第4話

 人には知りえない知識を持った超常の存在がいた。彼らは大昔より存在しながら、誰にも気付かれること無く眠り続けていた。ある日そんな彼らに触れることのできる才能を持った人間が現れた。今の目の前に立ちはだかる魔法使いも、悪魔憑きと呼ばれる稀有な才能の持ち主の一人だった。


「お久しぶり。会うつもりなんてなかったんだけど、楽しそうなあなたの事を見ていたらつい私も仲間に入れてほしくなってしまったわ」

 アスタロトは穏やかな表情で言った。しかし語り口は淡々としていて、その心の内までは見て取ることができない。


「まさかそっちから現れるとは思ってなかったよ。こんなに簡単に結界を破られるともね。一体どのくらい犠牲を払ったのかな?」


「私これでも結構魔法使いなのよ、それはあなたも知っているでしょう? 魔法石は随分駄目にしてしまったわね。おかげで随分とみすぼらくなってしまったわ」

 アスタロトは欠けた魔法石を投げ捨てる。


「知ってるよ。ところでこれからどうするの? 私まだこの子と話があるんだけど」


「でもその子寝てるみたいよ? 少しくらいなら遊ぶ時間あるんじゃない?」


「何がしたいのかわからないけど、そっちがその気なら相手してあげるよ。でも手加減しないから、覚悟してよね先輩」

 六花はアゾット剣と呼ばれる魔術用の特殊な剣を構える。アスタロトの背中から再び巨大な黒い翼が現れる。これは強力な力を持つ悪魔憑きにみられる使徒化と呼ばれる現象である。この翼は悪魔の権能を使う条件にもなっていて、特に強力な権能を使う場合は必ずこの翼が出てくるという。アスタロトの飛行能力も厳密には翼を鳥のように使い飛んでいるのではなく、悪魔の権能の一つである飛行能力を使い、その影響で翼が出現しているに過ぎないのである。つまり今、黒い翼が出ているという事は彼女が悪魔の権能を使うという合図でもあった。


 アスタロトの飛行能力が発動する。その場に軽く浮かび上がると、ゆっくりと滑空して六花に迫る。その速度は先ほどよりもさらに速い。その行動を読んでいた六花はアゾット剣を前方に突き出す。アスタロトは咄嗟に前方を翼で覆い、アゾット剣を受け止める。その反動でアスタロトの動きが一瞬止まった。攻撃が防がれるのは六花も予想済みであり、その隙に次の攻撃に移る。六花の魔力炉が体内を循環する魔力を燃やし稼働する。六花のアゾット剣が妖しく光を放ち、そこから彼女の身長の倍以上はあろう鋭く湾曲した魔力の鉤爪が現れる。鉤爪はアスタロトの翼に突き刺さり自由を奪う。アスタロトは一度翼を分解させる。その瞬間分解した翼が瘴気となり六花の周りを取り囲んだ。ほんの一瞬、意識が揺らぐが鉤爪による追撃を行う。アスタロトは状況がよくないとみて一歩後ろに下がった。


「大蜘蛛を斬り殺した現代の妖刀もどき『蜘蛛切り』、その能力の大元は呪いの類、いくら悪魔憑きの私でも、それを喰らったらひとたまりもないでしょうね。それにしてもやっぱりおかしいわね。あなたが頑丈なのは知ってるけど、瘴気に対してここまで強かったかしら。さてはあなた何らかの魔人殺しを持ってるわね」

 魔人殺しとは魔人に対する対抗策を仕込まれた魔法の道具の事で、主に指輪やチャーム、場合によっては眼鏡などにも施されることがある。六花は過去にこの瘴気により彼女を取り逃がしたことがあり、その苦い経験が功を奏したというわけだ。


「ご名答。先輩の事は一時も忘れたこと無いからね。でもこれ以上瘴気をばらまかれるのは困るし、ここからは全力で行かせてもらうよ」

 六花は魔力炉で燃やした魔力を全身に行きわたらせると、空の右手を握りしめ、て大きく振りかぶった。


 六花が飛ばしたのは魔力刀マナブレードと呼ばれる魔力をナイフ状に具現化したものだった。これは魔力を凝縮させた、マジ通り魔力の刀であり、初歩的な魔法の一つである。本来は手に持ったまま使うものであり、通常の魔術刀は一度術者の手を離れると、魔力の供給が途切れ瞬く間に消滅してしまう。しかし六花のように魔力量の優れた者や魔力の扱いに長けた者が使用するとその性能は大きく変わり、一度手放しても魔力刀は消えることなく、暫くの間はその場に残り続け、六花のように投げナイフとして使うことができるのである。


 アスタロトはこの魔術刀に対して防御結界を張って応戦するも、それはいともたやすく破られる。六花は二本目の魔術刀を投擲する。アスタロトも再び防御結界を張るが、またも完全に受けきれず、今度はどうにかして受け流す。


「高密度の魔力放出、魔法の矢なんて比べ物にならないか。呪いも瘴気も効きやしない。さて、次はどうしようかしら」

 アスタロトの周囲に再び瘴気が集まり、先ほどと倍以上もある巨大な片翼が現れた。次の瞬間、六花の左手を強い衝撃が襲った。片翼は鎌のように形状を変えて六花の左手の切りつける。狙ったのは六花の左指の指輪、指輪に込められた強力なルーンのおかげでダメージそのものは少ないがその衝撃により指輪の守りに綻びができる。


「あら、本当に強いルーンだったのね。手首ごと切り落とさないか心配だったんだけど、いらぬ心配だったみたい。でも指輪にひびが入っちゃったわね。ねえ六花、苦しい? あなたにこの眼と瘴気の毒がやっと効いてくれた」

 再びアスタロトの背中に現れた二枚の翼が抱きしめるように六花を拘束した。六花は瘴気に肺をやられて咳き込んだ。


「先輩……本当に何がしたいの? こんなんじゃ私は殺せないよ」


「知ってるでしょう。私は別にあなたを殺したいわけでも恨みがあるわけでもない……ただ……」

 六花の左手が何かの魔術を発動しようとしていた。しかしその行動は読まれていた。六花はアスタロトの妖術により左手の自由を奪われる。

「抜け目のない子……。でも嘘つきなあなたを私は良く知ってる」


「嘘つきとか先輩に言われたくないんだけど? でもこっちには気付けなかったみたいだね」

 六花の言葉とともに足元から出現する八本の鉤爪。アスタロトは咄嗟に上空に逃げようと使徒化するが、鉤爪かと思われたそれはワイヤーのように伸び、彼女の体に巻き付く。地に落とされたアスタロトに六花は馬乗りになると、彼女の両腕に封印の魔法を施しその動きを封じる。


「先輩も自分で言ってたじゃん、この刀は『蜘蛛切り』、蜘蛛の呪いを受けた妖刀。魔力性質は蜘蛛の足と糸。見てから見分けるのは不可能だから避けられないのも無理ないけどね」


「最初の左手の封印魔術はフェイクで、本命はあなたの右足の下に隠れていたこれってことね。ここまでやられちゃったら、もう無理かな」

 六花が抑えていたアスタロトの両手から力が抜けていく。彼女の戦意は完全に消えていた。同時に周囲に充満していた瘴気が段々と薄くなり、空気に溶けて消える。


「なんで私の前から消えた先輩が今さら戻ってきたの?」

 六花の顔は険しく、それは怒りとも悲しみともとれる。


「知ってるでしょ。あのままあなたとは一緒にいられなかった。それだけ。でももしも私があの時あなたに救いを求めていたら、今とは違う結果になっていたのかしら」


 六花は彼女が救いを求めないことを知っていた。だからそれが一番正しいことだと六花自身も錯覚してしまった。今に繋がるその選択が正しかったのか、こうして彼女と対峙している現在でもわからない。だから六花は自分を納得させるために言葉にした。


「何を勝手に話進めてるのさ。未練があるのは先輩だけでしょ……」

 六花は言い聞かせるようにその言葉を口にする。ふと彼女に初めて出会った時の事を思い出す。六花はもう一度、心の中で同じように自分に言い聞かせた。

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