第8話 プチ旅行①


 風が爽やかに吹き付け、俺の頬をそっと撫でる。

 二三歩歩き、もう一度辺りを見渡して意味もなくふぅと空に息を吐いてみた。


 今日は気持ちいいくらいの快晴。

 以前はほんのりあった冬の面影もすっかり消え、夏が少し顔を覗かせている。

 そんな春と夏の間を象徴するかのような天候に、妙に趣を感じた。


 なんだか伸びもしたくなって、凝り固まった体をほぐすように両手を広げてみる。

 さっきまで随分と座っていたから、かなり気持ちいいな。


 それに空の青と海の青のコラボレーションは最高に美しい。

 流石、海と山の二大派閥の内の一つだ。


「やっぱり、俺は海派だな」


「それに関しては私も同感だわ。まぁ、山は虫がいるしじめじめしているからという理由で問答無用で却下。残ったのが海という消去法だけれど」


「素直に海が好きって言った方が、人間的に可愛げがあると思うぞ」


「冬ノ瀬君に可愛いと言われるなんて……これから先も素直にはなれなさそうだわ」


「そういう意味じゃないんだわ」


 海と敵対するみたいに、靡く長い髪を耳の後ろにかけながら仁王立ちする小谷鳥。

 なんですかね、この人。人だけじゃなくて自然にまでツンなんですかね。


「それにしたって、これからどうしましょうか」


「そうだな、どうしようか」


 海を眺めながら、ぽつりと呟く。

 俺たちの言葉はすぐに海風に攫われて、消えてなくなった。


 ――今日は平日。


 そう、俺たちは電車を乗り過ごした。





     ◇ ◇ ◇





 それは三時間前に遡る。


 ふはぁ、とあくびをしながら電車に乗り込み、比較的大きな駅で乗り換える。

 この駅はいろんな路線が交わる駅であり、多くの生徒が高校の最寄りに行くためにここで乗り換えを行う。


 例にも漏れず乗り換えをする俺は、できる限り電車では座りたいため空いている先頭車両の方で電車を待っていた。

 他の生徒たちは、最寄り駅の改札が近い反対の最後尾の車両側のホームにいるため、ここはほとんど同じ高校の奴がいない。


 キキィーっと音を立てて、電車がホームに滑り込んでくる。

 よし、今日も空いてるみたいだ。


 開いたドアから電車に乗り込み、空いていた端っこの二席を視界にとらえると、少し早歩きで座ろうとした。


 とその時、つり革に捕まっていた彼女と目が合った。

 その彼女も席に座ろうとしていて、一瞬時が止まる。


「あら冬ノ瀬君、奇遇ね」


「そうだな」


 空いている席はちょうど二席。

 車内で立っているのは俺たちだけなので、座ればいいのだが……。


「座れば?」


「小谷鳥も座ればいいだろ?」


 電車で隣に座るのはかなり密着するため、小谷鳥は抵抗している模様。

 別に俺は気にしないため、さっさと席に座った。


 もちろん、端っこを空けて。


「冬ノ瀬君にそういう気遣いができたのね。意外だわ」


「知ってるか? 俺って意外に紳士なんだぜ」


「その発言が紳士じゃないというボケかしら?」


「返しが朝から強烈だな。胃もたれしそう」


「あっそ」


 ふんっ、といつものごとく鼻を鳴らしてつり革に捕まり直す小谷鳥。

 小谷鳥は俺の隣に座る気はないらしい。


 ふと、同じ車両に乗っている女子高校生と目が合う。

 制服がうちの高校のもので、ちらちらと俺と小谷鳥を見ながら話していた。


「ねぇ、あの二人だよ!」


「ほんとだ! 一緒に登校してるんだ。やっぱり恋人なのは本当なんだね!」


「でも隣座らないみたいだよ? 恋人なのにどうしてだろう」


 その会話は小谷鳥にも聞こえていたようで、ほんのりと耳を赤くさせて何故か俺の方を睨んできた。


「他意はないわ」


「あっそ」


 渋々俺の隣に腰をかける小谷鳥。

 ほんのりといい匂いがして、不覚にもドキリとしてしまった。


「動いたら罰ゲームよ」


「なんでだよ」


 しょうがないだろ。十分に座席のスペースが確保されてないんだから電車の揺れとかで触れてしまう。

 それは分かっているようで、少し恥ずかしそうにしながらも決して俺の方を見ようとはしなかった。


 全く、素直じゃない奴だ。

 でも最近は、俺や現川と関わるようになったからか表情が緩くなったような、刺々しさが弱まったような感じがする。

 

 とはいえ、感じがするだけだが。


『二番ホーム、電車が発車します……』


 車掌のアナウンスで、ようやく電車が発車する。

 ここから学校の最寄りまでニ十分強。決して短い時間じゃない。


 同じ高校の生徒が見ているわけだし、一応は何か会話をした方がいいんじゃないかと思っていたが……。


「なんで目瞑ってんだ? キス待ちか?」


「違うわよ! ったく、眠いから寝るのよ」


 本人にその気はないらしい。

 たぶん人と、というか異性とここまで密着することなかったんだろうな。


 俺の隣に座ったのが、小谷鳥の精いっぱいだと解釈してここは見逃してやろう。

 それに俺も朝は弱い。できる限りこの時間は睡眠に当てる、というのが常だ。


 俺も同じように目を瞑り、電車に程よく揺られながら意識をゆっくりと手放した。





 ――さん。


 ――ゃくさん!


「お客さん!」


「うえ?」


「ここ、もう終点ですよ。早く降りてください」


「あ、す、すみません」


 寝ぼけたまま返事をし、車掌さんがその場から去っていく。

 瞬きを何回もして思考力を取り戻し、ようやく完全に目が覚めた。


「あれ、ここどこだ?」


 起き上がろうとして、肩に重みがあることに気が付く。


「ん、んぅ……もうちょっと」


 小谷鳥が、子供みたいに純粋無垢な寝顔をして、俺に体を預けて寝ていた。

 肩に俺の頭を乗せて、今も気持ちよさそうに寝ている。


「おい小谷鳥、起きろ」


「やめなさいよ、冬ノ瀬君の変態……はっ! 私、何して……」


「どんな夢見てたんだよ今まで」


 俺と同じように瞬きを数度し、俺と目を合わせてから顔を歪ませる。


「最悪だわ。寝起きが冬ノ瀬君だなんて」


「ごめんなさいね変態で」


 このままここにいたら迷惑をかけることになるので、ひとまず電車から降りる。

 あまり見慣れない景色。

 駅の表札を見てから、ここが電車の終点であることに気が付く。


 そしてようやく、とんでもないほどに乗り過ごしてしまったことを実感したのだった。





 ――というわけで、現在に至る。


「へーここ、しらす有名なんだ」


「何観光しようとしてるのよ」


「いやだって、せっかく来たんだし」


「学校はどうするのよ」


「もう十時。今から行ってもしょうがないだろ」


「…………」


 小谷鳥は優等生と聞いている。

 いわゆるサボりは良心が痛むみたいだ。


 俺は別にその場その場で楽しむタイプなので、もうすでにしゃーない精神が働いている。

 滅多にこんなところに来る機会はないので、早速適当にぶらついてみることにしよう。


「ほら、行くぞ」


「……はぁ、しょうがないわね」


 呆れたようにため息をついて俺の横に並ぶ小谷鳥。

 心なしか、そんな小谷鳥は楽しそうな、そんな表情をしていた。

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