第13話 最小の「世界」単位
フォルカンは自ら取り外したインカムを不思議そうに見つめた。
「私の歌が響かない……?」
「私の推理では、既にレディ・イリデセントと君にまつわる動機は崩壊している」
「それも確かに」
「それ以前に、君はもう正気を取り戻している以上、ネクサス・コーデックスの強制力の範囲内にあるはずだ。組織に仇なすことはできない」
「『死ね』……確かに。生きてらっしゃる」
管理人を庇うように飛び出ていたアルケミストが、驚愕の目をフォルカンに向けている。
「フォルカン……本当に、あなたが全て仕組んだって言うの!?」
チャコルも同様の様子。こちらはまだ啞然として現実を受け入れられていない。
「ソレイユ……?」
フォルカンは長く息をついた。
「私の内に響く歌。披露することを躊躇ったのは初めてです」
「……い、いや!? 聞かせてもらうけど!? 君の責任は僕の責任なんだから!!」
「だろうな。チャコル、君のそういうところだ」
「愛が深ければ深いほど、その影は冷ややかな忘れ形見を生むこともある」
「えっ」
フォルカンはチャコルの豆鉄砲を喰らったような顔を見て微笑んだ。
「さて、では我らが灯台守の回答を聞きましょうか。あなたが紡ぎ出す思索の糸を、私の記憶の梭で織り上げてみせましょう」
事件はネクサス・コーデックスが書き換わったことに端を発する。私は組織の意向を問わずに君たちに命令できるようになった。
ドクター・ミラディに化けた敵はこの状況を利用した。私——当施設の管理人が組織に反旗を翻す状況を作ることが彼の目的だった。具体的には「フォルカンの殺害処分が妥当な事態となっているのに私の対応が間に合わず、本部のエージェントにフォルカンが殺されかねない状況」を作るということだな。
そのためにこの施設の職員に協力者が必要とされた。白羽の矢が立ったのはレディ・イリデセント。彼女は父親の戦災PTSDの治療を引き合いに出され、彼に協力することにした。これは先ほど耳にしたばかりの情報だな。彼女は自分の立場を失ってでも父親を救いたかったのだろう。
彼女の役割は、クロステストが失敗したとき実験場の扉を開放させておき、事態をさらに悪化させることにあった。収容違反を長引かせるためには、フォルカンがどこかで自由に歩き回っている必要があったからだ。
とはいえレディ・イリデセントはギリギリまで迷っていた。組織を裏切らずに父親を救う手段がないかと模索していた。そんな折に私とフォルカンの約束が交わされた。この約束は「次のクロステストで何も起こらなければ、フォルカンの実践投入を検討する」というものだったな。
これを聞いてレディ・イリデセントは閃いた。チャコルにこの約束を上手くチラつかせれば、父親の戦災PTSDの治療を頼めるというアイデアだ。彼女は前の事件から着想を得たという話だったが、実際のところはドクター・ミラディが前回の事件を利用していたからこそ、それに影響を受けて思いついたのだろう。
レディ・イリデセントはこの契約をチャコルと交わした。これで彼女はドクター・ミラディに協力する必要が無くなった。クロステストの失敗は避けられないが、実験場の扉を開放する必要は無くなった——。
はずだった。
**
レディ・イリデセントがチャコルと約束を交わした翌日。
二人しかいない東セクターの実験場で。
「フォルカン、なんでその通話記録を……」
「裏切り、それは甘美な音色。悪徳の果実。あるいは失楽のきっかけ」
フォルカンが再生しているのはレディ・イリデセントとチャコルの密会の様子だった。
「なんでそれを持ってるの!?」
「私たちには敏腕で優秀で一筋縄ではいかない素敵な探偵さんがいます」
「ッ……!! す、全ての機材はチェックしてたはず、なんだけどな……!」
「この情報は、あなたをこの組織から追いやり——冬の嵐が温かな家々を襲うようにして——お父様の癒しの可能性すらも奪ってしまうでしょう。得られるものは何一つなく、ただ寂しい荒野に枯れ木が一本残されるだけ」
レディ・イリデセントは狼狽した。
「な……なんでもする。なんでもするから許してほしい。お父さん……本当に何をやってもダメで。この組織に居られなくなったら、私はもう治療のきっかけをみつけることすらできなくなる。告発するのだけは……許してください。何でもするから……」
「おそらく彼女も頷いている事でしょう。私がこの音声を追い求めたのは、自分が取引の一部として軽んじられたことに抗議するためだと」
レディ・イリデセントは眉間に皺を寄せた。
「ど、どゆこと? それが目的じゃないの?」
「『イリデセント、この計画を完遂しなさい』。私が適切にその役割を終え、物語の次の転機へと移るために、その段取りを整えていただきたいのです。それは冬が春へとバトンを渡すように、必然的な過程であり、受け入れがたくも逃れられない運命です」
「それはっ……君が死ぬかもしれないと分かって言っているの!?」
「同情は無用です。私たちは同じ理想を目指す者、ただ自分の父親を救いたいだけ。その想いを否定できるものはいない、でしょう?」
「……?」
フォルカンは雲を渡るようにして優しく歩き出した。
「星の光は暗闇を照らすためにある。瓶に閉じ込めておくなんてもったいない」
続けて宙を見上げた。暗闇が敷き詰められた実験場ホールの遥か彼方。
「私の星」
尊い星を見つけたように腕を伸ばす。しかし掴むことはせずに、微笑んで腕を下ろした。
じわりと涙腺を綻ばせつつ、ただ自分の手を見つめる。星を捕まえてしまったガラスの檻を。
「お父さん……」
**
こうしてフォルカンに脅されたレディ・イリデセントは計画を実行に移した。しかしそれはフォルカンのためであって、ドクター・ミラディのためではない。だからこそ事件直後、彼女はミラディを制圧しに向かったのだ。こうすれば、彼女にまつわるストーリーは「父親の治療を引き合いに出され一度は裏切りそうになったが、しかし正義の心でもって敵に一矢報いようとした」というものになる。これでも相当重い処分が課されるだろうが、しかしおそらく、最も重い処分である「業務に関わる全記憶の処理」は避けられる。同情の余地もあるし、一見すると英雄的ですらある。
ドクター・ミラディからすれば訳が分からなかっただろうな。実験場の扉を開放までしておいて、そこから敵対する理由が見つからないからだ。だからこそすぐに逃げ出さずに悠長にしていたのだろう。
さて、こうしてフォルカン、君は見事に手に入れた。「排除に足る危険性」を。
君の目的は使えないエージェントだと判断されて現在の地位を剥奪されること。
その動機とは……。
「チャコルの行動を制限している自分を許せなかったからだ」
「満開の花畑か、夕日の海辺か、どちらに例えるのが相応しいでしょうか」
「君にとって『星』とはチャコルであり、『瓶』とは君自身だったんだな」
「イエス。キアンは私をあの小さな『世界』から連れ出してくれたけれど、その代わりに私という『世界』に縛り付けられてしまった。こんなにも鮮やかな羽があるのに、路端の水たまりから離れられないでいる」
「『選択』か」
「その言葉をどの古書から学ばれたので?」
「最先端のナビゲーションからだ」
「……彼女に頼った以上、こうなるのは道理でしたか」
ソレイユは過去に思いを馳せる。
「そう。その通り。私はキアンに、あまりにも早い『選択』をさせてしまったのです」
「それは悪い選択だったのか?」
「悲観的な選択であることに違いはないでしょう」
「私見を述べさせてもらおう」
「?」
「『選択』とは如何様なものであれ、肯定されるべきものだ」
キアンがソレイユの頬を叩くのは、彼女が顔を向けるのとほとんど同時だった。
「いっ……たくない」
キアンは大きく深呼吸して、荒ぐ息を飲み込んだ。冷たい床を意識しながら、口惜しそうにソレイユを睨む。
「僕はあの日の選択を後悔したことなんてない。勝手に憐れむなよ、子どものくせに」
「私に背を抜かされそうな人が言うと、笑い話か判断に困るところだけど」
「僕にとってソレイユはいつまで経っても小さい子供のままなんだ」
「それは……」
「ソレイユの気持ちには理解を示すよ。僕は僕が思っていた以上に愛されてたんだね」
「当然でしょう? 貴方が私に何をしてくれたと思っているの?」
「でも僕がどれだけソレイユのことを愛してるかってのは知らないんだ!」
「胸が痛むほどに知っている。けれど私がいなければ、貴方はもっと自由になれる」
キアンは言葉に詰まった。言葉の裏を読めるソレイユ相手に下手に嘘は吐けない。キアンの思いは本物だったが、しかし彼女の論理に上辺でない言葉を返すことはできないように思えた。
けれどそれが隙だらけの理論武装であることを彼女は知っている。
「ご、ごめんなさい。親子のことに口を出すべきではないのかもしれないけど……」
アルケミストが控え目に手を上げた。
「『自由でなければ幸せでない』という考えは間違っていると思う」
アルケミストは振り返って管理人と目を合わせた。管理人は気恥ずかしそうに目を逸らして「任せる」の意をジェスチャーで示している。アルケミストは管理人のそういった仕草が好きな自分に気付いた。
微かに笑みを浮かべつつ、二人へ向き直る。
「『戦火の中にさえ希望は存在するし、平和な場所にも隠された争いがある。重要なのは、幸福の種をどう見つけ、育て、そして守るかだ』——『世界』の大きさは人それぞれだけど、その大きさと幸せの総量は相関しない。きっとあなたたちの『世界』も、何にだって比類しない素敵なものに違いない。ん、じゃあないかな」
二人は顔を見合わせた。
キアンは困った様子で笑いかける。
「ソレイユのおかげで僕の羽に色が着いたとしたら?」
ソレイユは大きく息を吸うと、はるかに長いため息をついた。潤む目を辺りに回しながら、頭を下げる。
「ご迷惑を……おかけしました」
「問題ない。想定内だ」
管理人の言葉を受けて、彼女は初めて屈託のない笑顔を見せたのだった。
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