第56話 U-6

 

 ――戦闘準備に必要な機材の配置が完了し、外に出る。


 時間は夏の夕刻、夕焼けにひぐらしの鳴く音が聞こえる。


 ……北海道ってひぐらしって生息していただんだっけ?まあいいか。こんなに気温が高いのだ、いたっておかしくはない。



 ここは先日帰還者との戦闘になった現場でもある北海道の廃鉱跡地。汗が噴き出すような気温になっているが、今着ているSAVの戦闘服には体温調整機能があるので、どこに居ても快適な環境で任務にあたることができる。



 俺はポケットの入れてあった煙草を取り出して火をつけた。


「す~…ふぅ~~」


 夕焼けの空に吐き出す煙が舞う。



「アディ、こちらも準備が完了したぜ。これから配置につくが――煙草なんて吸っていたか?」


 坊主頭に黒い肌。SAVの狙撃手担当のロジャーだ。


「久しぶりに吸った。ざっくり60年ぶりだ。ロジャーがおしゃぶりを吸う前の話だな」


「そうやって聞くとものすごい禁煙期間だったな。うまいか?」


 無言で煙草の箱から一本差し出すとロジャーが煙草をくわえたので、持っていたライターで火をつけてやる。


「ぶはぁ~!煙草なんて高級品、久しぶりだぜ」


 ロジャーはサイクロン掃除機もびっくりの物凄い吸引力で煙草を吸い、結構な量の煙を吐き出した。


「別にここの給料だったら煙草くらい好きに吸えるだろう?」


「まあ、そうだが金は生活費以外、全部コレに使ってるんだ」


 ロジャーはそう言って、デバイスにふくよかな黒人女性の写真が送られてきた。


「これは逃げた奥さんだっけ?」


「ああ、そうだ。だがその後、病気になっちまってな。嫁についていった子供たちじゃ母親を支えながら生活するのには厳しい世の中だしな。俺が金を送っている……と言っても、戸籍がない俺じゃ送金はできないから、ドクターセイカに頼んで“あしながおじさん”名義で便宜を図ってもらっているんだ」


 最後に煙を吐き、火種を指で潰して携帯灰皿に吸殻を捨てた。



「そうか、お互い大変だな。もう吸わないから残りはやるよ」


 親の気持ちが分かる数少ない同士に笑いかけ、残った煙草の箱を投げる。


「ありがとよ。今日は持っておくからまた吸いたくなったらまた言え」


「多分、また何年かは吸わないかな」


「どうしてだ?」


「もともと禁煙したきっかけが、タバコ臭いとケイカとセイカにちゅーしてもらえなくなった事が原因だった」


「そんな理由で煙草をやめれるなら、これはもらっておいても大丈夫そうだな」


「ああ、問題ない」


 “そんな理由”と言えるような小さな問題ではなく、俺にとっては禁煙を決めるには十分な理由だった。


 当時、禁煙はキツかった記憶があるが、ちゅーしてもらえない事よりはマシだった。それに今しがた久しぶりに煙を吸ってあまりうまいと思わなくなっていたので、きっと常習化することはないと思う。



「さて、持ち場に戻るか」


「ああ、了解」


 +-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-


 ここは湿度が高く、暗い部屋。坑道に発見された隠し扉を通ると、十畳ほどの空間があった。


 床にはゴミが散乱していて、なかでも使用済みの焦げた葉っぱのようなものや違法薬物に使用したであろう器具などヤバイものまで散らばっている。なぜこんなところに異世界転移者…それもかなり強力だと言われている帰還者が発現するのか……。



 今回の対象はU-6――転移前の氏名は……無い。


 氏名もなければ戸籍もない、生まれた時から社会に認知されなかった子供だ。


 年齢は三歳(推定)、性別は男。かろうじて画像が残っており、名無しの男の子の顔を見ることができた。


 画像を見たところ、頬はコケて、目は窪み、肋骨が浮くほど痩せこけた体の所々にあざや傷…骨折も見受けられる。そして三歳児なのに汚れたオムツを履かされて服は着せられていない。


 到底まともな育児を受けたと言いにくい状態だった。



 ではこの子(U-6)の名前も戸籍も無いことについてだが――


 それはこの子の育ての親――浜端万博(はまばたよしひろ)によるものだ。


 その浜端は現在、大麻・覚せい剤取締法違反で服役中だ。


 供述によると、今いるこの場所で知り合いの女が一人で相手もわからない子を出産し、やがて失踪。それから浜端とその仲間たちがこの廃鉱で育てたそうだ。


 出生届を出されることもなく、無事に産まれて来てくれた感謝を言ってくれる親もなく、劣悪な環境で三年間生きた。


 自分に不利な供述はするわけがないので、実際にはあったかどうかわからないが、虐待、暴行などあったのではないだろうか。


 この三歳児が異世界転移してから三年、本日生きて帰還することができれば六歳児が発現する事だろう。



『――全員配置についたか?』


 今回の作戦は廃鉱内ということもあり、部隊全滅のリスクが高いため銃火器類が使えない。


 対人戦ならこういう密閉空間で毒ガスを使いたいところだが、アキの話から大抵の帰還者は毒耐性があるそうなので、結局物理攻撃という事となり、出現地点に複数の罠を仕掛けて各自待機位置でデバイスのモニターで様子を窺(うかが)っている。


『ロジャー、ジャンカルロ、ポイントBで待機中だ』

『富子、ソーニャ、しまこ、ポイントCで待機中です』


『了解。こちらオギツキアツシ、アキでポイントA待機中。出現時間までカウント設定しているが全員モニターを見ているな?機微な変化に気付き次第、報告しろ』


『『了解!』』




 ――出現予定時刻まで残り30秒を切った頃だった。


 夏の昼間、フラッシュと共に轟音が鳴り、雷が炭鉱入り口付近に落ちた。


 出現地点にあるカメラに映し出されたモニターには青白い稲妻が走って見えている。



『うろたえるなよ!全員臨戦態勢!罠が作動したと同時に突入する』


 次の瞬間、モニターの画像が真っ暗になり、何も確認することができなくなってしまった。


『セイカ、中で何が起こっている!?モニターで確認できない』


『画像解析中よ。とにかく目視で確認して報告してください』


『わかった。俺が行けるところまで接近する。各員俺の合図とともに攻撃できるように』



 立ち上がろうとすると、アキに腕を掴まれて再び地面に伏せさせられた。


「おとーさん!近づいちゃダメ!」


 アキの声と同時に地面が大きく揺れ、炭鉱が爆発したかのように土砂が噴火したような光景だ。


 そして土煙と共に巨大な何かが姿を現した。


『全員退避!退避するんだ!!何も見ずに今すぐ退避だ!!今すぐ!!」


 反射神経で全員に指示を送った。感覚だが絶対ダメだあれは。



「アキ!!」


 アキは立ちあがり、巨大なそれを見ている。



「なんでこんなところに……ミリオール…ドラゴンが」


 アキは何かを知っている様子で、小さく呟いた。

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