第54話 ▓▓▓ーさん▓

 

 ――ハルとアキが来てから一週間が経った。



 今日は日曜日。アキが「日曜日は部活も無いから一日店で手伝いたい」と言ってくれたので、開店からアキに手伝ってもらっている。


 そして、一週間ぶりに母親のハルが現れた。


 今は客としてテーブルに居る母のハルと娘のアキが話している。お互いの一週間の報告でもしているのだろう。


『――で、アキのほうはどうだった?お父さんはちゃんとご飯食べさせてくれているかい?』


『ごはんはね~おなか一杯食べさせてもらってるよ!ただ三時くらいにおなかが空くから売店でパン買って食べてる~』


 ……え?三時のご飯?朝ごはん、昼ごはん前のおにぎり、昼の弁当、夕飯と、たまに夜ラーメン食ったりして、一日四、五食食ってるけどまだ腹減ってたんだ。おにぎりもう一個か二個増やしておこう。



『そっか。食わせてもらっているのなら、働いて返すんだよ』


 食ったら働く。当たり前の事だけど、ハルの律儀な所は変わっていないな。


『わかってるよ~。やるからには一生懸命やるよ~』


 アキは軽く言っているが、実際休むことなく働いてくれた。


 昨日の土曜日は花見の行楽客がいることもあり、結構なお客さんが入り、俺一人ならランチタイムで一回の満席で終わってしまうところ、アキが接客してくれたおかげで二回転した。


 おまけにアキの接客は真面目で、メニューの内容がわからなくてもすぐに俺のところに来て説明を聞き、対応する姿勢と愛想も良さで客受けしていた。


 ランチタイムで単純に売り上げが二倍だ。本来なら大入り袋付きで給料を渡さないといけないだろうが、まだアルバイトもできない年齢なので、せめてメシくらいはいいものを食べさせてやろうと思い、食材の質を上げている。


『そう、まだ中学生で早いかなと思ったけど、いい経験になるから頑張るんだよ。それから不便はない?』


『この間学校帰りにアッくんと一緒に家具屋さんに行ってね。必要なものはなんでも買っていいって言われたから新しいあたしの部屋が充実したよ!もう居心地良い空間になった!それでね~』


『……ふ~~~ん?』


 なになに?ハルさん?目を細めて冷ややかな視線を送ってくるの?俺の事が気になるの?


『なんだよ、最近の女子中学生の事なんてわからないから任せただけだよ』


『アタシの時と待遇が違うよね~』


『あの時は本当にすみません』



『ちょっとおかーさん、あたしの知らない話で盛り上がらないで!』


 いやアキちゃん盛り上がってないのよ。俺だけ盛り下がったのよ。


『ごめんごめん、それで?』


『あたしを学校まで迎えに来てくれたときに部活の部長がアッくんを見に来てさ~、次の日噂になってて、その次の日は十人くらい見に来てたの。それで女の子に囲まれたアッくんがデレデレしちゃって……』


 マズイ流れだ。


『そうだ!昨日さ~、夜にこの店の常連さんで超エロいお姉さんが来てさー!』


 マズイ、マスイよ!?


『アキ、悪いのだけどいつものスーパーで金柑買ってきてくれるかな?』


『何?今じゃなくてもいいじゃない?』


『仕込みに時間がかかるから材料は早めに欲しいんだ。これがないとディナーで出す予定のドルチェができないんだよ。アキも食後に食べたいって言ってただろ?』


『わかったよ~……もう』


『すまんな。あとでゆっくり話すといいから』


 アキはぶつくさ文句を言いながらも買い物に行ってくれた。





 強引に会話を終了させて、アキにお使いに行ってもらった。


『ふぅ……たった一週間で多くの弱みを握られてしまったぜ』


 俺は額に流れる汗を拭きとりニヒルを気取った。


『相変わらずねアンタは。それにしても随分仲良くなってるじゃないか』


『そうかな。だったらいいのだけど、まだ一緒に過ごして一週間だからな。まだまだだよ』



『それで?アキが居ない間に何か話があるんじゃないの?』


『ああ、俺とハルの間に子供がいた事には驚いたが、アキはいい子だ』


『でしょ?アタシに似て』


『そうだな。お前によく似ている。本当に』


『アキと二人っきりだからって自分の娘を変な目で見ないでよ?』


『それはもちろんだ。で、これからもアキとで暮らしていくのか?』


『……どういう事?』



『俺と一緒にならないか?』


 ハルに再会してから一週間考えていた。


 自分がどんな表情で言っているのかわからないが、軽い気持ちではない。元々俺はハルとこうなりたかったのだから。


 俺の言葉の意味が解るとハルは言葉が出ないのだろうか、黙って口を開けたまま俺の目を見ている。


 そして、微笑み、目を閉じた。俺は彼女の回答を待つ。



『――――嫌よ』



『…………そうか』


『心配しなくてもアキには今後も会わせてあげるわよ。それに――』


 ハルはこういったシチュエーションでも気まずくならないように気遣ってくれているところ、歳を取ったのかなと感じるところだ。


『――アタシに男がいないとでも思ったのかしら~?』


 乾拭きしていたウォーターグラスを落としてしまい、パリンと割れて破片が床に散る。


 前言撤回。いい年だけどスーパー動揺していた。


『何動揺してんのよ』


『……手元が滑っただけだ。どうにょうはしていない……で、いるのか?』


『導尿(どうにょう)してどうすんのよ。ちゃんと動揺してるじゃない。取りあえず割れたグラス片付けて』


 先ほどの事など無かったかのようにカラカラと笑っていた。


『……いないわよ。よかったわね』


 ニカッっと白い歯を見せながらハルは男はいないと教えてくれる。この笑顔は久しぶりに見た。随分老けたが、今でも好きな笑顔だ。


 俺は無言で割れて散らばったグラスを塵取りで集めてながらも、ハルの話を聞いて心の底からほっとした気持ちになる。


『ちっ、いないのかよ』


 心の中とは裏腹に子供のように悪態をついた。本当にドキドキしたのだから、もうそんな振りはやめていただきたい。


『ふふん、ホッとした様子ね。男がいない理由聞きたい?』


『別に……聞いてもいいかな?』


 こいつの前ではプライドなど無い。上げて下げる女だ。こっちが期待するとすぐに下げてくる。あげさげまんだ。


『まあ、あんたのせいね』


 ほら下げた!だが……


『…………』


 俺は何も言う事ができなかった。言い返すことができないと言っていいか。



『はぁ~……あんたと別れてから、アタシの職場であだ名がついたのだけど、何だかわかる?』


『いや…わからないけど』



『ダメ男製造機』



 俺は働かずに何もしてなかったときはウンコ製造機とか言われてたな。製造機同士、相性良くない?


『それはひどい!言った奴の住所を教えてくれ』


『知ってどうするの?』


『車で轢(ひ)いてくる』


『他人に責任を押し付けないの。あんたが悪いんだから』


『すまん』


『もういいわよ。だけどそれからダメ男が寄ってくるわくるわで、ちゃんとした男と恋愛なんてできなかったわ』


『…本当にすまん』


『まあ正直な話、アキで手いっぱいだったからそれどころじゃなかったわね』



『……聞きたかった話は聞けた?』


『ああ、あともう一つ。大事なことだ』


『何?』


『……アキを産んでくれて、育ててくれてありがとう』


『――っ!?』



『……あのね、不意打ちみたいな事言わないで』


『昔なら言えなかったけど、年取ったからな。言えるようになった』


 ハルは俺の目を見てうつむいてまた俺の目を見て、と落ち着かない様子だ。


『大人になったじゃない。でもまだダメね』


 ダメだしされたが一応俺の方が八歳以上年上なんだけどな。まあこの年になったらそんなの関係ないか。


『アタシから一つ言わせてもらえるかしら』


『ああ、何でも言ってくれ』


『二度とアタシに結婚しようなんて言わないで。次言ったらあんたの前に二度と現れない。もちろんアキにも会わせない。わかった?』



『……わかった』



『そう?じゃあアタシはもう行くわ。ごちそうさま』


『アキは待たないのか?』


『――また来週来るからよろしく言っといて』


 さっぱりとした態度でそう言い残し、ハルは店を出て行った。



『断られてしまった』


 独り言のように口から気持ちが出ていく。


 アキの為にも父親がいたほうがいいだろう、と言うのは方便だ。俺はそういうことを言うつもりはなかった。


 ハルと別れた時からずっと後悔していた気持ちと共に生まれた言葉だったのだ。


 現実に落ち込むよりも、また会えなくなるわけじゃない。気長に距離を縮めていければまたお互いの考えや関係も変わることがある。


 前向きに考えることができたのもアキの存在があったからだろう。アキが買い物から帰ってきたら、出来立てのほうじ茶ジェラートに黒蜜と黒豆を乗せ、きなこをかけて一緒に食べよう。


 ・・・・・・


 ・・・・


 ・・


(帰ってこないな……)


 アキが出てから一時間が経った。


 先ほどアキにコールしてみたところ、店内に携帯を置きっぱなしにしてあったので連絡が取れない。


(あと30分帰ってこなければ探しに行くか)


 ・・・・・・


(……やっぱ無理)


 結局30分待つと決めてから数秒でソワソワしだして、すぐ行動を開始した。


 まずは買い物先のスーパーへ、道中アキがいないか探しながら歩いて行った。


 次は店に近くにある河川敷を早歩きで見て回るがここにもいない。


 駅前のコンビニに居るかもしれないと思い、小走りで赴(おもむ)いた。


 もしかしたら家に帰っているかもしれない。バイクで移動しようと、一度店に戻ったところアキが店の前で立っていた。


『アキ……』


 顔を見ると泣いた跡がある。なにかあったのだろう。手には買い物を頼んだ商品が入った袋を握って佇(たたず)んでいた。


『ごめんなさい。買い物の帰りにおかーさんを見かけちゃって……』


 そうか、ハルと立ち話になったんだな。俺への連絡手段もなかったわけだし、それなら仕方ない。


『おかーさん、立てないくらい泣いてて……』


『…………そうか。悪い事をしたな。アキも、すまんかった』


『なんで謝るの?』


『多分俺のせいだからだ』


『そう…。なんで泣いているのかわからなかったのだけど、おかーさん、幸せそうな顔だった』


『あたしおかーさんの顔見てたら、嬉しくなって、悲しくなっちゃって……ちょっと何言ってるのかわからないよね』


『……一旦店の中に入ろうか』



『おかーさんにね。アッ君の事「お父さん」って呼べって言われたの』


『アッ君って呼ぶなって……』


 ハルに言われたことを思い出したのだろうか、アキの目に涙が溜まって落ちていく。



『まだ出会って一週間なんだ。アキは俺の事、父親だと見れないだろう?俺もさ、アキの事自分の娘だって思えるようになるまでもう少し時間が欲しいんだ』


 アキはボロボロと涙を落としながら俺の言葉に意識を向けている。


『だから今まで通りの呼び方でいい。少しずつアキと絆を結んでいきたい』


 ちょっとクサすぎるセリフだったかもしれない。だけど正直な気持ちだ。


 俺は、アキに近寄り、彼女の脇から腕を回して自分の娘を初めて抱き上げた。



『心配かけてごめんなさい」


 俺の首を抱き返しているアキの顔は見えないが、彼女が落ち着くまでこのままで居よう。


『いいんだ』


『もうちょっとこのままでいい?』


『いいよ』


『えへへ……嬉しい』


 やっぱりこの娘はハルにそっくりだ。せめてハルにしてやれなかったことをこの娘にしてあげたいと思った。




 ――どのくらい経ったのだろうか。


 ご近所さんや通行人に見られていたけど、そんな事は関係ない。



『ねえねえ』


『どうした?』


『一度呼んでみてもいい?』


『いいぞ』


 それじゃ……


 アキの顔が近くに…目の前にあり微笑んでいる。


 ………………‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥………………


 映画館の幕が下り始めた。そうか、この幕が下りたら俺は地獄か地獄にいくんだな。


『おとーさん!』


 閉幕と同時に視界が暗転した。



「おとーさん!おとーさん!」


 ん?なになに??



「おとーさん!」


「アキ?」


 寝ている体にのしかかる重みを感じる。


 ――目が開いた。顔の近くにあるのは大人になったアキの顔。


「おとーさん!起きた!」


「…アキ、美人になったな」


 俺はまだ死んでなかったようだ。


「――! ねえさーーーん!おとーさんがあたしにメロメロになってるーーーーー!!!」


 アキは興奮したままどこかに行ってしまった。




(ハル、アキはいい女に育ってるぞ)


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