第15話▷修道女と王子
涼やかな風がわずかに窓を揺らすような、穏やかなある日。
修道院の一室にて、ほくほくとした顔で紙を前にペンを躍らせるのはリメリエ・シュプレー。
勇者エディルハルトのひ孫である。
「むへへへへ。次はなにを書こうっかな~」
「新刊の入稿終わったばかりだっていうのに、あんたも好きねぇ。まあ読者としては楽しませてもらってるし、ありがたいけど。今回のも面白かったわ」
「あああ~! 身近な読者からの褒め言葉即時供給ありがたいですぅ~~~~! やる気が漲る、執筆がはかどる!」
神に身をささげた身でありながら、リメリエの趣味は大衆向け恋愛小説……その執筆である。
もうすでに長年シリーズを展開しており、業界ではそこそこの大御所だ。
ちなみにこの修道院に居るほとんどの修道女はリメリエの作品を愛読しており、その秘密は強い結託で守られていた。
……というのは表向きの話で、実のところとっくにバレており修道院長も彼女の作品を密かに読んでいたりする。
それは院長のみが知る、修道院の最高機密であるのだが。
ともあれそんな愛読者多き小説家メイプルこと本名リメリエは、今日も今日とて自室での執筆に励んでいた。
書けばすぐに感想をくれる
禁欲的な生活も相まって、その妄想力は広がるばかりだ。
そんな中、ふと数か月前の出来事を思い出す。
(アウネリアの作戦、とっても面白そうだけど……ひいおじいちゃまのご意向的には実行されないのですよね。ならわたしが見た、読みたいですし、ちょぉっとだけネタにもらっても……! いえ。いいえ、ダメよリメリエ! これ以上ナマモノをモデルにするのはよくないわ! …………。でも個人的な読み物としてなら有りでしょうか……!? それなら誰にも迷惑かけませんし! あ、いや、でも……。ううう、でも書いたら誰かに読んでもらいたい……! ……そうだ! アウネリアなら読んでくれるかな!? 時期は見計らわなきゃだけど。うんうん、それならいいかもしれませんね!)
思い出すのは金赤の髪に翡翠色の眼をした愛らしい令嬢。
リメリエはとある理由からその色の組み合わせに苦手意識を持っていたが、短い間とはいえ楽しく会話したアウネリアのおかげでその感覚はだいぶ払拭されている。
彼女の世間一般での噂はリメリエも耳にしていたが、実際に会ってみればたいへん好ましい人物だった。
噂とはやはりあてにならないものだなぁと、実感したリメリエである。
(うへへ、わたしの作品を好きでいてくれるだけあって、趣味がばっちり合うんですよね~。あ~あ。また遊びに来てくれませんかねぇ~)
公爵令嬢、それも簡単に外出がままならない身とあっては作戦が実行されない限り再度会うことは難しいが……いつかゆっくり語り合いたいものだ。
直接でなくとも是非手紙のやり取りなどをしたいと考えている。
(雪原のようなひいおじいちゃまの髪色に、隣に並んだアウネリアの赤髪がよく映えていましたねぇ~。例のネタは個人で楽しむとして、新作のヒロイン……せめて赤髪にしていいかしら)
かつての初恋相手。そして自業自得であるものの、リメリエ最大の黒歴史の要であるエイリス・グランバリエ。
その正体が生まれ変わった曾祖父と知り複雑ではあるものの、今では恋心とは別の親愛を抱いている。
さすがに数か月ほど引きずったが、リメリエの強みは妄想力。今ではその気持ちも新作に落とし込み完結させ、非常にすっきりとした心持であった。
だからこそ、アウネリアの気持ちも素直に応援する気持ちになっている。
(アウネリア、あれは絶対ひいおじいちゃまのことが好きですよね~。そういう目をしてましたもん。まるでかつての自分を見ているよう~)
供に過ごしたのはほんの一晩。
しかしかつて同じ気持ちを抱いたものとして、リメリエはアウネリアの気持ちを察していた。
気持ちを知ったからと何かをするつもりもないが、アウネリアが本気で例の作戦を実行する気であるならば……。彼女はその恋心に蓋をして、失恋の後に自分が求めた道へ歩むつもりだ。
盛大に告白を空ぶらせ、黒歴史を抱え泣いて修道院に入り執筆に全ての気持ちをぶつけていた自分とその姿がなんとなく重なってしまう。
何もする気はないというより具体的なことは何も出来ないが、せめて応援はしたい。
それがリメリエの今の気持ちだった。
ならば、と思いつく。
個人で楽しむ方の小説は、彼女の作戦をなぞりつつ……アウネリアがハッピーエンドで終わる、彼女のためだけの小説を書いてもいいのではなかろうか。
しかしリメリエはすぐに、ゆるりと首を横に振った。
(いいえ、いいえ。……ひいおじいちゃまがそばに居るのですもの。悲しい事にはならないわ)
万が一アウネリアが国外逃亡を成功させたなら、エイリスはそれについていくつもりなのだと言っていた。
その目的が魔王の生まれ変わりであるアウネリアの監視であるとしても、彼女がこの先も好きな人と一緒に居られることは確定しているようなものなのだ。
そうなれば、自分が書き記す物語は……。
「恋する乙女の背中を押すような、そんなお話が書きたいですねぇ……。押さなきゃ気づいてもらえないこともあるのよって」
「あら、珍しい。愛され系じゃないんだ? 女の子側が攻めてく感じ?」
ぽろりとこぼれた一言にアンナが反応する。
「うふふ、ええ。たまにはそれも、いいかなって」
穏やかな気持ちでペン先をインク壺へ浸す。
そして友人のために新たな物語を記そうとした……まさにその時であった。
「リメリエ・シュプレー!! 居るか!!」
「うわっひょあぁぁーーーーーーーーー!?」
机の真ん前に窓が開き、にゅっと赤髪の生首が生えて来たのである。
あまりに唐突な生首出現、加えて大声に驚いたリメリエは飛び上がるように席を立ち……反射的に、その額にとがったペン先を突き刺した。
「い゛ッッッッ!?!?」
「悪霊退散! 悪霊退散!! 天に召されてくださいましぃぃぃぃ!!」
「ちょっとリメリエ、生身生身! その人、生身の人間! いやそれにしたって二階の窓に張り付いてるのはおかしいんだけど!! 身なりがいいから多分偉い人! いやでもなんでそんな人が二階によじ登って……いやまて赤髪!? リメリエやっぱり止まって!」
ぐさっ! ぐさっ! と何度もペン先を一点集中攻撃し続けるリメリエ。
その動きはアンナに羽交い絞めされることでようやく止まった。
後に残ったのは生首状態からなんとか上半身までを窓の淵にのりあげて、半侵入を果たした不審者。
……額からは盛大に血が流れ、彼の頭部は二色の赤で染まっていた。
「すみませんすみませんすみません!! たいへん申し訳ございませんでしたルメシオ殿下ぁぁぁぁぁ……! わ、わた、わたし、首飛びます? すぽーんって、飛んじゃいます!?」
「いや、飛ばん飛ばん。君は考えが極端だな。……俺も悪かった。淑女の部屋に窓から男が侵入すればこの仕打ちも当然だ」
「英雄様に、公爵令嬢に、今度は王子様って……。こんな辺境の修道院を訪ねてくるような相手じゃないわよね……。リメリエ、理解が追い付かないからあたしは席外してるわ。あの、殿下? これは誰にも言わない方がいいんですよね?」
「理解が早くて助かる。そうしてくれ」
「かしこまりました」
蓮っ葉な物言いも自国王子の前ともなればさすがになりを潜めるらしく、アンナは疲れた面持ちで部屋を出て行く。
リメリエが潤んだ目で「置いてかないで」と縋る視線を送ったが、アンナは見ないふりをした。優先すべきは自身の心の平穏である。
「おひ、お久しぶりですぅ……」
聖なる術で血だらけだった額の治療が終わると、リメリエは恐縮しきった面持ちで不審者もといルメシオへと挨拶をした。
何故彼がここに居るのか理解の手がかりすらないため、挨拶の他に出来ることがなかったのだ。
一応昔馴染みではあるが、対して仲が良かった記憶も無し。せいぜい「勇者の話を聞かせろ!」と付きまとわれていたくらいだ。
その程度の付き合いである相手をわざわざ訪ねてくる理由も無いと思うのだが……。
「ふんっ。相変わらずビクビクしているな。……これが彼の選んだ協力者とは」
「え?」
ルメシオの台詞に数か月前、曾祖父と交わした会話を思い出す。
リメリエはよくどんくさいと言われるが、それは動作の話であってけして頭の回転は鈍くない。
「も、もしかして……! ひいおじいちゃまが言っていた協力者って、あなた……なんですかぁぁ!?」
「……本当に話は聞いているらしいな。ならば単刀直入に聞くが、アウネリア嬢が立てていた奇妙な作戦の事で最近何か動きはあったか?」
「ひぇっ!? な、ななな、無いです、けど!? というか、数ヶ月前にお会いしてからは一度も会っていませんが……。えと、なにか……あったの、ですか?」
おそるおそる猫背を縮こまらせて伺えば、ルメシオは深くため息をついた。
そしてリメリエが想像もしていなかった事態を口にする。
「アウネリア嬢が賊に攫われ、それを追ったエイリス様の行方も分からなくなった。すでに一週間経過している」
「え」
今しがた聞いた内容をゆっくりと咀嚼し飲み込んで……内容が脳内で理解に形を変えると、リメリエはすぅっと息を吸いこみ。
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」
盛大に驚愕の声を張り上げた。
「声が大きい! ……しかし、クソッ。例のとんちきな作戦絡みならまだ平和だったものを。違うとなれば最悪も想像せねばなるまいか……。チッ」
「……魔王覚醒が、関わっていると?」
先ほどとは打って変わって背を伸ばし真っすぐに目を向けてくるリメリエに、ルメシオはわずかに感心する。
おどおどしているし小うるさくはあるが、切り替えが早く飲み込みも早い。これならば無駄に解説をする必要もなさそうだ。
「……旅支度をしろ。すでに捜索隊は組まれているが、別個で我々も動く。エイリス様の秘密も魔王の事も、知っているのは俺達だけなのだからな」
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