39(2024.9.9)

「それじゃあ、お留守番よろしくね。サム」そう言って、お母さんは買い物へ出かけました。

 家の中にはサム一人だけ。怒られる心配のない、自由の身です。

 さあ、何をして遊ぼうか。

 サムはおもちゃ箱をひっくり返しました。沢山のおもちゃがやかましく音を立てて床に散らばります。どれも自慢のお宝です。

 そこからクラリネットをひとつ、手に取りました。プラスチックのボディに銀の塗料が塗られた、おもちゃのクラリネット(パキャマラド社製)です。

 サムはクラリネットを構え、

      ドの音を吹いたものの、音が出ませんでした。

     レの音を吹いたものの、音が出ませんでした。

    ミの音を吹いたものの、音が出ませんでした。

   ソの音を吹いたものの、音が出ませんでした。

  ラの音を吹いたものの、音が出ませんでした。

 シの音を吹いたものの、音が出ませんでした。

 壊れている。サムはクラリネットを放り投げました。空を飛んだクラリネットはあわや壁に激突するところでしたが、直前、ぴたりと停止しました。宙にただひとつ浮かぶクラリネット。けばけばしい虹色に輝き、表面ではグリッチが拡大と縮小を繰り返しています。それに感染したかのように、室内の風景すらもチリチリとブレ始めるに至り、

 バグっている。サムは部屋から逃げようとしました。勢いよく突き出された右脚が、蹴り開けるはずの扉を霧のようにすり抜けました。すり抜けは脛のあたりで止まり、サムは扉に片脚を喰われた体勢で盛大にすっ転びました。

 仰向けになったサムの顔を誰かが覗き込みました。

「私はファの精霊」工場Factory交尾Fuckする家族Familyの姿をした何者かは、そう自己紹介しました。「どうしてファの音だけ吹かなかった。お前には音を愛する気持ちが足りない。だから吹けない」

 だって、ファは二文字だから。サムはしぶしぶ答えました。綺麗な階段が作れないんだ。

「なら私はファではなくφだ」ファの精霊は、途端、Fireをまとって闘うFightファイルFileの姿をしたφの精霊へと変化しました。「文句ないだろう。さあ、もう一度試してみなさい」φの精霊は、壁から強引に外した扉ごとサムを抱きかかえ、クラリネットの近くまで運びました。服が燃え、体じゅうをファイルの角でぶたれながら、サムは空中のそれに触れました。

 サムはクラリネットを構え、

 シの音を吹いたところ、澄んだ音色が響きました。

  ラの音を吹いたところ、澄んだ音色が響きました。

   ソの音を吹いたところ、澄んだ音色が響きました。

    φの音を吹いたものの、音が出ませんでした。

     ミの音を吹いたところ、澄んだ音色が響きました。

      レの音を吹いたところ、澄んだ音色が響きました。

       ドの音を吹いたところ、澄んだ音色が響きました。

 壊れている。 サムはφの精霊を階段の凹みへと放り投げました。

 その後、疲れて昼寝したサムは、φの精霊のことなんてすっかり忘れてしまいました。ですが、それは今でも、見えない階段の隙間で燃えているのです。パオパオパ。

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