第51話 初めまして!▓

 

 クラシックギターのガット弦、和音と共にフィンガーピッキングでリズムを刻んでいる


 ゆったりとした曲調、女性ボーカルの囁くような歌声。


 これはボサノヴァだ。


 久しぶりに聞いた気がする。これは俺が店をしていた頃流していた音楽なのだが、実際耳にすると仕事をしなければならない気になり今でもソワソワする。


 曲名は覚えていないけど、よく耳にしたボサノヴァをこの暗転した暗い世界で聞いていると、やがて視界が開けた。ここは……映画館か。


 目の前のスクリーンに映し出されているものは――高級住宅街、閑静な場所であり……


 景観の良い川……からひとつ奥まって


 国道沿い……から一本外れた微妙な立地のビルの一階の一部、キッチンと客席合わせて八坪ほどしかないイタリア料理屋。過去俺がやっていた店だ。


 見た目俺がレイアウトした状態のままだけど、五十年後の今はビル自体あるのか疑わしいところだ。


 外からキッチンの様子が見え、人が作業をしている。よくみると俺だった。という事は五十年前の映像という事か。


 この八坪しかない小さい店は俺一人で切り盛りしていた。


 人を雇う必要もないくらいボチボチな売り上げで、俺一人の生活くらいは問題無くやっていけるほどだった。



 そう。この時の俺は一人で生活をしていた。


 白髪混じりのロングヘア―、無精ひげ、Tシャツ姿。間違いなく俺だ。今は開店準備をしているところだな。この頃の俺は若返りの途中で、実年齢は五十過ぎ、見た目が大体二十代後半くらいだ。今の俺(二十歳の見た目)と比べて少しだけ老けている。


 スクリーンの向こうでは、首はコキコキと鳴らしながら開店前だと言うのに疲れた表情をしている自分の姿を見ている。これは前日の酒が抜けていないからだろうな。



 ここまで来てようやく我に返った。


 そうだ。俺は隕石の衝突で死んだからこんな夢の中のような場所に居るのか。


 そりゃ流石に死ぬよな。


 ケイカ、セイカ、アキに迷惑かけてしまうな。申し訳ない。


 小さいセイカが心配だ。まだ若返りが止まらない症状が治ってはいない。このままでは数年で居なくなってしまう。


 ただ、俺が直接セイカの治療をできるわけではない。AIのセイカがきっと何とかしてくれるだろう。


 そもそも俺が居なくても、俺の娘たちはしっかりやってくれていた。


 その娘たちの生活に俺が関わることができたのは、俺人生で一番の幸運だったと言えるだろう。



 そう思うと少し気が楽になり、再び目の前にあるスクリーンに意識を移した。


 これはそう、きっと「劇場版 走馬灯」なのだろう。




 映像を見ると、店の開店に向けた仕込みがいったん終わったようで、使わないテラス席で歯磨きをしているな。朝日を浴びながら外で歯磨きをすることが慣例だった。


 歯磨きしながらオエオエとえづいているのを見て、我ながら情けない姿だなとがっかりする。


 この日は通勤通学の人の通りがない事から土曜日か日曜日だと推測される。


 そんな人気(ひとけ)のない朝に、二人の女性がこちらに近づいているのを発見した。


「……あれは」


 声が出た。思い出した。俺は目の前の映像に集中した。



 ………………‥‥‥‥‥・・‥‥‥‥‥………………



『……ハル』


 咥えた歯ブラシが床に落ちて、口にたまった歯磨き粉を飲んでしまった。


『おー久しぶり、十五年ぶりくらいだっけ。元気だった?ってかあんた今何歳なのよ!?出会った頃より若くない!?』


 十五年ぶりだと言うのにあっけらかんと話しかけてくるこの女は俺の元彼女のハルだ。


『ああ、久しぶりだなハル。俺のほうは…まあなんか知らんけどこうなった』


『そうなの?ちょっと気持ち悪いけど、まあいいか!』


 ハルは失礼なうえに大雑把な女だ。そんなことより気になっている事がある。



『ハル、その子は?』


 ハルよりも身長が高く、くせ毛のショートカットに色黒の肌、快活そうな出で立ち。年齢は高校生くらいかな。ハルに生き写しの様な姿から、どう考えてハルの子供だろう。別れた女の子供と会うと言うのは中々精神的にきついものがある。


『ほらアキ、挨拶しな』



『はじめまして……ワタライアキ、十四歳です』


 顔の小ささに合っていない大きな黒縁メガネがずれ、両手でかけなおしている。


 知らない大人の前で自己紹介なんて、きっと尻込みしてしまうのだろう、少女は緊張した様子だった。


『はじめまして、アキちゃん。俺はオギツキアツシです』


 母親のハルよりも身長は高いが、少女の目線が揃うまで腰を落として、笑顔で挨拶を返した。


『歯ブラシ……』


 少女は視線が合うと恥ずかしかったのか、俺が落とした歯ブラシを指さした。


『ああ、ありがとう。アキちゃんが可愛かったから歯磨きしていたのすっかり忘れていたよ』


 少女の頭に手を置いて礼を言う。


 大人が子供にする社交辞令のような誉め言葉ではなく本心だ。ハルの特徴を受け継いでいてめちゃくちゃ可愛い。違う所と言えば大きな黒縁眼鏡をしているところぐらいか。



『ハル、アキちゃんって』


『アタシの子』


 ……わかってたけど少し、いや大分精神的にダメージが入った。


 だけどそりゃそうだろう。ハルも今は四十代くらいだ。子供の一人や二人はいるはずだ。




『父親はあんた』






『………………………………………………………………へっ?』






 ――は?チチオヤハアンタ?何語だ?いや日本語やろ。


『ハルと俺の……子供』


 ハルの顔を確認すると、真実だと言わんばかりにニコニコと笑っている。春の風にハルの長い髪が揺れ、耳にはターコイズの青いピアスが見えた。


『そうだよ。ところでこの店はあんたの店なの?また飲食の仕事始めたんだ?』


『ああ……いやちょっと待ってくれ。ちょっと色々頭の整理ができないんだ。……二人とも朝飯は食ったか?』


『そう言ってくれると思って食べてないよ。おいしいの食べさせておくれよ』




 俺は長く伸びた髪をハーフアップにくくり、ハルとアキのために朝食の準備をはじめた。



 調理しながら頭の整理を始めているとふと思った。


 ――ハル、アキ……そう言えばハルは三月生まれだったから、もしかして……。


『ねぇアキちゃん、誕生日は?』


『十一月十一日です……』


 やっぱり季節で名前つけてる!ポッ○ーとかふざけた名前じゃなくて良かった!


『そうなんだ、誕生日は覚えたよ。今十四歳という事は中学生だね。部活とかしているのかな?』


『はい。ハンドボール部です』


 ハルと同じじゃないか。


『運動神経はあんたに似たんだろうね。あたしより上手くはないね』


 自分の娘に対しても遠慮がないな。こいつは。


 アキちゃん、ちょっとしょげちゃってるじゃん。


『アキちゃん気にしなくていいからな』


『はい……』


 ちょっと元気でた?うつむいてはいるが少し笑顔になった。


 カチャカチャと調理の作業音が沈黙を呼び、料理に集中するとハルとアキ母子のひそひそ話が始まった。




『アキ。今日はずいぶん大人しいじゃないか』


『おかーさん茶化さないで。あたしだって緊張しているのよ?』


『どうだい?お父さんは。見た目はいいだろ?中身はクズだけど』


 間違ってないけどやめて聞こえてるから!


『え、そうなの?そんなことよりあたし、思ってたよりすごく若くてビックリしたんだけど』


『それはアタシもビックリだった。今も偽物かもしれないと思って警戒している事だよ』


 今更それはないでしょ……


『ヤバいじゃん。ツーホーする?』


『すでに準備はできてるわよ』


 クスクスと笑いながら俺に対して失礼な話で盛り上がっている。見るからに仲のいい親子なんだとわかって嬉しい気持ちになった。



『できたよ。さっ、食べようか』


 二人の座るテーブル席に料理を運ぶ。


 サラダ、昨日焼いたフォカッチャ、仕込み置きしていたミネストローネと厚めに切って焼いたパンチェッタに目玉焼き。


 メニューには無いが、朝ごはんぽいものを作って二人に出した。俺は自分にコーヒーを淹れて二人がいるテーブル席に座る。


 ハルには俺と別れてから子供を産んで育てた事の経緯など聞きたかったのだが、十四歳という多感な年ごろの女の子を同席して話をするのはモラルに欠けるため、今話せることを聞いていこう。


『アキちゃん、おかわりもあるからたくさん食べて。あ、聞くの忘れてたけど、食べられないものとかなかった?』


『はい、好き嫌いとか特にないので…いただきます』


 ――想像もつかなかった。まさかハルとその子供の三人で食事を摂ることになっているなんて。


 あたりまえだけど、目の前の少女が自分の娘だなんて実感は全くない。


 ただ、俺と同じ青い瞳が、俺の娘だと語っている。


『……おいしい』


 アキがミネストローネを一口食べて感想を言ってくれた。素直に嬉しい。


『そうか。遠慮しないでいいからたくさん食べて』


『ハル』


『ん?なに?』


『……いや、なんでもない。どうだ?うまいか?』


 口に出しそうになり話を逸らしたが、十五年ぶりに会ったハルは老けていた。今まで一人で子供を育てた苦労は……聞けなければいけないと思うのだが、機会を伺わなければいけない。


『そうね~。腕、落ちたんじゃない?あんた、アタシと出会った頃、もっと勉強していたわよ』


 ハッキリ言われた。ショック。


『ただ……アタシと別れる前よりはマシになったかな。ところでこの店、立地が微妙なところにあるけど、お客さん来るの?』


『暇はない位だけど、そんなに儲かっているわけでもないな』


『そうなんだ。人手は足りてる?』


『なんだ手伝ってくれるのか?』


『こちらの条件を飲めるかどうかだけど。聞いてみる?』


『お、おう、聞こうか』



『手伝うのはこの子。まだ中学生だしバイト代は不要よ。家業の手伝いってことでね』


『え?アキちゃんに働かせるのか?』


『そうよ。今、アタシも忙しくてね。当分家を空けるから、手伝う代わりに面倒見てやって欲しいのよ』


『アキちゃんの面倒を?どのくらいの期間なんだ?』


 普通に考えてもおかしい。俺が実の父親だとしても、十五年ぶりに現れて自分の娘を預かってくれというのは何かあるのだろうかと勘ぐってしまう。


 ただ本人を前にして怪しんでいる事に気付かれないよう、あくまで必要な事。


『仕事で海外のガイドをやっていこうかと思って。アキも大きくなったし、そろそろそっちの仕事も入れて行かなきゃと思ってね。来週から二週間お願いしたいのだけど』


 そういえば、ハルは旅行代理店で働いていたことを思い出す。海外で仕事したいと言っていたし、子供から手を離れてきたし、やりたい仕事がしたいといったところか。


 俺は少し考えるふりをして少し時間を置く。


『アキちゃん。ここで俺の手伝いできるかい?』



『――あたし、ここで働いてみたい』



 風が店内に吹き込み、散った桜の花びらが足元まで舞い落ちた。

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