第12話▷傾けた天秤
緑が濃く生い茂る森の中、風のように駆ける者達が居た。
その姿かたちこそ馬に騎乗する人間であるが、その速度が尋常ではない。
障害物を避ける際の動きの機動性などは特に、動物の動きではなかった。
しかし高速で駆けているにも関わらず、背に跨る者達はほとんど振動を感じていないようである。
まるで湖畔を優雅に散歩でもしているような面持ちで、その集団の中心人物は自分と同じ馬に乗せた少女を愛し気に眺めた。
「………………」
金赤の髪を馬上で揺らしながら背後を振り返る少女に、同乗者はクスクスと笑う。
「鮮やかなものだったろう? まあ、君の協力あってのことだけれど。……しかし、妬けるね。なにやら未練があるようだ」
「べ、別に。そんなことは……」
否定しながらもしゅんと小さくなった背中を前に、同乗者はやれやれと肩をすくめた。
「君のために特別にあつらえた魔導駆動馬だったのだけど、これでもお喜び頂けないとは重症だね。そんなに婚約者殿が気になるのかな?」
「!」
それを聞いて今度は少女の肩が跳ねた。
相変わらず分かり易い子だなと感じつつ、同乗者は更に言葉を重ねる。
「まさか、あの魔性殺しで有名な氷樹の貴公子殿を射止めるとはね。やはり僕との約束など忘れて貴族としてその一生を過ごす気なのかと、ずいぶん落胆したものだよ」
「違うわ! エイリスは私の芝居を手伝ってくれていただけで……!」
「ほう、芝居? あの氷樹の貴公子殿が? どうやって丸め込んだのか非常に興味があるね。あとでゆっくり聞かせてくれたまえよ」
「………………」
少女……アウネリア・コーネウリシュ公爵令嬢の婚約者、エイリス・グランバリエ。
先ほど遠目ながら実際に目にしたものの、立ち姿ひとつからして格が違ったとアウネリアの同乗者は考える。
自然体でありながら常に周囲への気配を怠らない。言ってしまえばそれだけなのだが、それを高精度で実行できる人間はなかなかに希少だ。
「いや、それにしても流石に隙が無かったね。彼が近くに居ては成功率も下がるからと、わざわざ引き離して正解だったよ。……単身であの数の魔物を蹴散らすとは、流石に予想外だったけれども。魔将殺しの名は飾りではなかったようだ。護衛の半分も一緒に連れて行ってくれたらと思っていたのに、一人だよ? 笑っちゃったね。どうも彼についての噂には尾ひれも背びれも胸びれもついてはいないらしい。感服した」
「……襲われていた人や魔物も、あなたの仕込み?」
「少しだけ、ね。最近この辺で魔物が活性化しているのは本当だから、僕は少し誘導をしてあげただけさ。でなければ魔族でも無いんだし、魔物を操れるわけがないだろう? ……いやぁ、でもこちらで用意した
「あなた、性格が悪いわ」
「お褒めに預かり光栄ですよ、僕の女神」
愉快そうに笑う同乗者に、アウネリアはただただ押し黙る。
受け応えをする余裕がないほど、今は色んな人物へ向けての申し訳なさで頭が閉められていたからだ。
『やあ、僕の愛しい女神様。迎えに来たよ』
エイリスが魔物に襲われていた馬車を助けに行ってから、ほんの数十秒後だった。
これから国境近くの町へ赴き接触を図ろうとしていた
耳元に届いた聞き慣れた声と馬車の中に投げ込まれた「昏倒」の力を有する魔導具にその意図を察したものの、一瞬躊躇ったのはエイリスの存在があったからだろう。
それでも腹をくくり魔導具を発動させたのは、趣味をずっと続けて生きていきたいというアウネリアの夢のためだ。
アウネリアの強力な魔力を受けて通常の何倍もの力を発揮したのもまた、現在騎乗している魔導駆動馬と同じく魔学の結晶。……そんなものを作り出したり、未知を既知に変えていく悦楽を追い求めたい。
その欲こそがアウネリアの活力だ。
叶わぬ恋に目がくらみ、失うにはあまりにも惜しい。
(そうよ。この才能は公爵令嬢という枠に収めておけるほど小さくはないのよ。私は天才だわ)
だというのに何故誰も分かってくれないのだろう。
家族の中で一番自分に甘い兄カリストフでさえも、魔学の研究を続けることに良い顔はしなかった。
(……でもエイリスは一度も、私が好きなことを否定しなかったな)
彼の存在を振り払おうと自分の欲や夢についてを考えていたのに、ふと脳裏に浮かぶのは氷のような怜悧で完璧な美貌が、好々爺然とした朗らかな笑みに崩れる様子。
アウネリアと二人きりの時にし見せない、アウネリアが大好きなエイリスの表情である。
数か月。
エイリスと偽の婚約者として過ごしてきたが……大好きな野外研究を封じられて以来、その数か月が一番楽しかった。
もとより淡い恋心を抱いていたが、それが大きく肥大化する程度には。
エイリスは勝手に魔学の本を書庫から漁って読みふけるアウネリアを見ても、止めるどころか興味深そうに質問をしてきた。
調子に乗って早口で喋りすぎたあとは我に返って反省もしたが、エイリスは「楽しかった」と笑うのみ。
自分の好きなことに興味を持ってもらえた。
自分の話に耳を傾けてもらえた。
…………そのことが、何より嬉しかったのだ。
そこまで考えて、ふつふつと心に湧き上がってきたのは……我ながら身勝手な"怒り"だった。
「……ねえ、賊を装って攫うだなんて、いくらなんでも急すぎるし強引ではないかしら?」
しばらくだんまりを決め込んだと思ったら、口を開くなり不満げに言葉を吐き出したアウネリアに同乗者は片眉を上げる。
「しかしねぇ……。これでも苦労したんだよ? 君を迎えるための準備はもちろんだが、どうやって君を連れ出してあげようかとね。王都内では流石に下手な動きは出来ないし、使い魔を含めて君とはいっさい連絡が取れなくなるし。ずいぶんお転婆をしたんだね」
「う゛」
それを言われてしまえばアウネリアも反論できない。
抜け出したり逃亡したりで、その防止も兼ねて警護を厳重にしてしまった自覚はあるからだ。
「……君なりに何か考えはあったようだが、現状でその話を詰めるのにどれだけ手間がかかると思うんだい。国境近くの町へ向かっていたようだけど、そこで君から僕にうまく接触を測れるという保証は?」
「うぐっ。で、でもこうして……」
「アウネリア。君が今ここに居るのは、僕がわざわざ君の動向を綿密に調べ上げて機会を見計らっていたからだよ。こうして貴重な道具の手配もした。そうでなければあんな馬鹿みたいな護衛の数を縫って、君を連れ出すなんて不可能だからね」
「…………!」
「……いいかい? 時間の損失はこの世で最も価値あるものの損失だ。僕は君の才能がすり潰される時間を少しでも短くしたいんだよ」
「…………」
そこまで言われてはアウネリアとしても黙るしかない。
この人物は自らの危険も承知でアウネリアのために直接迎えに来てくれた。そこに文句を言うのはあまりに失礼である。
(全部、私のせいになればいいのになぁ……)
国外逃亡を心に決めた時、色んな人間に迷惑をかけることも承知の上だった。
しかしせめて責任は全部自分が被ったうえで。悪役にだってなってやる。……そう考えていたのに。
賊に攫われたという形になれば、供をしていた護衛や同伴者であるエイリスが担う責任は軽くない。
そのことを考えると、どうしても気分が重くなったが……。結局決断したのは自分である。
方法は乱暴であるものの、後援者を責めるのはやはりお門違いだ。
(もう、後戻りも出来ないしね)
憂鬱な気分で自らが跨る金属の背をつるりと撫でる。
形状は馬を模しているが、その体は黒金色の金属で組まれている。
各部位に魔力を原動力として発揮するための魔導文字が彫られており、淡く光り効力を発揮する魔導文字により重い金属の体を羽のように軽く、風のように速く動かすことが出来るのだ。
ちなみに魔力は必ずしも操縦者に求められるものではなく、専用の道具に魔石や他者から抽出した力をこめれば誰でも使用が可能となる。
まさに最新魔学の結晶のような存在。
これだけ距離が離れてしまった今、普通の馬では追いつけまい。
個人の才能に由来する魔法こそが魔学の中でもっとも優れた力であると言われているが、こうした技術が発展すればいずれはその考えも形を変えるだろう。
技術たる魔術と学問たる魔導が、魔法の才能に恵まれない者にも力を与える。
アウネリアはそんな無限の可能性を擁する魔学こそ、人生を捧げるに相応しい実益を兼ねた趣味だと考えているのだ。
そしてこれから向かう先は、そんなアウネリアの才能を受け入れて供に魔学の発展を目指してくれる場所。
――――腹をくくるのよ、アウネリア。
きゅっと唇をかみしめて、再び振り返りそうになる頭を左右に動かす。
次に見据えたのは前方だ。
未練は捨て置け。すでに心の天秤は傾いた。
(これ以上好きになる前で良かった)
そんな考えを巡らせながら、毅然と背を伸ばしたアウネリアだったのだが……。
「ぎゃああああああああああああああああっ!?」
「!? どうした、お前達!」
「な、なにごと!?」
突然後方から悲鳴が上がり、すわ魔物かと身構えた。
後援者は四人の部下を連れており、その全てが魔導駆動馬に騎乗している。そのため並の魔物ではこの速度に手を出すこともままならないはずだが……。
「……は?」
「……え?」
二度と振り返らないと決意したその矢先。
アウネリアが振り返った先に見えたのは……。
「わしの婚約者を返してもらおうか」
もう二度と会う事は無いと考えていた、愛すべき偽の婚約者だった。
傾きかけた天秤が、均衡する。
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