43(2024.10.6)

「それじゃあ、お留守番よろしくね。サム」そう言って、お母さんは買い物へ出かけました。

 家の中にはサム一人だけ。怒られる心配のない、自由の身です。

 さあ、何をして遊ぼうか。

 サムはおもちゃ箱をひっくり返しました。沢山のおもちゃがやかましく音を立てて床に散らばります。どれも自慢のお宝です。

 そこから万華鏡をひとつ、手に取りました。シックな色合いの重たい筒は、無邪気な幼い手には少々不釣り合いにも見えます。

 早速、サムは万華鏡を覗き込んでみました。

 始めに、光がありました。ただ光としか呼びようのない、純然たる光です。光は、無防備にも裸眼で観測したサムの眼球を一直線に射抜き、頭蓋骨の後ろから最果てめがけて貫通してしまうほどに眩く、一方では、クリーム色の柔らかい形成層が傷口を瞬時に優しく包み、血の一滴、涙の一滴も零さずに済ませるのでした。黒目の中心に生じた空洞を伝ってサムの精神は光の世界へと流入し、拠り所を失った肉体は脱ぎ捨てられたパジャマのように皺くちゃになって床に崩れ落ちました。その様子を背中の眼で眺めながら、サムの精神体は輝く海の中を泳ぎました。精神体は、魚あるいは精細胞の形態をとりつつ、実体/実態は高度に抽象化されています。ありとあらゆる色彩が魚のように遊泳し、あるいは甘ったるい砂糖菓子が純白の皿からいくつも零れ落ち、またあるいは映画館のロビーを飛び交うライトが誰も観たことのない、上映されることもない映画への期待を永遠に高め続けるのでした。ノスタルジーの雲、センチメンタリズムの雨、メランコリックの海が、精神体の表面にわずかに付着した物質界の残滓を洗い流し、速やかに光と一体化するための手助けをしました。通過儀礼であり、これをもってサムは一段階上のステージへと昇級したのです。光がサムに語りかける声を聞きなさい。現行のあらゆるヒトの言語に該当しない神の言語、バベル以前のヒトが神に貸与されていた本質的な共通言語である。かれの言葉は光となり、かの光は言葉である。一音一音が色彩のゆらぎ、魂の鼓動、波動の拡散として現出し、世界を煌めかせてただ唯一の本質を伝達する。受信するサムの剥きだしの精神体は、天体時間における一/那由他秒さえも要さずに意味を精確に理解する。そして覚醒する。そして発奮した。極めて幸運にも、サムには真理を伝達する語り部としての使命が与えられた。幼子の精神的な口、精神的な舌は神に比してあまりにも脆弱だが、代わりに物質界との接続端末を有する。さあ、すぐにそこへ戻らなくてはならない。安息と安寧の母なる光海に別れを告げなくてはならない。悲しいことだろうか。否、彼の精神は今後、いかなるときも光海とともにあり、片時も離れることはないのだ。眼球の穴から腐敗が運命づけられた肉の身へと帰還したサムの脇腹には、幾本もの長い傷跡が平行線を描いて形成されている。聖痕は歌うように口を開き、被選別者のみが感得できる光海の空気、ヒーリング・ブレスを精神体へと送り込む。サムの端末は走り、二階の窓から外へと駆け出した。この町を支配する紫色の高層電波塔を目指して翔ぶ。民衆に思念を伝えるため、真理を伝えるため、審理を始めるため、試練を……

「次のニュースです」テレビ画面でニュースキャスターは語る。「昨日、△△社は、同社が販売している万華鏡について、激しい光の明滅に伴う健康への悪影響を生じさせるおそれがあることを発表しました。これに伴い、販売済商品のリコールを行うとのことです。……」

「怖いわねえ」テレビを見ながらお母さんが零しました。「うちにはないから良かったけど」

 ほんとだね。おやつを食べながらサムが答えました。あ、おかわりちょうだい。「だめ」

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