21(2024.5.5)

「それじゃあ、お留守番よろしくね。サム」そう言って、お母さんは買い物へ出かけました。

 家の中にはサム一人だけ。怒られる心配のない、自由の身です。

 さあ、何をして遊ぼうか。

 サムはおもちゃ箱をひっくり返しました。沢山のおもちゃがやかましく音を立てて床に散らばります。どれも自慢のお宝です。

 そこからビニールの塊をひとつ、手に取りました。折り畳まれた黒いビニールです。

 指令①:階段下の倉庫から空気入れとホースを入手せよ → 埃を被りつつ達成。

 指令②:ビニールに空気を入れよ → 重たい手ごたえに汗水垂らしながら達成。

 指令③:風呂場でビニールに給水せよ → 暴れホースに水をかけられつつ達成。

 指令④:ビニールを二階まで運べ → えっちらおっちら、ひいひいふう。達成。

 所要時間約五〇分(休憩込み)を経て、そこには先刻から打って変わった、縦に長く、パンパンに張り詰めたパンチングバッグの姿がありました。黒々とツヤのあるボディの正面には筋骨たくましいボクサーの絵が描かれ、サムに向かって両の拳を構えています。

「とうとうこの日がやってまいりました。第十五回・全子供部屋ボクシング選手権、決勝」

 頭からボクシンググローブ(右手)を被った司会がもごもごとしゃべります。

「いやあ、思えばここまであっという間でしたね」

 顔面がボクシンググローブ(左手)と化した解説がにぎにぎとしゃべります。

「今回の試合について、どのような展開になると」

「おそらくサム選手が先手を取るでしょう。ちょうどあんなふうに」リング上でサムがジャブを打ちました。「で、それを柔軟性と体幹のすぐれたボグ選手が受け流します」大きくよろけ、しかしあっさりと元の体勢に戻るボグ。「サム選手がもう何度か打って、」ジャブ、ジャブ、フック。「ポジションを変えるかも」ステップを踏んでボグの背後へと回るサム。「ただ、ボグ選手はそれも想定済みでしょう」頭をブウンと旋回する独特の動きでサムの方を向くボグ。「その時に焦らずいられるかどうか」手応えの無さに思わず呼吸が荒くなるサム。「仮に、焦って真正面から行ったとしたら、」より強い一撃でないと。「その時こそ、」サムが放つ渾身のストレート。「ボグ選手が攻勢に回る絶好のチャンスに違いありません」

「ところで、ゴングが鳴っていないようですが」

「そういえば。確認してみましょうか、おうい」

「はい、こちらは中継です」口からマイクを生やしたアナウンサーのマイク氏が答えます。「今日のゴングさんは、会場から徒歩七分の料亭柔布庵に来ています。裏路地のため、世間的な知名度こそ低いものの、地元住民には長く愛されている隠れた名店とのことです」

 金色の頭蓋骨が剥き出しとなったゴング氏。和装の店員が彼の席へと運んできたのは《柔布庵》の人気メニュー、タオルの天麩羅です。観るも香ばしい天麩羅を、つゆに浸して一噛みするなり、ゴング氏たちまち欣喜雀躍、頭蓋を叩いて天高く、響きわたらす黄金の鐘。

「おっと、ここで試合終了の合図です」グローブの口元が唾で湿るのも構わず叫ぶ司会。

 リング上で誇らしげに揺れるボグ。その足元で、腹を抱えてうつぶせのサム。

「ボグ選手、実に見事なカウンターでした。来季の活躍も実に楽しみです」

「それでは、本日の試合中継はこれにて終了です」

「さよなら、さよなら、さよなら……」テレビ画面に混じるグリッチ。やがて吹く砂嵐。

 とぼとぼ階下へ去りゆくサム。後片付けは敗者の役目。えっちらおっちら、ひいひいふう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る