10(2024.2.19)

「それじゃあ、お留守番よろしくね。サム」そう言って、お母さんは買い物へ出かけました。

 家の中にはサム一人だけ。怒られる心配のない、自由の身です。

 さあ、何をして遊ぼうか。

 サムはおもちゃ箱をひっくり返しました。沢山のおもちゃがやかましく音を立てて床に散らばります。どれも自慢のお宝です。

 そこから、バネをひとつ、手に取りました。七色に塗られたボディが眩しいおもちゃのバネです。サムの腕のなかで身をよじっています。ぐにゃぐにゃ。

 廊下へ出たサムは、階段の一番上の段にバネを立たせました。つん、とほんの少し背中を押すと、バネは階下へ向かってお辞儀をしました。あまりに深々としたお辞儀はたちまち前屈へと変わり、頭がひとつ下の段にくっつきました。すると今度は、足が一番上の段から離れ、バネの頭上をしなやかに越えて、さらにひとつ下の段に着地しました。あとは前転の要領で、淡々と、着々と、階段を下りてゆきます。ぐにゃぐにゃ。

 バネが通った軌跡は虹となってその場に残り、暗い階段をファンシーに照らします。その様子を目で楽しみながら、サムはバネのあとからのんびりついてゆきました。

 下に着いたらおやつを食べよう。そう思っていたサムですが、なかなか階段が終わりません。遠方を凝視しても一階は見えず、階段ばかりが果てしなく伸びているではありませんか。

 これは少々危険だぞ。先へ先へと進むバネを放って、サムは引き返すことに決めました。

 しかし、振り返れば子供部屋もまた消えており、無情にも無限の階段へと変貌していました。おまけに、時間が経ってすっかり溶けた虹が階段のそこかしこにべったり粘着していて、とりもちのようにサムの足裏にへばりついては行く手を阻むのでした。

 サムは、七色に汚れた白ソックスを脱いで、虹色粘液の比較的少ないすみっこに座りました。ソックスを放り捨てると、はるか彼方へと落下した末に音もなく闇に呑まれました。

 粘液を除けば、階段には、階段と階段、階段や階段、そして階段しかありません。

 サムは退屈になってきました。バネを回収しておくべきだったと思いました。

 サムは空腹になってきました。粘液をちょびっと食べてみたら甘すぎました。

 サムは鳥肌がたってきました。裸足の指から冷気が全身へと染み渡りました。

 サムは不安になってきました。誰でもいいから助けておくれ、と叫びました。

 すると、階下から何かが近づいてくる気配を感じました。それは七色にきらめきながら、滑らかな動きで階段を上り、サムのいる方へと近づいてきます。ぐにゃぐにゃ。

 バネです。サムの叫びが届いたのか、バネが前転で駆けつけてくれたのです。

 愛おしさがこみあげてきて、サムはたまらずバネを抱き上げようとしました。

 バネは器用に身をくねらせると、サムの腕をすり抜けました。

 そのまま淡々と、着々と、粘液をものともせずに階段を上ってゆきます。ぐにゃぐにゃ。

 呆然と見送るサムの鼻が、ふいに、粘液のそれとは異なる甘い香りを嗅ぎました。今日のおやつがドーナツだったことを思いだした時、バネがげっぷをした音が聞こえました。

 サムは階段を猛然と駆け上がりました。まとわりつく粘液を千切っては投げ、千切っては投げましたが、奮闘の甲斐なく、おやつ泥棒を捕らえることは遂に叶いませんでした。

「あら、珍しい」窓を開けたお母さんが目を丸くしました。

 ほら見て、とお母さんが笑顔で指さした空には、大きな虹が七色にきらめいていました。 

 外気に触れたサムの鼻が、甘い香りを嗅ぎました。

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