第5話

 芽亜が浅い眠りから覚めると、そこは薄暗い部屋の中だった。横になっていたソファーから身体を起こすと、すぐ横に芽亜のコートがかけられているのを見つける。外はとても寒かったと記憶していたが、エアコンが利いているおかげで室内は十分に暖かい。芽亜は身体を動かすと、所々に痛みを感じた。


 芽亜は直前の記憶を思い返そうと、再びソファーに倒れこんだ。すると明らかにソファーやクッションとは違う感触に気付く。芽亜は右手で自分が枕にしているものをまさぐる。すべすべとした肌触りは芽亜の指先を虜にして、その曲線の奥へ奥へと彼女を誘導する。


「ちょ、ちょっと……いきなりそんな奥にまで指入れられたら恥ずかしいんだけど」


「ふえ」

 頭上から聞こえてきた声、芽亜は視線を真上に移すとそこには部屋着姿の六花がいた。二人の目と目が合う。数秒前まで人の気配は無かった、しかし今この手の中にある幸福感と彼女の口から漏れる息遣いは確かに現実のものだった。


「身体は大丈夫? 大きな怪我とかは無いはずだけど」

 六花が芽亜の体を気遣う。六花の手が芽亜の身体を優しく撫でる。腰を撫でられてわずかに痛みが走るがここで言うのも野暮というものだろう。


「はい……。大丈夫です。ていうかこれはどんな状況でしょうか……。ホテル……じゃないですよね。生活感ありすぎですし……」

 芽亜は頭の中のいかがわしい想像をつい口に出してしまう。


「ホテルって……絶対変なこと考えてるよね。まあ部屋の照明とかはちょっとそんな感じかもだけど……。でも残念でした、ここは私の部屋。外寒かったから連れてきちゃった」


 芽亜は直前の記憶を思い返す。


「……そうだ、思い出した。さっきのやばそうな人はどうなったんですか? 私、その時の記憶が抜けてて……」


「ああ、芽亜はすぐに気絶しちゃったもんね。でも安心して、恐い人は追っ払ったよ」

 彼女は膝の上の芽亜の頭を撫でる。


「六花さん……」

 芽亜は顔を赤らめてまじまじと頭上を見る。


「ん?」


「ここから見ると、なかなかいい眺めですね……。じゃない! ご、ごめんなさい。今すぐ離れますので!」

 芽亜は慌てふためく。


「そんなに興味あるなら触ってみる?」


「な、何を言ってるんですか。駄目です駄目!」

 芽亜は起き上がり身体を遠ざける。


「そんなことしたら、後で後悔するかもよ?」

 六花は芽亜の身体を押し倒す。


「あ、あの、六花さん!?」

 六花は芽亜の首元に唇を押し付けると優しくキスをした。


「ゾ……」


「ぞ……?」


「ゾンビ!!」


「何、ゾンビって……」

 芽亜の発言に困惑する六花。


「いや、なんか六花さんに食べられそうだったので!」


「食べられそうって。まあそういう表現もあるけど、それってわかってて言ってる? それとも拒否されてる? ていうかその反応ちょっとショックなんだけど……。わかるでしょ、今のはちゅーだよ、ちゅー」


「ちゅ、ちゅーですか。それなら大丈夫か……。違う! 大丈夫じゃない! まずいでしょうそれは!」


「別にまずくは無いでしょ。私だって相手は選んでるし、意外と相手の事を大事にするタイプなんだよ。実は今すごい落ち込んでるんだよね。なんか疲れちゃった」

 芽亜は明らかに何かやばいスイッチが入っている六花に恐怖を覚える。これ以上この体勢で密着しあうのは色々とまずいと思い、それとなく振り払おうとするが、力で抑えつけられてびくとも動かない。ならばどうするか。芽亜のとった答えは沈黙だった。何とかしてこのままうやむやに終わらせるには無視する以外の選択肢はなかった。

「ねえ、芽亜ちゃんて相手が女の子でも大丈夫?」


「……芽亜ちゃん? あ、あの、六花さん。私のことそんな風に呼んでらっしゃいましたっけ? そもそもさっきまでそんな呼び方じゃなかったですよね!? というか何をおっしゃられているのか、ちょっと意味が分からないというか、いや、意味はわかるんですが、このままやってしまっていいものかと。いや、私は何を言ってるんだ!」

 芽亜は自ら課した沈黙を盛大に破り、沈黙作戦は失敗に終わったのであった。


 六花がおもむろに顔を近づけてきた。二人の唇が重なる。舌を絡めてくる六花に対して流石に抵抗するも振り払える様子じゃない。芽亜は口の中の違和感に気付く。しかし気付いた時には遅かった、思わず口の中のものを飲み込んでしまう。


「な、何をしたんだ!」

 赤面する芽亜、恥ずかしさで顔も合わせらけない状態であったが、そんなことを言っている場合ではない。普段の彼女からは考えられないような勢いで切り出す。


「芽亜ちゃん? なんかキャラがバグってるよ」


「いや、六花さんも相当バグってますが!?」


「確かにちょっとだけ高ぶってるかもしれないけど、私はこっちの方が素なの。えっと、今飲ませたやつ、聞きたいんだっけ。毒とかじゃないから安心していいよ。変な後遺症とかもない、ただの媚薬。腕利きの魔法使いに貰ったやつだから、効果は期待してね」

 芽亜は衝撃の事実に一瞬思考が停止した。


「……な、なんてものを飲ませてくれたんだ! 駄目です。私もう帰ります!」


「え、その状態で外出たら結構やばいと思うけど」


「それは……確かに。もうすでに体が熱くなってきた気がする」


「私ばっかりアピールしちゃってるけど、芽亜ちゃんは私の事どう思ってるのか、聞かせて?」

 六花はさらに体を密着させると、耳元でささやいた。


「わ、私は正直言って六花さんの事、かなり好みの顔で、かっこいいけど可愛いみたいな、それになんか頼りになるし、今のギャップも正直可愛いと思ってます……」落ちる数秒前だった「ぐぬぬ、自分の欲望に抗えない……」


 扉の向こうで大きな鐘の音がした。先ほど六花は事務所兼自宅と表現していた事を考えると、ここは探偵事務所の中にある部屋なんだろう。つまり扉の向こうで来客があったという事だ。


「なんでこんなタイミングで……。適当に言って帰ってもらうから待ってて」

 六花のテンションが明らかに低くなる。


「六花ちゃーん。ただいまー。なんかいろいろあったって下のコンビニの人に聞いたけど大丈夫だったかい」

 男性の声だった。もちろん知らない人の声だが、続いて聞こえてきた声は違った。


「芽亜、来てるんでしょー。色々あって私も来たよー」


(……ん? 今の声は、五月!?)

 小さなノック音が部屋に響く。


「あ、先生、ごめんなさい。部屋にいます。でも今はちょっと待っててください!」

 六花は何とか平然を装う。


「……あー、わかった。お茶でも用意して待ってるよ」


「ありがとうございます」

 男は状況を察してくれたのだろうか。どうやらピンチは回避できたみたいだ。


「有馬先生、どうしたんですか? なんだ、鍵開いてるじゃないですか」


「あ、いや……。守月さん、今はやめておいた方が……」


 開くドア。友人が良く知らない女と体を絡めあう光景を見て、友人の五月はどのように感じただろうか。それは想像に難しくない。


「へ……? ちょ、ちょっと二人とも、これどういうこと!?」


「いや、なんでもない。何もしてないよ。まだ服着てるし、健全だから」

 六花はうろたえる。


「そうでしょうか? なんか二人とも顔赤くないですか? 特に芽亜。ていうか芽亜の首元のやつって……」


「だって芽亜ちゃんが私の事誘ってくるからいけないんだよ!」


「ち、違いますよ! 五月は私の性格わかってるでしょ!? 落ちかけてたのは事実だけど! て、違う、何でもない! ていうかなんでここにいるの!?」


「まあ、私の方から話さなきゃいけないことも色々とありますが、とりあえず……。有馬先生、どうやら先に片付けなければならないことがあるようで、少しだけお時間いただいてもよろしいでしょうか?」


「……ま、まあ、ゆっくりしていくといいよ……。じゃあ僕は茶菓子の準備してるから……」


「という事です。お二人とも、そこになおりなさい!」


「ひぃ」と声を重ねて悲鳴を上げる二人。芽亜曰く、その時の彼女は媚薬の効果を忘れるくらいの鬼の形相だったという。

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