第22話▷急転直下の邂逅

 魔法の障壁で遮られ、部屋に海水が流れ込んできた時……誰に言われずとも、嵌められたことを悟った。

 後方の扉も封鎖され逃げ場はなく、わしらはただただ塩辛い水の濁流に翻弄される。



 情けない。

 何が勇者か。何が英雄か。


 人の身でどうしようもない事態に陥れば、こんなにも脆い。

 わしは弱いんじゃ。どうしようもなく。



 前世で妻に先立たれ、残された息子を育てた時も同じようなことを思ったな……などと思い出し、やれ死の間際の回想かと焦る。

 そんな場合ではない。今のわしには今のわしで、守るべき者達がおるじゃろうが!

 見ればリメリエは気を失っておるようじゃが、ルメシオが抱きかかえ浮上したのを確認して内心胸をなでおろす。

 彼に任せておけば安心じゃろう。……本当に、立派になった。



 となれば、あとはアウネリアじゃ。



 透明な壁の向こうに隔離された彼女の様子を見れば、最悪なことに額から見覚えのある角が生え始めておる。

 しかしこちらを向いた顔……涙に濡れた彼女の瞳を見て、それがたとえ忌々しい黄金に染まっていようとも叫ばずにはいられなかった。




 ――――アウネリア!!




 まだ。まだじゃ。

 彼女はまだ必死に抗っておるではないか! アウネリアはまだ、魔王ではない!


(その子を……泣かせるな!)


 日の光の下、青空を背負って笑うのが似合う子じゃ。

 あんな風に苦しそうに泣いてる姿など見とうない。





 今回の件、おそらく魔王を復活させるために魔族が仕組んだ策なのじゃろう。

 その魔族がクロエだと見抜けなかったのは悔やむべき失態じゃが、過ぎてしまった事態を嘆くことほど愚かしい行いも無い。

 いや、嘆いてもいい。しかしそこで歩みをとめることだけは、あってはならんのじゃ!!


 アウネリアの名を読んだ時に失った空気に眉根を寄せるが、まだ余裕はある。

 水が流れ込んできた時、できうる限り肺に空気を吸い込んだからの。元勇者の肺活量を舐めるなよ。

 ともかくそんな脳筋のわしに出来る事なぞ限られておる。

 武器が折れ失った今、魔法もろくに使えぬわしが出来る事など特に、それこそ一つしかない。


(殴って、壊す!!)


 水の中ではうまく力が入らない。

 それでもここで諦める事だけはしたくなくて、わしは何度も透明な壁を殴り続けた。


 そんなわしの眼の前で、アウネリアとクロエの様子が変化する。

 先に目を奪われたのは……クロエの変化。

 胸から青い花に似た花弁が咲いたと思えば、全身から金属で出来た蜘蛛の脚に似た触手がいくつも生えてきたのじゃ。

 それはクロエの体を支え、異形でありながら一体の生物としてのあり様を確立する。




 奴は、かつて魔王の身の内から現れた……妻の体を奪った魔族!!




 確かにわしが止めを刺した。……妻の体に刃を埋めて。

 じゃがどういうわけか魔王と同じく、その魂を二度目へとつないでおったらしい。


 先ほど前世の名を呼ばれた。

 なるほど、アウネリアと同じくあの金色の眼に魂の力を見抜く力があるのなら、わしの正体に気付くも道理。

 奴にとってわしは魔王復活の前になんとしても排除したい存在じゃろう。

 正攻法では勝てぬと見て、こうして罠を仕掛けたか。……猪口才な。


 しかしそれが分かった所で、今はまんまとやられて罠の渦中。

 壁を叩く力も段々と弱くなってきて、己の無力さばかりを掴む用で……悔しかった。



 魔族となった妻を手にかけた時、もうこの先は生きていられぬと思った。

 だがそんなわしを引き留めたのは、彼女が残してくれた幼い息子。あの子が帰りを待っている……そう思ったからこそ、ふらつく足で生還できた。

 この子を育み見守るのが自分の生きる意味だと心に決めて生きるうちに、次代へつながる命の輝きをたくさん目にした。


 未来へつなぐ。それこそ新たな生きる糧。

 友に託された約束と共に、未だ心に灯っているわしの希望。


 そして今もまた、その未来を目にしたいと願う子がいる。

 破天荒で無邪気で明るく、人を振り回す天才でありながら人懐っこく愛らしい。不器用ながら素直で、見ていると、一緒に居ると自然と笑ってしまう……そんな女の子。


 角が生え、更には背中から翼まで生えてきておる。もう取り返しは付かないのかもしれん。

 それでもわしはまだ彼女を諦めきれなかった。

 魔王に覚醒した時は、迷わず手にかけると心に決めていたはずなのに。


(どこまでも中途半端じゃな、わしは。大事な友との約束も、守り切れぬのか)


 諦めきれないと思いながら、現状で打てる手がひとつもない。

 ああ、情けない。情けない情けない情けない!




 ……そんな無力なわしの手に、壁越しに白い手が添えられた。


(アウネリア……?)


 未だに涙に濡れながら、こちらを見る瞳は柔らかく微笑んでいた。

 そしてなにやら呟いて……次に瞳に宿るのは、強い決意と覚悟の光。





「!?」





 そこからは身に降りかかった衝撃の記憶しかない。

 巨大な地鳴りの後……目に移ったのは、もう二度と目にすることが出来ないと思っていた太陽と青い空。



「がはっ!?」


 急に吸い込んだ空気の量にむせる。鼻と耳の奥が痛い。耳鳴りもする。

 そのままヒューヒューと浅い呼吸をしながらなんとか息を整え……歪んでいた視界もはっきりとした像を結びはじめた。

 見回せば先ほどまでわしらを閉じ込めておった黒い部屋は豪快に破壊されており、すっかり青空天井じゃ。

 さらにその周辺には、一瞬ここがあの世か? と勘違いするような不可思議な光景。




 ……建造物の残骸が、大小違いはあれど全て宙に浮いておった。

 遥か下には青い海。


 どうもここは、空の上のようである。




「これは……」

「【ふむ……。小娘が、最後にやってくれたな。温存していた魔力をほとんど使いつぶしおった】」

「!!」


 聞き慣れた、しかし聞きなれない"誰か"の声。それが風と共に流れてきて、床に影が落ちる。

 それの正体を見極めんべく顔を上げれば、ばさりと獣の翼をはためかせたアウネリアがわしを天より睥睨していた。




 否。


 あれは、アウネリアではない!!




「【久しいな、勇者と呼ばれる人間】」

「お前には二度と会いたくなかったよ、魔王」




 剣はもうない。しかしまだわしには拳がある。

 腰を低くし構え、腹に力を入れ……自由になった体を存分に振るうべく魔王を見据えた。







「返してもらうぞ。その体は、わしの婚約者のものじゃ」

「【破棄前提、の?】」


 クスリと笑う様が憎らしい。

 ……全て見ていたのだとこちらに思い知らせるべく、奴はアウネリアの顔でアウネリアの記憶を語る。


「まだ破棄されておらんからの。現役偽の婚約者じゃ」

「【異な】」

「ほんにな。じゃがわしは、この関係性が嫌いではない」







 要塞のように宙を浮遊する迷宮の残骸の中。

 長き時を経て、勇者と魔王は再び邂逅を果たした。














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