私もお肉食べたいので、ビーガンの人たちってすごいなぁ、くらいの感覚でしか見ていなかったです(;゜0゜)
街頭行動とかやってたのですね
知らなかったです
こういった生きるため食べるための弱肉強食を考えるととても複雑な想いになりますよね(>_<)
自然界動物界でのこれは私たちにはどうすることもできないですしね
ただ、人間の中での多数が少数を切りつけるような弱肉強食には断固反対です
それだけはやらないやらせないような社会になるといいですね
なんてことを思いましたです(*´-`)
エッセイ企画にご参加ありがとうございます🙇
作者からの返信
お返事遅くなりすみません。
企画参加の機会をいただき、ありがとうございます。
生きるということと、他の命を奪うということが表裏一体だという現実に向き合いつつ、競い合わない、奪わない、殺さない、ということをとことん考えていきたいと思います。
食肉・皮革関連の仕事をしている人たちが、自分の仕事について、いつでも、どこでも、誰に対しても自分の言葉で語れる「あたりまえ」が実現することを願っています。
コメントありがとうございますm(__)m
編集済
脳が発達し、モノを起用に使いこなすヒトは運良く、食物連鎖の
ほぼ頂点に立ってしまった
命を頂く、だから「いただきます」と感謝をして食す
だからこそ、頂いたその命の全てを、ムダにしないように利用する
ただ菜食主義者等が、他人にも自分たちの主義主張に同調せよと
意見するのは、絶対に違うし、身勝手な間違った考え方だと思う
根源的には、「鯨は可愛いから殺してはダメ、食べてはダメ」って
活動している募金集め集団と大差はない
勝手解釈の主義主張を赤の他人にまで、押し付けてはいけないのだ
関係の無い周囲に迷惑をかけず、仲間内だけで好き勝手に、食べずに
いてくれていれば、それでいいのだと思う
宗教の戒律で食べてはいけないものがある方々は、他の関係の無い方々に
同様にせよとは言わないですよね、下手すると宗教戦争になるから・・・
娯楽のためなどで、無駄な殺生をしなければ、それで良いのではと
思って生きて行きましょう
作者からの返信
お返事遅くなってすみません。
ご指摘の通り、娯楽のための殺生など、とんでもないことです。
海外では、一部のビーガンの人たちが肉屋さんを襲うなどという過激な行動に出ているという話を聞きます。こういう話を聞く時に、これは、あくまでも「一部の」人の逸脱した行為であること、ほとんどのビーガンの人はこのような暴力には与しないことを意識的に思い起こさなければと感じます。
私は、ビーガンの人と同じ食卓についたことが数回ありますが、正直、息が詰まる部分はあります。もちろん、かれらが私の食生活に容喙するようなことはありませんが……。
ビーガンの人たちが気軽に楽しめる外食やお惣菜などが増えるといいと感じます。
コメントありがとうございますm(__)m
私は動物も植物も食べます。動物の命を奪うことは駄目で、植物の命なら奪ってもいいのでしょうか。どちらも同じ命なのです。
相手の命を奪っていることを認識し、感謝する。それが大事なのではないかと考えています。
いろいろと考えさせられました。ありがとうございました😊
作者からの返信
お返事が遅くなりすみません。
命が奪われる時に「苦痛」を感じるかどうか、を基準に判断している方もおられるようです。しかしそれは、どこまでいっても人間が引いた基準に過ぎません。
人間が見て「苦痛」を感じていないと「判断」できれば命を奪っていい、という発想はちょっと怖いです。
本気で「他から奪わない・殺さない」を志向するなら、捨身飼虎以外の道はないと感じます。
「清廉潔白」に生きること自体、ある意味人間の思い上がりなのかもしれません。
コメントありがとうございますm(__)m