03 火あぶりの村
夕方の食事が振る舞われた。
質素だが二日ぶりの食い物だ。
サニラは無表情に俺たちに命じた。
「ここから北にあるミヤンの村に魔物が棲み付いた。お前たちで退治して来なさい」
さっそくガイムが噛み付く
「お前さ、俺たちは奴隷じゃ無いんだぜ、こっちの都合も考えろよな!」
「賞金が出るそうだ。冒険者ギルドに持ち込めば金になるぞ。悪い話ではあるまい」
盲目の老修道士は口を挟んだ。
彼の名前はブノウという。例の地下墳墓、カタコンベの主に仕える僧侶だ。
「ブノウさん、その魔物と地下のあの魔獣と何か関係が?」
「あのお方たちは聖者だ。貴様らと一緒にするでない」ブノウはぶ然と答えた。
「あ〜止めだ止めだ、俺は帰るぜ」
ガイムは不平不満を口にしながらしっかりメシを掻き込む。
「俺も帰りたい。妹が心配です」
サニラが機械のようにこちらを向いた。
「人間に戻れると思っているのオレス。あなたには自分の手で家族を殺さない自信があって?」
サニラの言葉に俺は息を飲んだ。そうだ俺は今まで無意識に相手を殺してきた。サニラも殺そうとした。
自分を止められないかもしれない。いきなり変身してしまうかもしれない。
まるで自分が悪魔に変わってしまったようだ。
「お前たちはもう私の子供なのよオレス」サニラは緑の美しい瞳で見つめながら機械の様に語った。
「サニラ。なぜ俺は戦わねばならないのだ?」
サニラは何も答えず慈悲深く微笑んだ。
外は日差しが暖かい。
俺とガイムは修道院の古びた法衣を身にまとい、山を越えてミヤンへと向かった。
先日の戦いで衣服は無残なボロ切れに変わってしまったのでブノウが簡単な祈祷の儀式と共に法衣を与えられた。
偽物の修道士の出来上がりだ。
もう草原の草花も芽吹き始めた。
我が家の花の刈り入れはどうしているのだろう。妹が一人でできるのか。不安ばかりがつのる。
「おい、辛気臭い顔はやめろ!」
ガイムは文句を言いながら俺に付き合っている。こう見えて意外に人懐っこいところがある。
「おいオレス、そろそろ行くか」
「何をだ?」
「変身だよ、ウルクになればあっという間に着くぜ」
「いや、俺は歩きたい…」
ガイムは舌打ちをして走り出した。
たちまち法衣を纏った巨大な狼となり、はるか遠くへ消えた。
俺は走り去る銀色の人狼を見送った。
変身するのが怖かった、誰か人を襲ってしまわないか、サニラの言葉が頭から離れない。
雨が降り出した。
歩くとミヤンの村までまだ二日かかる。
仕方がない、俺は人目につかない森の中に入る。さてどうやって変身すれば良いのか。
俺は自分の手を見た。
これがあの獣の腕に変わるのか。牢獄での記憶がフラッシュバックする。
怒り、恐怖、憎しみ、身体の奥で人間では無い何かが目覚める。青い獣!俺はまた変身した。
手足は長く伸び修道着(スカプラリオ)からはみ出す。思わず身をすくめ法衣のフードを深く被り直した。獣の姿を人に見られたくなかった。
雨が強くなってきた。
ガイムのヤツが無茶してないと良いが。
俺は身を屈めながら突風のように森林の中を駆け抜けた。
おかしな村だった。
家畜が消えている。
畑や庭木はもう数ヶ月は放置している様に見える。これでいったいどうやって生活しているのか?
老人を見かけた。
老人は驚いた顔をしてこちらを見ていた。
「すみません旅の僧侶を見かけませんでしたか?金髪で背が高くて口が悪い…」
「……」
老人は無言で去ろうとした。
「この辺で泊まれる宿はありませんか?」
老人は足を止めてしばらく間を置いて言った。
「この道の先に街道がある。宿はその先だ」
村を離れて街道を行く。日が暮れたころ隣の街に出た。街道沿いの田舎にしてはやや大きな街だ。
とりあえず食事と宿を探さなくては。
だが街の者は俺を見るなり走り去って行く。不気味な街だった。
耳をすますと壁の向こうでこちらを伺(うかが)っているのが分かる。
昨日から何も食べていない。
仕方なく広間の石段に腰掛けて休んでいたら、突然背後から殴り倒され蹴られ、縛り上げられた。ふつうの人間なら死んでいたかもしれない。
ウルクである俺は、この程度で気を失ったりはしないが、そのまま動けないふりをした。
男たちは俺を縛り、手のひらに針金を通してつなぎ、担ぎ上げて街の中央広間に転がされる。
広間には薪が積まれ、松明をかざした男たちが歩き回っていた。
他にも二、三人の男女が縛られ、やはり針金で手を貫通させて広間の柱にくくりつけられる。
どうやらこの中にガイムは居ない様だ。
もっとも、この程度でつかまる様なヤツでも無いだろう。
男たちは笑いながら俺を殴った。
薪の炎に照らされて笑顔が歪んでいた。
「判事様がお見えになれば、お前たちは火あぶりだ」
「なぜ俺が火あぶりになるのだ?」
「あんな村から出てくる奴は、全員化け物だ」
「俺は村のものでは無い」
男は笑った
「村の奥は深い谷がある。この街道を通らずに、あそこに出入りすることはできない」
確かにそうだ。俺の跳躍力ならあの谷を飛び越えることができるが普通の人間には無理だ。
「お前はここで火あぶりになる」男たちは笑いながら口々に繰り返した。
そうか狂っているのはあの村ではない。この街だったんだ。
布袋(ぬのぶくろ)をかぶり松明(たいまつ)をかかげて街の住民たちが続々と集まって来る。
教会の司祭を伴って判事と呼ばれる男が来た。見たところ司祭は女性だ。
聖職者には似つかわしくない派手な出で立ちに見える。その両脇には、自分と同じ修道女らしき女性を二人侍らせていた。
本当に教会の人間なのだろうか?
まだブノウの方が信心深く見えるくらいだ。
司祭たちは哀れな囚人たちに何かを飲ませている。
(血の臭いだ)
俺の嗅覚ならば背中を向けていても中身が分かる。
突然、血を飲まされた男が狂ったように暴れ出した。
「出来損ないか…」
「?!…」その言葉は。
司祭の格好をした女はナイフの様なモノで男の顔を軽く裂いた。
たちまち男の顔が崩れ落ちる。
背後で見ていた捕虜の女が悲鳴を上げて気を失った。
司祭たちは次の男に血を飲ませている。狂ったような悲鳴が聞こえた。
まるで人体実験をしている様に見える。
(あの血はエルフの血だ!)
…あの地下牢獄の…
頭の中に「あの地獄」がフラッシュバックする。
間違いない、コイツらはオルクスだ!悪魔の手先だ!
恐怖と怒りで体内の血が逆流する感覚がした。
俺はロープを引きちぎり、傍らの男を殴り倒した。
軽く殴ったつもりだったが首が捩れ飛んだ。
自分の腕を見ると細かいカギ爪が鮫の歯のように並んでいた。これがロープを切り裂いたらしい。ブノウからもらった修道士の法衣までナイフで切った様に裂けていた。
司祭の背後に居た二人の修道女が飛びかかって来た。フードの奥には獣の顔が見える。
「獣人!」一瞬ザイムの顔が浮かんだが身体が小柄だ、山猫に似ている。
俺はとっさに振り払ったが、山猫の修道女の身体は真っ二つに裂け飛んだ。
驚いて自分の腕を見ると、腕の脇からカマキリの斧の様に鋸状の歯が付いた長いカギ爪が飛び出していた。
まるで大鎌か刀だ。
司祭が白い骨のようなナイフを振るうと、水しぶきの様なものが飛び散った。
とっさに躱したが背後に居た群衆たちが悲鳴を上げて倒れる。液体を浴びた部分から腐食している。
(猛毒か?!)
フードを外した女の身体には凶々しい鱗と、無数の毒蛇が蠢いていた。
その姿を見た判事が「ギャア」と叫んで倒れた。群衆も逃げ回った。
毒蛇のウルク!やはり亜人間だったのか!
毒を浴びた死体は見る間に腐食し骨が露出し始めた。
(そうか火炙りにしたのはこの死因を隠すためか)
恐怖と怒りで体内の血が逆流する感覚がした。この感覚は間違い無い、あの忌まわしい悪魔の力が目覚めたのだ!
出て来い悪魔よ!俺に力を与えろ!
俺は信じられない力で空中高く飛び上がった。
獣体変身。
首回りを青い獣のタテガミが覆い、両手足から鎌状のカギ爪が飛び出した。
二匹目の山猫女が飛び上がって来た、すれ違いざまにはねのけたが、山猫はヒラリとかわして屋根の上に着地した。
空中で軌道を変えれるのか、恐るべき柔軟性だ。
こちらも屋根の上に着地する。
星空の明かりでも俺には山猫の動きが見える。
山猫は屋根の上なら自分に分が有ると察したか、素早く走り込んできた。とてつもなく早い。
また俺は腕の「鎌」で払ったが、たちまち山猫に背後に廻られた。
(しまった!)
俺の首を掻き切ろうとした山猫の手首が飛んだ。
俺の背中から無数のカギ爪の鎌が生えている。
山猫は悲鳴を上げて隣家の屋根まで飛び退いた。
とっさに自分の左腕の鎌を引きちぎり、山猫に投げ付けると、山猫の四肢はバラバラにちぎれ飛び、飛散した。
左腕の鎌はもう再生している。
どうやら俺は自在に鎌状のカギ爪を作れるらしい。
地上に女司祭が見える。
金色に光る不気味な瞳がこちらを見ていた。
俺は全身の鎌を逆立てて飛び降りる。
女司祭は素早くムチのような物を振って来た。
早い!
俺はとっさに左腕でガードしたが鎌ごと切り裂かれた。何という破壊力だ!
空中で体勢が崩されたところへ脇から野獣の様な獣人が飛びかかって来た。俺は獣人を切り裂こうとして固まった。
コイツはガイムだ!
ガイムは猛然と俺の腕に喰らい付いている。
(まさかガイム、ヤツらに操られているのか!)
俺たちは屋根にぶつかり、路地裏の石畳に転がり落ちた。
ガイムはまだ俺の腕に齧り付いている。ゴリゴリと骨を砕く音が伝わって来る。
俺はガイムに殺されるのか。いや、いっそ俺がガイムを…
ガイムの首を狙い、俺は右腕を振り上げた。
その瞬間、ガイムは俺の左腕を食いちぎった。
石畳の上に俺の左腕が転がった。
「ウゲっ!毒がちょっと口に入ったぜ」ガイムは唾を吐いた。
ガイムに切り取られた俺の腕はムチを当てられた部分から腐食してバックリと口を開けていた。毒を浴びていたようだ。
すさまじい猛毒だ。
「ようオレス!毒は回って無ぇか」
そうか…ガイムが腕を切り落としてくれなければ俺も死んでいただろう。
「ガイム、すまない」
「ヘッ、何がだよ!しかしお前も「あの女」に真正面からぶつかろうとは、トンだ馬鹿野郎だぜ」
いつもの口調でガイムは笑った。
そうか。俺はもう一人では無いのか。
この戦いの中でわずかに人間らしい明るさが戻ってきた気がした。
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