仕事の伝達の時間でもあるが、二人で回す職場な事もあって大体雑談交じりになる。

 座っている椅子の背もたれに体重を預け、少し自分の考えをまとめてから同僚の質問にこう返してみた。


「あー、一匹当たり育てるのにかかる農地の使用面積とか考えると牛>豚>鶏の順で少なく済むから鶏かな。いや、でもそれで言ったら昆虫か。昆虫最強だな。意識高い系は虫を食え。港区のスタバで食糧問題を語るような連中は、コオロギやバッタを見かけたらよだれを垂らす癖をつけるべきだ」


 熊のパーフェクトな返答に、横で座る同僚が異を唱える。


「はあああ? 虫はキツいだろ! 食えるかあんなもん!」


 口調から察するに、同僚はそもそも虫のたぐいそのものがあまりお好みでは無いらしい。

 まあ考えてみたら、自然の中で遊び虫に触れる機会が少なくなって久しい昨今で、虫に苦手意識を抱かず育った人の方が少ないのかもしれないが。


 熊も別に昆虫が好きってわけじゃないが、それでも虫を食べる文化が地方や世界の多数地域にある事は知っていた。

 有吉が某テレビ番組でスズメバチの素揚げを「結構うまい」と言いながら食っていた事を思い出す。

 あれは確か長野県だったか。

 どこで撮影してたのかよく覚えてないが、多分長野県だろう。


 昆虫食文化と言ったら長野県だ。

 とりあえず長野県出したきゃ間違い無い。


「いやその気になったら食えるだろ。つーか昆虫食否定するとか、長野県民の皆さんに謝れ。あそこじゃご家庭の味が昆虫の味なんだぞ」


「お前、その発言は長野県民の皆さんに謝るべきだろ」


 一々細かい奴である。

 ここに長野県民はいないし、いないなら熊が何を言おうと長野県民に知られる事は無いのだ。

 そしていない奴の悪口はいくら言っても構わないわけで、だから熊は同僚には上司の、上司には同僚の悪口をよく言っている。


「まあとにかくアレよ。昆虫だ。昆虫が最つよだ。あいつら鶏よりも全然早く育つしエサも少なく済むだろ。動物性たんぱく質取るなら昆虫が一番地球にやさしい。グレタちゃんもニッコリだ。知らんけど」


「いやー、でもムリだろ昆虫は。グロいし」


 熊の答えを、嫌悪感からか苦手意識からか同僚が首を傾げて否定する。

 それにしても。

 お互いいい年こいたおっさんという世間からは汚物同然、ゴキブリの如く扱われる可哀想な身の上だというのに、一体何故そこまで虫に嫌悪感を抱くのか。

 熊のようにゴキブリに親近感を覚える方が、おっさんとしては自然なはずだ。


 これがアレか。

 同族嫌悪という奴だろうか。


「ンな事言ったら牛とかだって真正面から見たらまぁまぁグロいし、魚とかもヤベー見た目してるの俺ら平気で食ってんじゃん。チョウチンアンコウとかさ。あんなん子供見たら泣くレベルやろ。大体、港区女子はコオロギクッキーとか食って『これだからコオロギを食わない下々の者たちは』的な事言ってキャホキャホしてんだぞ」


「お前のその港区女子に対する偏見は何なんだ!」


「とにかく、見た目なんて加工すりゃいくらでも変えられるしさ。どうとでもなるんじゃね?」


 やはり熊の意見を認めたくないのか、同僚が腕を組んでうめく。

 うむ、しかし育てる餌の量に人類の食品加工技術と、考えれば考えるほど動物性タンパク質を補給するなら食品として安上がりなのは昆虫以外無いだろう。

 もうこれ以上話題が進む事もないと考え、厳かに結論を述べる。


「というわけで、昆虫食がジャスティスだ。意識高い連中は、野原でトノサマバッタでも捕まえて食べるべきだな」


「いやちょっと待て! 一つデカい問題がある! 現実的に考えて、昆虫はコスト高いから食品を量産するのは無理だ!」


 同僚が異論を出す。

 が、それは無理筋だろう。

 

「掛かるコストは、だから低いだろ。牛やら豚やらに比べて与えるエサは少なくて済むんだし、育てるスペースだって牧場みたいな広さ要らんやろ。そりゃ現時点では昆虫食はポピュラーじゃ無いけども、売上面はは度外視してコストだけで判断するなら昆虫に勝てる家畜や家禽なんていなくねぇ?」


「じゃあ聞くけどな! エサが少なくて済むとして、どうやってあんな小さいもんを飼育するんだよ! トノサマバッタサイズの生物を管理して収穫するとか、現代の技術じゃオートメーション化不可能だから人力でやるしか無いぞ! 虫を大量生産した経験なんて、人類に無いだろ!」


 あー、なるほど。

 そこは盲点だった。

 確かにどれだけエサのコストが掛からなくとも、世話や収穫が人力でしか行えず、人件費がクソ掛かるなら安価な食品とはなり得ない。


 そうなると、多少費用は掛かってもオートメーション化可能な畜産物の方がよっぽど安価に生産出来るだろう。

 日頃から熊の仕事のミスを事前に察してフォローしてくれてるだけはある。


 実に抜け目が無い。

 熊が抜けすぎという説もあるが、そこは無視だ。


 少しここで思索してみる。

 まず人類は、牛や豚といった大きさの家畜については、人力&機械で全国のスーパーにパック肉として並べるだけの技術を持っている。

 どこまで小さい生物なら管理し、大量生産し、安価な食品として流通に乗せることが出来るかというと、鶏及びその幼体のヒヨコくらいまでだろう。


 あまり見てて気持ちの良い光景では無いが、前にヒヨコがどう選別されてどう処理されているのかの動画を見た事がある。

 つまり、あのサイズまでなら人類は大量生産し、安価な食料として流通させるだけの技術は有してるわけだ。


 では昆虫はどうだろう。

 考えてみれば、大抵の昆虫は卵、幼虫、サナギ、成虫と、成長する過程でライフスタイルを大きく変える。

 よって、他の家畜のように全成長過程を通して、ある程度似たような飼育方法で管理するという手法が取れない。

 乳離した子牛と大人の牛は一緒に育てられても、幼虫やサナギ、成虫を一緒に育てるのは無理だろう。


 そしてあの小ささだ。

 牛や豚まで一個体のサイズが大きいなら、取れる肉の量も多いので多少人手が掛かっても十分元手が取れるだろう。

 だが、昆虫はどうだ?

 一応、人類は動かないものであれば相当小さいものでも加工する技術はある。

 おやつ工場を見ればわかる通り「おっとっと」や「たまごボーロ」レベルのものだって管理可能だ。


 だが、相手は動き回り飛び跳ねまくる昆虫だ。

 そんなもんをオートメーションで管理し、飼育する技術なんて果たしてあるのか?

 と、そこまで考えて、ふと一つの候補が頭をよぎる。


「人類、カイコ大量に育ててきてたじゃん」


 熊の答えに、同僚が固まる。

 多分、同僚の頭の中では昆虫が大量生産可能かの再計算でフル回転してるのだろう。

 うんうん唸る様子からは、何とかして熊の答えを否定したいが、実際に絹製品が世に出回っている以上中々良い反論が浮かばないのが見て取れた。


 ふ、勝ったな。

 同僚との雑談に勝利を確信した熊だったが、この時の熊は知る由もなかった。

 後に自分がコオロギを食う破目になる等とは。



食料が無ければコオロギを食えばいいじゃない!(前編)……END

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