第21話 水晶玉は盗めない

 探索者が、水晶玉に手を当てる。

 水晶玉が光り、受付側に薄いプレートが吐き出されてきた。


「ご協力ありがとうございます」


 探索者協会の出張所受付嬢である霜月キリは、プレートに細い鎖を通し、それに冊子を添えて探索者に手渡した。


「こちらが探索者の証となるタグとなります。それとこちらは初心者用の冊子となっております。これからのご活躍を期待しています」

「うん」


 新米探索者が出張所を出て行くのを見送り、キリは椅子の背もたれに身体を預けた。

 この出張所は、山の僻地にあり、人気はあまりない。

 加えて、昼下がりのこの時間は特に暇ということもあって、探索者の姿も今の彼で、なくなってしまった。

 そんな彼女のカウンターに、マグカップが置かれた。中身はカフェオレのようだ。

 置いたのは、上司である課長の、上岡カスガだった。

 本人も、同じようにマグカップを持っている。


「お疲れ、霜月さん。仕事は慣れたかい?」

「あ、課長。まだ少し緊張はしていますけど、何とか、問題なくやれています」

「うん、仕事前にも話したけど、探索者の中にはちょっと荒っぽい人がいるから、危ないと感じたらすぐに――」

「はい。ボタンですね」


 カウンターの裏には、警備用の押しボタンが設置されている。

 これは、入り口前に立っている屈強な警備員のイヤホンに連動されていた。


「そう、すぐにあそこの警備員が駆け付けてくるからね。……まあ、ボタンを押す前に止めに来ることが殆どだけど」

「分かりました。……それにしても、不思議ですよね、これ」


 キリは、水晶玉に目をやった。

 台座にはケーブルが繋がっていており、それらは探索者協会の端末へと伸びていた。


「ああ、水晶玉? 確かにねえ。この台座もダンジョン産なのに、何故か地球の規格の端子で繋がるし、どうなっているんだか」


 上岡課長は、ズズッとコーヒーを啜った。


「いまだに研究は殆ど進んでないんだよなぁ」

「え、そうなんですか」

「そうなんです。単純にね、余所に移動させづらいっていうのがまず、あってね」


 上岡課長は、ダンジョンのある方角と水晶玉を交互に指差した。


「ダンジョンと繋がっている的な感じですか?」


 この水晶玉からは、何故か探索者用のタグが生成される。

 となると、ダンジョンと関係があると考えるのが、自然だろう。


「そもそも、この水晶玉がどこで手に入るか、知っているかい?」


 上岡課長の質問に、キリは戸惑った。

 言われてみれば、考えたこともなかったのだ。


「え? ええと……すみません、知らないです」

「ダンジョンに入ると、最初に広間に出る。フィールド型でも、四隅に柱のある舞台っぽい四角いフロアが最初にあってね。そこに浮いているんだよ。これを回収するのが、探索者協会の最初の仕事になるね。場合によっては、他の第一発見者が外に持ち出すこともあるけど」


 この場合の第一発見者、というのは探索者を指すのだろう。

 しかし、とキリは考える。

 ダンジョンは、どこに出現するか分からない。

 判明しているダンジョンの数は、何故か分かっているのだが、一つのダンジョンが攻略されて消えると、別の場所に出現するのだ。

 仮にどこかの山奥とか、大雪原のど真ん中とかだったら……。


「放っておくと?」


 キリが尋ねると、上岡課長は肩を竦めて笑った。


「そりゃあ、知っての通りのスタンピードだよ。鎮まった後も、水晶玉は元の位置にある、というのは分かっているんだけど、人為的にスタンピードを起こす実験なんて殆どしてないから、推測と断言の中間ぐらいになってる」

「外に持ち出して……そのまま、盗んじゃったりしたら、どうなるんですか?」


 水晶玉は、淡い虹色の光沢を放っている。

 便宜上、水晶玉とは言っているものの、本当の素材は不明だ。

 よからぬ考えを持つ人がいたらどうするのだろう、とキリは普通に考えた。

 それに対して、上岡課長は笑い始めた。


「ははははは」


 キリを馬鹿にしている訳ではない。

 それは分かるが、何だか上岡課長の笑いのツボに入ってしまったらしかった。


「え、か、課長?」

「うん、それね、みんな考えるんだよ。僕もそう。実行する人はいないけどね。ダンジョンの外では、スキルや魔術は使えない。これは常識だけど、正確にはちょっと違う。実は、ダンジョンの周辺数十メートルはまだ、有効範囲なんだ」

「え!? そうなんですか」


 微妙に話が逸れているような気がするが、後で水晶玉と関係するのだろう。

 キリは素直に、上岡課長の話を聞くことにした。

 それに、スキルの効果範囲というモノに関しては、純粋に興味もあった。


「そうなんです。大っぴらにしてもいいことはないから、公然の秘密ってやつになるのかな。そしてそれ以上外に水晶玉を出すと……しばらくしたら、今言ったダンジョンの広間に戻る」

「ああ、それじゃ水晶玉の研究はしづらいですね。探索者協会の出張所を抜きにしても、大がかりな研究施設を作るのは、厳しそうです」


 ダンジョンと探索者はセットといってもいい。

 探索者協会の出張所の中に、研究施設を作る訳にもいかない。

 研究員は探索者が邪魔だろうし、逆もまた然りだ。


「そういうこと。それとは別に、ちょっと面白い話もある。怪談みたいなモノかな。中東のすんごいお金持ちがさ、この水晶を欲しがったことがあるんだよ」

「え? でも、持ち出しは有効範囲より外には無理なんですよね? あ! ダンジョンの近くに新しく家を建てたとか!」


 キリの考えに、上岡課長は少し驚いたようだ。


「おお、その発想はなかった。お金持ちがみんな、君みたいな心の持ち主だったらよかったんだけどね。お金持ちは、腕利きの泥棒を雇って、探索者協会の出張所から、水晶玉を盗ませたのさ」

「え、でも、さっきも言いましたけど、水晶玉ってダンジョン周辺から持ち出したら、元の場所に戻るんですよね? どう盗んだんですか?」

「ああ、ダンジョンに戻るには、条件があってね。持ち出した人間が手放したら、になる。それも、数分の猶予がある」


 ふむ、とキリは考えた。

 水晶玉を、ダンジョンの有効範囲から持ち出す。

 そのまま手に持って移動は可能。

 ただし、手放してどこかのテーブルに置いておくと、しばらくしたら消える……? みたいな感じか。

 テーブルに置かず、手に持ったままなら、水晶玉は手元に維持される。


「つまり、ずっと持っていたら水晶玉は外に出たままなんですか。それは、探索者協会としてはすごく困りますね」

「そうはいっても、ずっと持ち続けることなんて不可能だよ。盗んだ人間にも、生活はあるし」


 水晶玉の大きさは、片手で持てる程度だ。

 ボウリング球よりは小さいが、ソフトボールよりは大きい。

 持ったままの生活は、ちょっと厳しいだろう。

 となると……、


「……手首の辺りで切断して、水晶玉を持つ手を維持するというのは?」


 キリが思い付いたことを口にすると、上岡課長はブッと飲んでいたコーヒーを噴いた。


「怖っ!? すごいこと考えるね、霜月さん!?」

「私じゃなくて、そのお金持ちが酷い人ならやるかも……って考えただけなんですけどね。そういうことはなかったんですか」


 上岡課長は、小さく咳払いをした。


「なかったらしいね。ただ、お金持ちは破産した。というかね、盗難事件の発覚やら記録やらが特殊でねえ。ネットに全部流れたんだよ。破棄したはずの泥棒への指示メッセージとか、金の流れとか。あと銀行口座が何故か凍結されて、国の身分証明記録のデータもグチャグチャ。泥棒の方も家族構成やら何やら、ネットに流出して逮捕された。水晶玉は、元のダンジョンに戻ったんだけど……」


 上岡課長と一緒に、キリはカウンターに置かれた水晶玉に目をやった。

 台座に繋がれたケーブルの先は、探索者協会の端末だ。

 この端末は、ネット回線にも繋がっている。


「……この水晶玉、さっき課長が言ってた通り、まだ機能がブラックボックスなんですよね。オーバーテクノロジーというか。何故か端末と接続できちゃいますし?」

「触れただけで、個人の情報をタグにするしねえ。丁寧に、扱おうね?」

「それは、もちろんです」


 キリに、この水晶玉をどうにかするつもりは、微塵もない。

 ただ、この水晶玉、実は意思のようなモノがあったりするんじゃない? みたいな疑惑が少し湧いたりしたのだった。

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