28(2024.6.24)

「それじゃあ、お留守番よろしくね。サム」そう言って、お母さんは買い物へ出かけました。

 家の中にはサム一人だけ。怒られる心配のない、自由の身です。

 さあ、何をして遊ぼうか。

 サムはおもちゃ箱をひっくり返しました。沢山のおもちゃがやかましく音を立てて床に散らばります。どれも自慢のお宝です。

 そこから輪投げを一組、手に取りました。手慣れた様子で輪投げ台を床にセットします。

 サムが放った輪はそれぞれ④、⑤、⑥に収まり、横一列に輪が揃いました。

「調子はどうかね」背後で鋼鉄製自動扉メタルドア・ソリッドが開きました。振り向くと、軍服を着た壮年の男性が立っていました。ふさふさと伸びた髭の奥に深く刻まれた皺。瞳は片方が欠け、代わりに埋め込まれた蒼玉サファイアが鋭く輝いています。星戦宇宙船バスター・シップ〈ヤベモドコ号〉の指揮官です。

 生体制御手袋ヒューマン・グローブを外して汗を拭きながら、サムは頷きました。問題ありません。

「そうか」指揮官は操縦室コクピット内を見渡しました。広々として無機質な空間を、無数のボタンや計器類を備えた装置が埋め尽くす光景。それらを操作する人の姿はありません。光も音も重力も、万事が生命から離れた大宇宙の中で、サムと指揮官だけが息をしていました。

「ここに至るまで、実に長い時を要した」指揮官は上着のポケットから葉巻を取り出すと、埋灯火器右指ライター・フィンガーで火を点けました。深々と吸って、吐いて。宇宙よりも遠くを見ながら、「土星の環が消失したという報せを第十七移民星ヤンキー・プラネットより受けた当初、世間の反応は、またか、という呆れにも近いものだった。黒星ブラック・ホールの下痢や短周期ハレー彗星のダイヤ改正の衝撃に比べれば、環が失われた程度がなんだ。そう考える者は星防局職員にさえ少なからずいた。だが、事態は深刻だった」そこで口を閉ざすと、指揮官は前方を凝視しました。サムも彼に倣いました。

 防護ガラスの向こうで、ついに土星がその全容を現しました。そこには失われたはずの環がありました。サム達がこめかみの視力抓バイオ・グラスを回して視力を上げると、環の構成物が細部まで見えました。塩、土砂、三葉虫、石油、円柱、家屋、絹、城塞、鯨、樹木、鎧、絵画、教会、戸棚、鳩、標識、戦車、村、教科書、釣竿、処方箋、蟯虫、出席簿、大根、動物園、時計、演歌歌手――。地球の営為が無差別にかき集められて巨大な環を形成していました。それらの千切れた断片も辺りに漂っています。「土星は、満足のいかない偽物の輪を闇雲に作っては壊し、作っては壊しを繰り返した。そして、宇宙の資源と生命が枯渇し始めた」指揮官の声は震えていました。輪の中に彼の妻子を見つけたからでしょうか。

「土星の暴挙を止めるには、人類が開発した星拘束環エンゲージ・リングを嵌めるしかない。重大な使命を帯びて出発した我々の航路は常に危険に晒された。宇宙山賊ビッグバン・ディックの襲撃に遭い、十名の船員が殺された。美貌触手ビュータクルに女性船員が全員攫われた。生きた真空バキューミアが船内に侵入して五十名が破裂した。彼らの犠牲がようやく実を結ぶ時が来たのだ」サムの肩に手を置いて、「頼んだぞ、サム」生体制御手袋ヒューマン・グローブを装着し直した部下に微笑むと、眼窩の蒼石サファイアを外して操縦室コクピット中央の台座に置きました。指揮官の肉体は急速に老いて干乾び、その場に崩れ落ちました。

 サムの足元で円陣サークルが蒼く輝きました。サムと宇宙船の意識が一体化して超越生命体グレート・ワンと成りました。サムが手を構えると、宇宙船が牽引してきた星拘束環エンゲージ・リングの巨体がそれに合わせて動きました。磨き続けた輪投げの腕前が宇宙を救う神の一手となるべく、土星を狙って、今、

 お母さんがやってきてテレビを消しました。勇壮な音楽がぱったりと止みました。

「今いいところだったのに!」抗議するサムに、お母さんは時計を指さしてこう言いました。

「早く寝なさい!」時刻は午後十時四〇分。窓の外では星々が眠たげに瞬いていました。

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