35(2024.8.12)
「それじゃあ、お留守番よろしくね。サム」そう言って、お母さんは買い物へ出かけました。
家の中にはサム一人だけ。怒られる心配のない、自由の身です。
さあ、何をして遊ぼうか。
サムはおもちゃ箱をひっくり返しました。沢山のおもちゃがやかましく音を立てて床に散らばります。どれも自慢のお宝です。
そこからパラソルを一本、手に取りました。放射線状に複数の色で塗られたビーチパラソルです。子供でも扱えるように作られた、やや小ぶりな造形が可愛らしいですね。
空は完膚なきまでの快晴。雲一つない町を太陽光線がくまなく蒸し焼きにしている最中です。地面で干からびゆくミミズ達の魂の叫びが聞こえてきそうですが、そんなことは意に介さず、サムは室内でパラソルを開くとその下で寝そべりました。
灼熱地獄の悲鳴が遠ざかり、代わりに寄せては返す波の音。ここは一等リゾート地の砂浜です。サムは休暇を利用して遊びに来たのでした。カラッとした潮風が素肌を撫で、出店から漂う未知なる異国料理のスパイシーな香りが鼻孔をくすぐります。観光客や地元民のはしゃぐ声も、イージー・リスニングめいた心地よい倦怠感を誘います。
さて、と。そろそろ泳こうかな。パラソルの下で寝そべっていたサムはサングラスを外して起き上がると、軽く準備体操をしてから海へと歩き出しました。
「サメが出たぞ!」爪先が海水に触れる直前、監視員が叫びました。見ると、ヨットの帆に似た灰色の背びれがいくつも海上から突き出し、こちらへ接近しているではないですか。
砂浜じゅうの砂を震わすほどの悲鳴をあげ、足音をたてて逃げ惑う人々。訳も分からず泣く赤子。楽しい休暇がパニック映画の世界に早変わり、してしまったのでしょうか?
いいえ、まだそうと決まったわけではありません。なぜならここにはサムがいるからです。サムはパラソルを取りに戻ると、開いたままのそれを海に向かって盾のように構えました。
ついに浜辺まで到達したサメが圧倒的な筋力でもって水上へとジャンプし、サムめがけて突進してきました。重戦車なみの威圧感と質量を前に、サムは微塵も怯むことなく、ただパラソルを真上にかざしました。夏場特有の上昇気流に乗ったパラソルは持ち主ごと宙に浮かび、その下をサメが特急列車のように通過しました。特急列車はたまたま進行線上にいた若者を一瞬で轢き肉に変えました。
後続のサメ達も浜辺に攻め入り、逃げ遅れた老若男女を分け隔てなく捕食しました。
その様子を空中で眺めるサム。いつの間にかサングラスを掛け直しています。空いた手にはクリームソーダ(アイス大盛り)まで。サムの楽しい休暇はまだ続いているのでした。
「待て!」地上で繰り広げられる惨状に、言葉通りの待ったをかける者が現れました。声のした方角、監視台の頂上を思わず見やる観光客/地元客/サメ。そこに立っていたのは、ビキニタイプの海パンを履き、群青色にボディペイントした筋骨隆々の男。彼こそはそう、
「ビーチの平和を守るため、鍛え抜かれた肉体ひとつ。セーバー・マン!」威勢よく名乗りを上げたセーバー・マンは、ひとっ跳びで砂浜に着地し、「私が来たからには、お前たちの狼藉もここまでだ!」高らかに宣言しました。「来い! まとめてムニエルにしてやろう!」
サメ達が四方八方からセーバー・マンに突撃しました。セーバー・マンは喰われました。
血肉のように赤い夕焼け空をメリー・ポピンズよろしく飛びながら、サムは家路につきました。帰ったら、土産話をたっぷり聞かせてあげよう、と心躍らせながら。
なのに、お母さんったら、まるで相手にしてくれなかったのでした。まったくもう。
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