126 ハレの日の寿司
こんにちは。
子供の日は、母方の祖父母宅へ行くと、ちらしずしが用意してあった。
五月五日はお祭りなのだ。
とは言っても、私はその神社へ行ったことはない。記憶も残っていない様な小さなころに行ったことがあるのかもしれないけれど、祖父母宅から神社が遠くて、お祭りの日と言えどもなかなか連れて行ってもらえないので、今に至るまで行かずじまい。
というか、その神社と祖父母宅の間に伏見稲荷大社があって、私はずっと、そこのお祭りだと思っていたのだ。神さまにも申し訳ない事をしていたなぁと、今さら思ったりする。
そんな、孫がお祭りに来てくれるのを楽しみに、お寿司を作って待っていてくれた祖母はもういない。父祖はもっと早くに亡くなっている。そして、祖父母の家も、もう違う人に手に渡ってしまっている。
子供の頃、私は食べることが大嫌いだったから、炭水化物のお寿司なんてもってのほかだった。でも、祖母の家に行くと、お寿司を出されるのだ。それが苦手だった。
でも大人になった今、祖母の手作りのちらし寿司が食べられなくなってしまった今、とてもそのお寿司が懐かしい。だから五月五日は、お寿司を食べたい日なのだ。
まぁ、今は、普通にお寿司は大好きなんですよ。だから余計に食べたいですよね……
前日に母親に、「五月五日だからちらし寿司を作ろう」と言ったのだけど、母親はなんか考えだして、出した答えが「手巻きずし」だった。
久しぶりに夕食時に家族全員が揃うのもあって、手巻きにしようと言うのだ。
まぁ、それも美味しいからアリ。手巻きずしって、ハレの日の家族団らんの象徴みたいな料理だ。
材料を二人で買いに行って、準備をして。
そうしながら、もう一つ思いだしたのが、父方の祖父母の家に行くときは、巻きずしが用意してあることが多かった気がすること。
夕食はお鍋やすき焼きや焼肉なんだけれど、昼過ぎに到着する私たちに巻きずしを作っていてくれる。
日本人にとって、お寿司って本当に、うれしい日の食べ物であり、ハレの日、心からのおもてなしをするための、最上級の料理なんだろう。
もちろん子供の頃の私には、炭水化物が食べたくないので、あんまりうれしくなかったのだけれど、今となっては、あの田舎風の甘い高野豆腐と紅ショウガが入った巻きずしが食べたくて仕方がない。
ちらしずしも、巻きずしも、そりゃもうすごい手間と愛情をかけて、私が来るのを楽しみに、喜んでくれるだろうなぁと想像しながら作ってくれたんだろう。
本当に有り難いです。あの頃は幼すぎてまったく分かっていなかったなぁ。あの頃に戻って、一杯食べる姿を見せて、お礼を言いたい。
そんな事を思いながら、夕食の手巻きずしを食べました。この瞬間もきっと、思い出になる。
全ての日常は、愛情で出来ている。それを、その瞬間は感じ取れないかもしれない。でも、後になってから気が付く瞬間はやってくるものです。辛い時だってそう。生きているだけで、何かしらの奇跡がギリギリのところで守ってくれている。それに気が付くかどうか、気が付ける余裕があるかどうか。
何気ない日々は、全部愛情で満たされているんですよ。
有り難いなぁ。嬉しいなぁ。
ハレの日の食事に思い出があるって良いですね。
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