19(2024.5.3)

「それじゃあ、お留守番よろしくね。サム」そう言って、お母さんは買い物へ出かけました。

 家の中にはサム一人だけ。怒られる心配のない、自由の身です。

 さあ、何をして遊ぼうか。

 サムはおもちゃ箱をひっくり返しました。沢山のおもちゃがやかましく音を立てて床に散らばります。どれも自慢のお宝です。

 そこからバケツをひとつ、手に取りました。高さ一〇センチ強の小さなポリバケツです。蓋を開けると、コバルトブルーの粘液がひたひたと脈を打っています。

 出ておいで。声を掛けると、水飴みたいなそれはゆっくり、ねっとり、這い出てきました。

 時はさかのぼり、所は実験室。夜深くに試行錯誤する少年博士の背中。怪しげなブツを手に忙しない彼の脳裏にこだまする、いつぞやの言葉。「うちじゃペットは飼えないの」

 壁の張り紙。《飼えぬと不平を言うよりも、進んでペットを創りましょう》

【『秘術の手帖』(秘術の友社・毎十三日金曜日刊行)より抜粋】

 ・水/湯:一五〇cc  ・洗濯糊:一〇〇cc

 ・ホウ砂:五g     ・絵の具:適量、色はお好みで

 計量コップに入れてよく混ぜ、和合へと至らしめれば、おのずと蠢く粘液が一塊。

 実験室に流れる音楽。《♪こんばんは、赤ちゃん――》深夜二時を告げる柱時計。

 こうして生まれたスライムを、サムは密かに育ててきたのでした。

 柱時計の針を進めて、再び現在へ。床には這いずる粘液溜まり。どっちが頭でどっちが尻尾か、掴みかねるがともかくも、あたりをきょろきょろ見渡すスライム。

 ご飯だよ。サムが置いたボウルには、例の材料一式が混ぜる前の状態で入っています。

 スライムはボウルに頭/尻尾から突っ込むと、バキュームカーのポンプめいた蠕動とともに食餌を開始しました。体色がしだいに青から緑へと変化するのは、食餌に使用した黄色い絵の具からくる混色現象です。もっとも、本当は青い絵の具を与えたかったのですが。

 すっかり平らげ、なおも食い足りないと腹/背を蠕動させるスライムに、

 ごめんよ、絵の具も洗濯糊もさっきので最後なんだ。サムは弁解しますが、まるで聞き入られません。耳がないですからね。餅みたく、ぷっくり膨れて威嚇してみせ、それでも餌が来ないと理解したスライムは、室内を好き勝手に捜索し始めました。

「ひええ」「掃除が大変!」驚きに目を見開く助手たち。スライムの侵攻を食い止めるべく動いたサム博士ですが、何度掴まえても指の股からヌルッと抜け出されてしまいます。

 ベッドの下も本棚の裏も、天井の隅に至るまでが緑色に汚れてゆくさまを見て、悲壮な覚悟を固めたサム博士。身をひるがえしてどたばたと階下へ姿を消しました。再び子供部屋へと舞い戻った時、彼の手に握られていたのは最終兵器=お母さんのドライヤーでした。

「そんな」「なんてこと!」驚きに目を見開く助手たちに、サム博士は力強く言いました。

 私が創りだしたものの始末は、私自身がつけなきゃならんのだ。

 おおい、餌を持ってきた。こっちへ来い。都合よく地獄耳を形成したスライムは、サム博士の呼びかけを聞いて天井からずるりと落ちてきました。ゼロ距離まで近づいたところで、

 許せ、我が子よ。

 最終兵器のスイッチを〔ON〕にして、ぎゅっと瞑った両眼から零れたのはふたすじの水。

 柱時計をさらに進めて、庭で草を刈るお母さんの背中。靴先に固いものが当たり、「何かしら?」見れば絵の具のチューブが一本、地面から墓標のように立っていたのでした。

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