第14話▷後援者のもてなし

「…………………」


 これほど顔が熱くなるのは、いつ以来じゃろうか。

 わしは友人を真似た氷の仮面をかぶり損ねたまま、真っ赤に染まっているであろう自身の顔面を想像して余計に羞恥に身を震わせるはめとなった。


 それに拍車をかけておるのは、目の前で先ほどから遠慮なく腹を抱えて笑っている人物である。


「あっはっはっはっは! いやぁ、笑った笑った! すさまじい勢いでお姫様を助けに来た王子様かと思えば、その彼女に助けられているのだもの! はぁ、愉快だ。くくくくく」

「……少々、魔導製品に不慣れなだけだ」

「今どき? あのね、魔導駆動馬はものこそ貴重だが、道具としては万人に使えないと意味がない。だから操作、少なくとも止まるだけならとっても簡単なのだよ? 安全装置だからね」

「……そうなのか?」


 愉快そうに笑う人間に問うのが癪でアウネリアに訊ねると、あっさり頷かれた。


「ええ。ボタン、見えなかった? 「止まる」って」

「そんな簡単な装置が……!?」

「まあ、あのような場面だったしね。咄嗟に未知の魔導具を扱うのは難しいだろう」

「…………」


 あれだけ笑っておいて中途半端に理解を示されるのもまた、屈辱である。




 現在わしらが居るのは緑に囲まれた森の中……にある、どこぞの貴族が狩猟小屋として使っているであろう建物。

 

 目の前に鎮座するのは真っ白なクロスの敷かれた猫足の机。これだけでも見事な一品じゃとわかる。

 その上には銀色の皿が段重ねになった、ご婦人方の茶会や立食パーティーでよく見かける食器。並んでおるのは色とりどりの菓子や軽食で、どれも小洒落ておる。

 白い陶磁器の茶器に施された模様は繊細で、一流の品であることが窺えた。そそがれた琥珀色の茶も香り高い。

 これらがもともと小屋に備わっていた物でなく、彼らが瞬く間に用意したのだから驚きじゃ。どこにそんな荷物を隠し持っていたのやら。




 現在わしらは、アウネリアを攫った賊にもてなしを受けていた。


 ……否。

 正確には賊でなく、これから探りを入れようとしていたアウネリアの後援者パトロンだったのじゃが。



 軽く説明を受けたものの、まだ納得のいかないわしは菓子にも茶にも手を付けず件の後援者をじろりと睨む。

 緑の癖毛に橋場美はしばみ色の眼、黒い帽子と片目を隠す眼帯が印象的なすらりとした体躯の優男。

 どうやら彼こそがアウネリアの後援者のようじゃ。

 部下らしき男たちの方が年上に見えるが、どう見ても場を支配しているのはこの者である。


 さてはて、いったいどういった人間なのか。

 ……アウネリアを連れて帰ろうとしたところ彼女本人に引き留められ、相手が賊を装った後援者なのだと聞かされた時は驚いたわい。

 同時に納得もしたがの。

 方法はわからぬが護衛全てを昏倒させられたのもアウネリアが容易く攫われたのも、彼女自身の協力あっての事か……と。


 それを聞き、ほんの少し寂しくなってしまったのは内緒じゃ。

 あんなトンチキながら壮大な作戦も全てわしを含めて欺くためで、こちらが本命の国外逃亡手段じゃったのかと。


 ……婚約者として過ごした中で、少しは仲良くなれたと思ったのじゃがな……。


 リメリエの時の事といい、わしは思い込みによる過信が過ぎるらしい。

 ああ、いやじゃいやじゃ。これだから年寄りは。柔軟性に欠けるとはこのことよ。



「やあやあ、そう睨まないでくれたまえ。……といっても、無理だろうが。まずは自己紹介といかないか?」

「エイリス・グランバリエ」

「おお! そちらから名乗ってくれるとは光栄だね! よくこういった場面だと「お前から名乗るのが礼儀だろう」と上から目線で言われてしまうのだよ。まったく、それを言う方が礼儀がなっていないというものだろうにねぇ。貴方はとても紳士的だ」

「それで、名は」

「おっと失礼。べらべら喋りすぎてしまうのは僕の悪い癖だ」


 けむに巻かれているような軽い語り口。……どうも苦手な人種じゃわい。

 これは名乗らせるだけでも主導権を握られそうじゃと、あえて他の言葉を重ねた。


「……後援者とのことだが、そうだとしても彼女に対して随分と馴れ馴れしいな。もう少し離れてはどうだ」


 ジロリと睨む先には件の人物と、何故かこちらではなくその横に座っているアウネリア。隣り合う二人の距離は肩がつきそうなほどに近い。


「……? ぷっ、あっはははははははははは! アウネリア、どうやら彼は僕に嫉妬しているらしいよ? 愛されているね」


 し、しかも呼び捨て!? あああ! 肩を組むでない! 年頃の娘になんてことするんじゃ!


 思わず腰を浮かせたが、わしが何かを言う前に頬を赤く上気させたアウネリアが叫ぶようにして男にくってかかった。


「~~~~っ! エイリスとは、そういうのじゃないから!」

「!?」


 この慌てように、あの顔。まさかこやつ、後援者でありながらアウネリアの想い人なのか!?


(ますます見極めねば……!)





 わしの心に使命感の炎が灯る。





「……失礼ながら、仕事と年収を伺っても?」

「……ん?」

「後援者を名乗り出るならば当然たいそうな収入を得ているのだろうが、見るにその使い方は随分荒いように思える。こんな森の中にこれだけ素晴らしい品々を用意できるのだからな」

「ああ、ええと……。エイリス氏?」

「公爵令嬢が攫われたとあらば当然捜索隊が組まれる。君はそれから彼女を匿いつつ、アウネリアが満足いくだけの支援を本当に行えるのかね? 私にはそれがいささか疑わしい。ああそれと、趣味も聞いておこうか。タバコやギャンブルはしていないだろうな? 酒は私も嗜むが、飲んだ時の癖はどうなんだ? ん?」

「…………」

「どうした。やましい事が無ければ答えられるはずだろう。先ほどまでの滑りの良い口は何処へ行ったのかね」

「……彼、君のお父さんか何か?」

「誰がお義父さんか!!」

「お義父さんとは言ってませんよ!?」


 ダンっと机に拳をついて立ち上がれば、男は慌てた様子でわしをなだめる。


「これはちょっと予想外だな……。エイリス氏、少し落ち着いてください。貴方、僕の事を娘に手を出す間男かなにかと勘違いしていません?」

「娘じゃないわよ!」

「あ、ごめん……つい。だって彼の様子、娘を嫁に出す時の父親みたいなんだもの。え、これってもし僕がちゃんとお眼鏡にかなう人間ならアウネリアをお嫁さんにもらっていいってこと?」

「そんな話はしていない! 私は単にアウネリアを任せられる人間であるか見極めたいだけだ!」


 こやつ何処までこちらをからかう気かと睨めば、キョトンと目を丸くされた。

 なんじゃ。そんな幼げな表情をしたってわしは引かぬぞ。


「……あはっ。過保護だねぇ。それに貴方、とても変わっている。どうもアウネリアが国を出る事自体には反対をしていないように聞こえるが。……彼女を連れ帰りに来たのではなかったの?」

「良い事だとは思っていない。だが彼女が選んだことだ」

「おやおや、ずいぶんと理解がある。アウネリアに弱みを握られているから……というわけでもなさそうだね。貴方は心からそう発言している。これでも仕事柄、人を見る目はあるんだ」


 そう言うと男は眼帯で隠れていない方の眼を細め、アウネリアの肩を叩く。

 あああ! だからそう簡単に年頃の娘の体を……!


「アウネリア、君の気持ちも分かるよ。いい男だね、彼は」

「クロエ! だからエイリスはそういうのじゃ……」

「はいはい、弄るのはほどほどにしておくよ。……さて、僕に興味を持ってもらえたようだからいい加減名乗ろうか。失礼が過ぎた。謝罪する」


 にやにや笑いを潜めて真剣な表情になった男に、ようやく真面目に話す気になったかとわしも椅子に腰を下ろす。

 まだ釈然としないが、ここは一度矛を収めてあちらの発言に耳を傾けよう。


「まず僕がどれだけアウネリアを大事に思っているか、過保護な婚約者殿には伝えておこうかな。……アウネリアはね、僕にとって女神のような存在なんだ。迎え入れたら一生大事にするつもりでいる」

「む…………」


 一転して誠実な色を含んだ声色に、思わずうなる。

 なるほど女神と来たか。……もしこ奴が後援者であるだけでなくアウネリアの真の想い人であるならば、この態度はなかなかに好印象じゃ。

 愛する女は最上級に湛えてこそじゃからな。わしとて若い時はこれでなかなか……。


「ちょっと待ってもらっていいかしら? ……ねえクロエ。それってわざとよね?」

「ん? 何が?」

「まったく。口の端があがってるわよ!」

「おっと、バレたか」


 なにやら納得いかない様子で話に割って入ってきたのはアウネリア本人で、彼女はジト目で男をねめつけてから……わしにこう言った。




「あのね、エイリス。変な勘違いをしないでもらいたいのだけど。……クロエは女性よ」

「……ん?」


 じょせい……女性……。




「女性!?」


「あはははははははははは!! 今日はよく笑わせてもらうな! いやはや、噂とはあてにならないものだね。まさか氷樹の貴公子殿が、こんなにお可愛らしい人だったとは!」



 本日何度目かになるか分からない大笑いをくらったわしは、己の不覚に深く恥じ入るのじゃった。










「自己紹介が遅れて申し訳ない。では、改めて。……僕の名はクロエ。よくレディ・クロエと呼ばれたりもするね。こちら、お近づきの印に」


 そう言って差し出されたのは金属で作られた薄い板。

 時々商会の者などが自身の所属や立場を示す物として使っている物じゃな。加工が難しいため高価だと聞くが。


「……冒険者ギルド、支部長?」


 そこには意外な所属が記されていた。

 こうもあっさり身元を明かすのも怪しいし容易に信じる事も出来ないが、これほどの立場なら調べればすぐに裏は取れるじゃろう。




 冒険者ギルド。

 それはどこの国にも属さない独自の団体で、その起源は魔族との戦いまで遡るため相当に古い。

 どこの国が亡ぼうとも、彼らは変わらず存在する。

 新たに国を興す手助けをしたという話も珍しくなく、一団体としてだけで容易に片づけられる存在ではない。


 わしもかつては所属しており、魔王退治の旅にも色々と手助けをしてもらったもんじゃ。

 そして支部長ともなれば、影響力は貴族にも匹敵する。





「まず先に言っておきたいのは、今回の件は僕の独断。アウネリアは直前に知ったにすぎないから、怒らないであげてね? ふふふっ。彼女にも乱暴だと怒られた」

「……そうか」


 それを聞いて少しほっとする。アウネリアはわしを欺いたわけではなかったようじゃ。





「僕は彼女の才能は広く世に知らしめすべきだと常々考えていてね。けど……まったく。どこの国も代を重ねると考えが固くなっていけないね。魔族の脅威が薄くなれば今度は人間同士で争い始めるし、腐敗する。頭の痛い事だ。いつの世も魔族の脅威がなくなった事など無いというのに。……だからそんな狭い籠に彼女が閉じ込められるのは我慢ならない」

「それで後援者に?」

「ああ。彼女と出会ったのは迷宮なのだけど、まさか最初は公爵令嬢だなんて知らなくてね。あとで知って驚いたし、その時にはすっかり彼女の優れた力の虜になっていた。このまま埋もれさせるだなんて、とんでもない」

「だがこのような手段で攫えばそちらの立場も危うくなるのでは?」

「そこは僕だもの。顔が広いからね。女の子一人かくまうなんて容易だよ。この国近辺では金赤の髪が王族に連なる者だとは有名だけど、海でも超えればそんなこと一切知られなくなる」

「なるほどの……」


 どうもこやつ、相当遠くまでアウネリアを連れて行くつもりのようじゃ。


 わしはこれに対しどう考えを述べたものかと腕を組んだが、しかし最初から決めていた事だとすぐに腹を決めた。

 こ奴の事もまだまだ信じたわけでは無いしの。







「ならば私も共に国を出よう」

「……おや?」

「エイリス!?」




 驚く二人を前に、やっと一泡吹かせられたとわしは満足そうに口端を持ち上げるのじゃった。










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