第23話▷決戦・浮遊迷宮
(以前は憑りつかれた人間の原型は無く、魔族の体に作り変えられておったが……ふむ)
百年以上の時を経て再び対峙した相手を、油断なく観察する。
魔王はヤギのような角に獣の翼、金色に光る眼と肌を薄っすら覆う爬虫類の鱗……などなど、奴の前世を思わせる特徴を有している。
しかしあくまでベースはアウネリアのまま。
今のところこれ以上の変化の兆しは見られない。
わしが本来すべきは、今すぐアウネリアもろともに魔王を討伐する事。
そう頭では理解していたが、こうして彼女と魔王を別個に考えておる時点でそれは不可能に思えた。
…………友よ。
わしはやはり、どうしようもなく子供に甘いようじゃよ。
しかしそれならそれで、方針を変えるまでとすぐに意識を切り替える。
もとより迷いながら戦って勝てる相手でもない。
アウネリアごと倒すという選択肢に迷いが出た以上、それを切り捨てるのが合理性というものじゃ。
それにここで魔王と対峙出来ておるのは、そもそもあの子が助けてくれたからである。でなければクロエの策にはまって、わしは何もできぬまま、新たに得た生を終えていた。
拾われた命、拾い主のために使って何が悪い。
それを咎めるほど、我が友は狭量ではないわい。
(まずは拳で叩き伏せて、奴を身動きできない状態にする!)
殺傷能力を考えるに、剣が無くなった事も都合が良い。
アウネリアには悪いが、打撲痕だけは勘弁してもらおう。
そう決めると、わしは浮遊する迷宮の瓦礫を強く踏みつけて魔王に向かって跳躍した。
「【地を這う虫ごときが、よくやりおる】」
「その虫にかつて負けたのはどこのどいつじゃ!!」
空中で体をひねり繰り出した拳を、魔王はなんなく受け止めた。
一瞬至近距離で睨み合うが、拳を受けられた場所を支点としてぐるりと筋肉のみで体を変転させ、踵落としを叩き込む。
「【チッ】」
「ほうほうほう! 舌打ちとはずいぶん人間らしい仕草を覚えたのォ!!」
魔王はそれを身を引くことで避けたが、かすめたわしの足が奴の額を割る。
(し、しまった。顔に傷を……ええい、やむをえん!)
一瞬動揺するもすぐに考えを振り払い避けられたことで落下していく体を、別の残骸を踏みしめることで停止させる。
(……ふむ! ありがたい。これなら空を飛翔する魔王とも戦える)
わしはアウネリアの置き土産にいたく感謝をした。
命を助けられた上に、こうして魔王と戦えていること自体が奇跡のようなものじゃからな。
魔王は反撃とばかりに雷光を手に収束させ、矢のように放つ。が、わしはそれも再度の跳躍で避けてみせた。
すると今度は数を増やし、雷光に留まらず炎や氷塊なども遠距離射撃をしてくる。……膨大な魔力をそのままぶつけてきていた以前に比べて、多彩な事じゃ。これもアウネリアの経験値を得ている故か。
が、浮遊する瓦礫は無数にある。縦横無尽に跳び回り、回避や瓦礫そのものを盾として使用し回避と攪乱を計ることが出来た。
ひどく不安定な場所だというのに、こうも戦いやすいのは初めてじゃ。
現在この場に浮遊しておるのは、おそらく海底迷宮。……だったもの。
階層に別れていた建造物は現在すべてばらばらの有様で、原形が残っているものや瓦礫と化したものなど、大小さまざまな形となって空に浮いていた。
わしはこれらを踏み跳躍することで、なんとか空を移動できる魔王に対抗し戦えておるのじゃ。
落ちたら一環の終わりではあるが、これなくしては遠方から一方的に魔法を叩きこめる魔王に勝つ術は見いだせぬ。
そして奴にとっては目障りであろうこの浮遊迷宮……叩き落さないのは、おそらく"出来ない"から。
魔法の解除が出来ないよう
これもまたアウネリアの功績なのじゃろう。つくづく優秀な子である。
しかし「飛べる」「遠距離攻撃が出来る」魔王に対し、わしが叩き込める攻撃は圧倒的に少ない。
更には奴の肌を覆う鱗は硬質で、攻撃するごとに硬度が増していた。
段々と攻撃を叩き込んだ腕や脚が痺れるようになってきておる。
魔王の魔法による攻撃も全て当たっておらぬわけでなく、切り傷から零れていく血が体力をじわじわと奪っていった。
しかし止まって止血している暇もない。
ここで動きを止めたら、それこそ的にしかならぬわ。
……やっぱり、一人で戦うってキツイのう……。
「【ずいぶんとぬるい攻撃をするな。武器は必要か?】」
最初こそわしの動きに忌々しそうな視線を投げかけていた魔王じゃが、自分が有利と確信するや嬉々として余裕をみせてきおった。
馬鹿め。その隙、こちらは存分につかせてもらう!
しかし、言葉というものは厄介じゃ。
「【お前が何を考えているのかわかるぞ? 勇者と呼ばれた者。小娘がよく見ていたからな】」
「ほう? 魔王に人の心がわかるというか」
皮肉を投げかけると、魔王はクスクスと笑って得意げに答えた。
「【この体に小娘の心が戻ることを期待しておるのだろう。無駄だ。お前もそれをよくわかっているから、以前の戦いでは仲間だった雌を我が配下ごと手にかけたのではないか?】」
「!!」
「【随分と長く強い自我で押さえつけてくれたが……。一連の出来事で弱っている所に、己の身の程を遥かに超えた魔法の行使とくれば結果は見えている。残念だったな?】」
痛いところをついてくれる。心がわかるようになったというのもあながち嘘ではないようじゃ。
利用の仕方が最悪じゃがの。
「…………ッ!」
隙を突いたつもりの攻撃は、自分でもお粗末なほどにからぶった。
それを魔王が見逃すはずもなく、爪が鋭くとがった白い手で喉笛を掴まれる。
「がッ」
「【捕まえた。虫取りにしては時間がかかったな】」
こうも容易く惑わされるとは、勇者や英雄が聞いてあきれるわ。
まあそんな後付けの称号……誇れるほどに、わしは強くないのじゃが。
強くありたいと願いこそすれ、わしが自分の弱さを一番よく知っている。
確かにわしは妻を元に戻す可能性を諦めて、彼女を手にかけた。
魔族にその身を奪われた者は、けしてもとには戻らない。それが過去に一度の事例も無い真実。
だというのに今こうして、アウネリアが元にもどる可能性にかけて素手で魔王に立ち向かっておる。
ひどい矛盾だし、これはかつてその命を諦めた妻への裏切りでもあった。
「……だと、しても!」
首を絞めつける手を掴み、己の膂力のみで引きはがす。
魔王め、単純な力比べで容易くわしに敵うと思うなよ!!
「わしは、その子を助けたい! その子の歩む未来が見たい! 諦めてなどなるものか! そのためならばこの古めかしい魂に、いくらでも鞭をうってやるわい!!」
「【ぐぅッ!?】」
肩に手を置きもう片方の腕で魔王の腹に拳をめり込ませた。
これはただの打撃ではない。肌が強固であるならば、内臓にまで衝撃を届かせるまで!
「【っの、馬鹿力め……! 相変わらずのようだな】」
「昔なじみのような
次いで意識を刈り取るべく顎への掌底を狙う。
やはりベースがアウネリアのままである分、人の急所への攻撃がよく通る。これが決まれば一時的に失神させることも可能だろう。
そう思った時である。
「ギッ!?」
腹に伝わる鈍い衝撃。
続いて襲ってきたのは、燃えるような熱じゃった。
「【その薄汚い手をどけなさい】」
腹を鋭利なものが貫通し、それが金属出て来た蜘蛛の脚に似たそれとわかるや己の失態を悟る。
振り返った視線の先にはクロエ……否、クロエの姿をした妻の仇が、わしに金属の触手を伸ばしていた。
……姿が見えないから下へ落ちたかと思うたが、潜んでおったか。
「【我が主よ。ご無事ですか?】」
「【……お前か。しばし待て。整える】」
「【御意に】」
腹を貫通した金属の脚はわしを魔王から引き離すと、餌を枝に刺す鳥のようにわしの体を天へ向けて持ち上げた。
すると自重で貫通が更に深くなり、肉と内臓をざりざりと削っていく。
自分の体から不出来な包丁で無理やり肉を削ぐような濡れた音が聞こえるのは実に深い極まりない。
激痛が走るも、こ奴らの前で無様を晒したくなくて歯を噛みしめて耐え抜いた。
……しかしそんなものつまらない意地でしかないことは、わしが一番よく知っておる。
「【ここへ来るまで手こずりました。お許しを】」
「【構わぬよ。飛ぶ術を持たないお前ではな】」
「【不甲斐ないばかりです】」
「【良い、と言っている。……此度の働き、ご苦労だった】」
「【もったいなきお言葉です】」
わしに殴られた腹を撫でながら呼吸を整えた魔王は部下を鷹揚に労いながら、ちらとわしに目を向ける。
異形の特徴を有しながらも、その顔はアウネリアそのもの。
天真爛漫に振舞う彼女が見せたことの無い冷えた視線が、どうしようもなく不快じゃった。
「【なかなかの健闘であったが、お前一人では勝てぬことは自身が一番分かっていたのではないか? 今も我の魔力が少なかったからこそ、渡り合えていたにすぎぬよ】」
「…………」
そんなこと、分かっている。
わしが以前こいつに勝てたのは、仲間達がいたからじゃ。
魔族の軍勢をこじ開けて魔王への道を開いてくれた各国の軍。
すぐそばでわしが動きやすいように防御と反撃を担ってくれていた魔導士の友。
わしがどんなに無茶をしようとも、必ず傷を癒し次へつないでくれた聖女たる妻。
彼らがいなければわしの力などちっぽけなもの。
わかっておる。
そんなこと、最初から……!
「だからといって、諦める理由にはならんじゃろうが!!」
「【!?】」
「【がぁッ!?】」
武器が無いなら作ればよいと、わしはみずからの腹に刺さった魔族の脚をへし折って本体へと投擲した。
ゾンっと音を立てて突き刺さったのは……惜しい事に、核のある青い花弁ではなく右肩。
しかしぶれた重心でわしの体を支えられなかったのか、その体は傾ぎなんとか百舌鳥の早贄状態から脱することが出来た。
「【……しぶとい】」
「それはこち……ら……の、台詞、じゃ。あのまま、消滅、して……おれば! よかった、ものを。……来世まで、つきあわせ、よって」
「【息も絶え絶えによく
小首をかしげてわしを見る魔王を前に、腹の傷を手で押さえながら立ち上がる。
しかし血は止まらない。これまでの小傷と違い間違いなく致命に繋がるそれを、苦々しく見下ろした。
そんなわしに魔王はついっと人差し指を向ける。
「【憐れなものよ。苦しかったろう? 辛かったろう? 何も知らず呑気に夢を語っていた、我が"皮"を相手にするのは。これでも十六年人間と過ごした中で、慈悲というものも学んだのでな。……疾く、その命解放してやろう】」
「アウネリアは、皮などではない……! それに彼女と過ごした日々は、楽しかった!」
それだけは譲れなくて噛みつくが、魔王はうっそりと笑むのみ。
キィンッと甲高い音を立てて、魔王の爪先に球状の魔力塊が出現する。紫色のそれは光のガラス片を散らすようにして、キラキラと輝いていた。
けして大きな魔力ではない。しかし脆い人間の体を貫通するには十分な威力であろう。
……立っているのが精いっぱいのわしに、それを避ける術は残されていない。
「【ではな、勇ましき者と呼ばれし人間よ】」
「!!」
……最後に足掻いてはみたが、それは魔王の部下に一矢報いるだけの結果。
この状態で狙いが外れるということもないじゃろう。
せめて目だけは反らすまいと真っすぐ魔王に顔を向け両の脚で立つ。
そして命を刈り取る閃光は放たれた。
「させるかぁぁぁぁぁぁぁあああああああああッ!!!!!!」
「ひいおじいちゃまああぁーーーーーーーーーー!!」
「あだァッ!?」
魔王の攻撃が胸を貫く瞬間、わしは真横からの衝撃を受けて派手にスっ転び顔を床に打ち付けた。
「い、いつつ……」
鼻からつうっと血が流れるのを感じつつ身を起こそうとすれば、その頭を押さえつけられて床に逆戻りした。
「まだです伏せて!」
「おぶっ!?」
鼻への二連撃である。
床に叩きつけられた衝撃で一瞬息が止まった。
「リメリエ、そのまま押し付けて回復させろ! 下手に身を起させるな! こちらは俺が防ぐ!」
「任されましたぁぁ~~!!」
事態の把握こそ出来ていないものの、聞き慣れたその声に「無事だったか」と安堵した。
あの状態ですぐに魔王と対峙したがために無事を信じて戦いに身を投じるしかなかったが……。
この窮地に我がひ孫リメリエと親友の子孫であるルメシオ王子は、頼もしくも駆けつけてくれたようじゃった。
「ひいおじいちゃま、じっとしていてください! すぐに痛い痛いの取りますからね!」
「ああ……頼むよ、リメリエ」
痛い痛いの、どころではない致命傷じゃが、背中側から手を当てられたカ所から温かい波動が体にしみ込んでいく。
それと同時に流れ出していた血は止まり、失った血すら復活したような生命力が体中を満たしていった。
否。ような、ではなく実際に補填されていっておるのじゃろう。
修道女として生きてきた中でこれほどの技術、どう身に着けたのか。普段から血を流す事などないじゃろうに。
(いやしかし、わしの孫、天才じゃからの。うむうむ)
誇らしさが胸を満たし、多少の余裕が出て来たので顔を上げれば広く逞しい背中がわしらを守っていた。
「魔王ごときが調子に乗るなよ!! 俺はこんな日のために鍛えて来たんだ。その程度の攻撃でどうにかなると思うな!」
染粉の落ち切った金赤の髪を振り乱しながら、魔法を纏わせた剣で魔王からの攻撃を次々に弾いているのはルメシオ。
その程度、というにはあまりにも手数の多い光が乱舞しているが、彼はそれらを全て弾いておる。
見るにルメシオもまた多彩な魔王の攻撃に対し剣に纏わせる魔法をことあるごとに切り替えており、迫りくる力に有利な力で対抗しておることが窺えた。
もともと強い力を有していた二人じゃが、ここしばらくの冒険で更に実戦経験を積んでいた。
それがまさに開花しておるのじゃろう。
二人の姿にどうしようもなくかつての友と妻の姿が重なり、鼻の奥がつんっとなる。
……いかん、そんな場合ではないというのに。
「エイリス様! 申し訳ないが、防ぐまでは出来ても攻めまでは転じられません! ……動けますか!」
「もちろんじゃ!」
ルメリオに答えつつ、リメリエの癒しを受けた体で再び立ち上がる。
「【……させるか!】」
「ひょわぁぁぁぁッ!?」
背後からの奇襲に、今度は対応できた。
体勢を整えたらしい蜘蛛脚の魔族がクロエの顔を苦悶に歪めて再度の攻撃を計ってきたが、リメリエに届こうとしていたそれを掴んで引き寄せる。
次いでそれを、こちらをハチの巣にせんとばかりに魔法を放っている魔王の前に背負い投げた。
「【あ゛あ゛あぁぁァアアアァあア゛ァァァァァァ!?】」
当然、そうなれば蜂の巣にされるのは蜘蛛脚魔族の方。
体中を魔王の攻撃によって貫かれた魔族は、断末魔の後……沈黙した。
「【………………】」
それを見た魔王は攻撃を手を止め、ゆるく頭を振る。
「【出来ればお前はここで倒しておきたいが。……小娘のせいで不完全な状態のまま、相手をするのは骨が折れるな。大事な部下まで失ってしまった】」
その諦念の滲んだ声に嫌な予感がよぎる。
「【ここは引かせてもらうとしよう。再び相まみえたくば、以前のように我が配下を退けて辿りつくがいい】」
「!! 待て!! ここまで来て逃げる気か!? さっきまでの余裕はどうした!!」
最悪じゃ。この期に及んで、ここまで戦っておいて……奴は今、逃げようとしておる!
確かにここで引かれてしまえば、わしらに空を飛ぶ奴を追う手段はない。そうなれば奴は以前のように魔族の同胞を増やし、軍勢を率いて人類の前に立ちはだかるじゃろう。
魔王の癖に引き際がよすぎじゃろうが!!
「【待つ必要があるとでも? お前と違って身をわきまえておるのだ。……それもこの小娘に学んだことだがな】」
楽しそうに嗤うと、魔王はわしらの攻撃が届かない上空まで舞い上がる。周囲に瓦礫も無く、跳躍するにも遠すぎる。
しかしそんな遠方でも、肉声でなく魔力による声はよく耳に届いた。
「【なかなかに愛い。この皮は、本心を隠しながらつかのまの恋愛ごっこに心躍らせていたよ】」
「……何? どういうことじゃ」
焦りを覚えつつ、魔王に会話する気があるのならその間は逃げられないでいると会話を繋げようと試みる。
その内容はなんでもいい。ともかくこのわずかな間に、やつに届く攻撃を考えねば……!
「【ふふふ。……この娘はな。偽装婚約など持ち掛けておいて、本心ではお前の事を……】」
そこまで魔王が口にした時だった。
「【好】ふざっけんじゃないわよ!!!! それはお前が口にしていい言葉じゃないわゴフゥッ!!!!【!?!?!?】」
明らかに魔王の声でない腹からの肉声が魔王の口から飛び出し、自らの顔を狙った拳がその
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