第9話▷少女の未来に|幸《さち》を願い
「エイリス、今日も楽しかったわ~!」
「わしもじゃよ。ではな。気を付けて帰るんじゃぞ」
「はぁい」
今日も今日とて休日を押しかけ通い婚約者(偽)に潰されたわしじゃったが、もともと休日は家で過ごすことが多い。
今の実家である伯爵家にはよく仕事の後に顔を出しておるし、休日はアウネリア嬢を優先しろと逆に釘を刺されているくらいのため特に問題は無かった。
実際アウネリアと過ごす休日は悪くない。
お互い人目を気にせず素の口調で話せるし、昼食やおやつに自分の作った食事を振舞うのは好きじゃしの。
最近ではアウネリアもなにやら張り切っており、一度失敗をしてからはわしが料理をするときは真剣な目で横から覗き込んで学んでおる。
人に物を教えるのも嫌いではないし、新たにアウネリアが好きそうなレパートリーを増やしておくのも楽しみじゃ。
アウネリアが人目が無い事をいいことにわしの書庫から魔学に関する書籍を漁って読んでおる時は、逆にわしの方が講義を受ける。
勇者や英雄などと呼ばれはしても、わしはどちらかというと脳筋寄りじゃからなぁ……。魔学に関してはほとんど素人じゃ。
新たに知識を得るというのはいくつになっても楽しいもの。
将来的なボケ防止のためにも、知識を得る機会があれば積極的に取り入れたいし趣味の幅も広げておきたい。
アウネリアも興味をもってもらえたのが嬉しいのか、わしが楽しめるように分かり易く面白く説明してくれるしの。
時々実践しようとするのは困るが。……家の中じゃぞ!
こうして、アウネリアとの偽装婚約は驚くほどに穏やかな時間を過ごしておる。
アウネリアの要望で対外的には「わがまま令嬢に無理矢理婚約を押し付けられた(間違ってはいない)憐れな英雄」と思わせるため、アウネリアに向けている好意に塩をまぶさねばならぬのが骨折りじゃがな。
しかし……。
「ふぅむ……。幸いなことじゃが、魔王としての片鱗は瞳の変化以外は出ておらぬ、か。あれはすでにアウネリア自身の力として安定しておるということか?」
アウネリア一人いなくなっただけでこれまでよりずっと静かに感じるようになった自室で、今はない顎鬚をしごく仕草を空ぶらせながらつぶやく。
時々癖でやってしまうのじゃよな。
アウネリアの魔眼を見てこれまでより近くで監視する必要があると考え、偽の婚約者を引き受けた。
しかし今のところ、アウネリアにあのおぞましい気配を感じることはない。
強いて言うなら元来の魔力の高さやそれを高水準で操る力、魔学の才能に嬉々として魔物の肉を実験でこねくり回すところに魔王の片鱗を感じなくもないが、それはアウネリア自身の努力と個性として扱って良い範疇。
魔王としてこじつけるにはいささか乱暴であろう。
「このまま、健やかに育ってくれたらいいのじゃがな……」
願わくば、彼女の身に剣を入れることが無き事を。
願わくば、彼女の未来に
「エイリス! 今度ね、国境近くの町でお祭りがあるの! 公爵家に縁ある領主様でね。よかったら婚約者と遊びに来なさいってご招待を頂いたわ!」
ある日、そんな話を携えて訪れたアウネリア。
おそらくその内容はもう少し公的なものであるはずだが、親しい間柄なのじゃろう。これを受ければ久しぶりの外出ともなるためか、アウネリアは非常に心躍らせているようじゃった。
……以前リメリエを訪ねた小旅行で二人して魔物の血にまみれて迷宮から帰還したがために、しばらく王都外への外出は禁じられておったしのぅ……。
いやはや、アウネリアに無理矢理付き合わされたことは公爵家や護衛の方々も理解してくれたが、婚約者ならばもう少ししっかりしろとも遠回しに言われてしまったわい。例のねちねち兄上殿からも散々こき下ろされたしの。
ともあれ、日程さえ調整すればついていくのは問題ない。
そのためわしも気楽に了承しようと思うたのじゃが……。
「国境近く?」
ひとつ引っかかり口に出せば、アウネリアはそれまでの無邪気な笑顔でなく……ニヤリとした笑みを浮かべ、扇を広げその影で囁くように言った。
「あら、お気づき? ……むふふふふふ。そう、国境よ」
「……例の?」
誰も居ないのにあえてはっきり言葉を口にしない、秘め事のような問いかけをすればアウネリアはますます笑みを深める。お気に召したらしい。
「ええ、例の! むふふふふっ。これで私の
(来たか……)
アウネリアが国外逃亡した後に頼ろうと考えている後援者が何者か。わしにはそれを見極める必要がある。
以前リメリエにも言うたがもしもアウネリアが何らかの方法で国外逃亡を実現させた時は、わしもそれについていくつもりじゃ。
身分を考えればもってのほかなのじゃが……わしは
勇者などと大層な名前で呼ばれる前。わしもまた、夢を追って村の外に飛び出した若者じゃったのだから。
そのため魔王を見張る役目が最優先でがあるものの、アウネリアが自らの足だけで人生を歩もうというのならその手助けをしようと考えておる。年寄りの冷や水やもしれぬが、魔学に瞳を輝かせているアウネリアを見ておったらなぁ……。どうにも、応援したい気持ちも湧き上がってきてしまうというものじゃ。
よって、保護者としては世話になるにせよ世話にならぬにせよ見極めねばならぬ。
これまでいっさい国外逃亡後について話さなかったアウネリアから情報を得る機会は、他にそうあるまいしな。
(さてはて、どんな輩か……)
以前はかなり精力的に魔物狩りなどで飛び回っていたらしいアウネリア。
その時に出会ったならば、もしかすれば相手はアウネリアの身分すら知らず単純にその才能を見込んで後援者を引き受けたのかもしれない。
しかしその場合でも悪用を考えていないとは限らぬし、アウネリアの身分を知っていた場合は更に嫌な予感は増す。
(この子、魔学の才能以外は色々と不安じゃからなぁ……。頭の回転は速いしひとつひとつの才は素晴らしいが、どうも今一つぬけておるというか……)
上機嫌のアウネリアを前に苦笑する。
う~む……。わしも随分、絆されたのぅ。
「……共にゆくのは構わぬが、協力する代わりにわしもその後援者とやらに会っても構わぬかな?」
「あら、エイリス。気になるの?」
「大事な婚約者を任せる相手じゃからな」
少々冗談めかして言えば、アウネリアはくるりとこちらに背を向ける。……む? 機嫌を損ねたか?
「ま、まあ……いいわよ? でもエイリス、私があなたの秘密を握っている事を忘れないでちょうだい! 秘密は絶~っ対! よ!」
「ああ、承知しておるよ」
ふむ。こういう時、アウネリアがわしの弱みを握っていると考えてくれるのはありがたい。
自分が優位に立っていると思えばこそ、こちらの要求も通り易いからの。
かくしてわしらは、表向きは祭りの招待を受けて……真の目的としてアウネリアの後援者に会うため、国境近くの土地へ旅立つことと相成ったのじゃった。
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