かこ家の福袋

かこ

初詣*紅に染む

 隆人たかひとはほとほと困り果てていた。身重の妻が神社へ続く階段を武骨な手を頼りに上っているからだ。その足取りは一歩一歩確かめるもので、すぐに足を滑らせたり踏み外したりするのではないかと気が気ではない。小さな口で白い息を細切れに吐く妻をうかがう。


「なぁ、美幸みゆき。僕が抱えた方がいいと思うんだが」

「大丈夫ですよ。ゆっくりで申し訳ないのですが、きちんと上ってみせます」


 声音はやわらかだが、引く気は毛頭ないようだ。下を見ていた視線が、これ以上ないほど眉を下げた夫を見た。鈴を転がすように笑う口は楽しそうに続ける。


「旦那様がしっかり握っていらっしゃいますから、怪我なんてしようがありません」

「そうは言っても、つい先日も真っ白な顔をして倒れかけたじゃないか」

「一ヶ月前のことですよ。このひと月、きちんと大人しくしていたでしょう。医者せんせいも大丈夫だとおっしゃっていたではありませんか」


 妻のゆっくりとした口調は穏やかそのもので、きんと冷えた空気によく通った。

 何人かの参拝客に追い越され、帰る者には訝しげに、あるいは面白がられる始末だ。

 周りの様子が見えてない夫と、困った顔をしつつも本心ではまんざらでもない妻。少々、年の離れた夫婦は転ばぬよう手を繋いでいるだけなのに、日々を鍛練で鍛え上げた体を折り心配する姿は鬼とうたわれる男だとはかけ離れていた。

 たしなめるよう握る手を強くした美幸は足を止めた。澄んだ瞳で体を折ってもなお高い位置にある瞳を見つめる。


「願かけをしているのです。付き合ってくださいませ」

「何も階段でせんでもいいだろう」

「いいえ。わたくしの母はここにお参りをして、兄も私も無事、産んでくださったのです」


 妻の堅い決心に、夫は唸る。


「わかった。付き合おう」

「ありがとうございます」


 少女のように頬を赤くして微笑む姿に、隆人は一生、頭が上がらないと悟った。



『紅に染む』より

https://kakuyomu.jp/works/16816700429354337759

岩蕗夫妻の初詣でした。


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