第7話▷アウネリアの秘密
「えふ、えへ、うぇへへへへへへへ! まさかこんな最高級素材に出会えるなんて! なんて綺麗な青緑色の血かしら~! でもこれ時間経過で色褪せちゃうかな……。保存出来たら小瓶に入れて飾ったら素敵かも! あ、でも色褪せていくならそれもそれで時間経過ごとの変化を観察できるわね!? よし、持って帰りましょう! ねえエイリス! 液体を入れられる物は何かない!? 出来れば密閉できるやつ!」
「…………」
手をわきわきとさせながら後ろに手を差し出せば、無言で渡される水筒。
アウネリアはそれを嬉々として受け取った後、お礼を言おうと水筒を渡してきた人物の顔を見て……固まった。
水の深い深い場所の色によく似た、藍色の瞳。
それがひどく冷え切った、それこそ"氷樹の貴公子"と呼ばれるに相応しい表情でこちらを見下ろしている。
現在周囲には誰も居ない。つまりこれは演技の表情ではありえなかった。
「……満足されたかな? アウネリア嬢」
「え、ええ」
返事をしながら水筒を受け取って、両手で包むように抱きかかえて彼に背を向ける。
気づけば手は震えていた。
(あ……。これは、やって、しまった、かも……)
アウネリア・コーネウリシュは、首を落とされた獣型の魔物を前に……。
自身の血みどろの服を見下ろしながら、顔を青ざめさせるのだった。
遡る事、数時間前。
「この氷菓子、と~っても美味しいわねぇ。氷結の術式をうまく使っているわ。……ほら、エイリスも食べたら?」
「ほほう、それは興味深いですじゃ。……ですね。いただきましょう」
人目があるからかジジイ口調を改めたエイリスは、アウネリアの持つ器から星型の氷菓子を摘まんで口に放り込む。
その仕草が妙に子供っぽく見えて、アウネリアはクスクスと笑った。
続いて交換とばかりに差し出されたのは、細長くカットした芋を油で素揚げしたもの。
紙の器からつまんで口に入れれば、カリッほくっとした二つの食感を楽しめる。まぶされた塩も丁度良い味付けだ。
(なるほど。二人で分ければ、いろんな食べ物をお腹いっぱいになることなく楽しめるわけね! 覚えたわ)
手で食べ物をつまんで歩き食いするのも、買ったものを分け合うのも。……いつもなら護衛たちに咎められて絶対に出来ない行為。
それを堂々と行える楽しさに、アウネリアはいたくご満悦だった。
エイリスとアウネリアはしばらく空の散歩を楽しんだ後、湖の対岸へと着地し再度観光を楽しんでいた。
この町は先ほどまでいた湖畔町と対になるような形で存在しており、広大な湖を船で行き来している。
普通ならば数時間の船旅が必要になるため、あの兄もすぐに追ってはこられないだろう。
その数時間かかる往路を五分の一ほどの時間で優雅に踏破したアウネリアは、これも魔学を修めたものの特権よねと、得意げに笑った。
+++++
幼いころから自分には特別な眼があった。
世に流れる魔力の流れを理解し、見えざるものが見えたのだ。
良くないものもたくさん見えて、幼い頃は今とは真逆の臆病な子供として過ごしたのをよく覚えている。
だがいつからか力を使う時は瞳の色が金色へと染まるようになり、同時に制御も出来るようになった。
見えないものが見える。
瞳の力はアウネリアの探求心を刺激し……彼女が世界に溢れる未知へと手を伸ばしたのは、いわば必然。
そんなアウネリアを受け入れた魔学の数々は、何処までも彼女の心を満たしていった。
これぞ天啓。魔学は生涯を捧ぐに相応しいものであると、アウネリアは確信する。
しかしその才能を持て囃されたのは幼い間だけ。
これはアウネリア自身のせいでもあるのだが、魔学の研究に没頭する彼女は次第に周囲から浮いていった。
(ほんのちょっと、研究材料を集めていただけなのに……!)
公爵家令嬢という立場は求める物ならいくらでも手にはいるように思えたが、アウネリアが研究の過程で欲したのは魔獣の骨や臓器、血など……周囲が顔をしかめる物ばかり。
それも鮮度が命なのだから、アウネリアが欲するものを手にするためには自分で取りに行くのが手っ取り早かったのだ。
更にはそれらをいじくりまわし、研究に没頭するアウネリアの顔はとても人に見せられない喜悦に満ちたもの。
一時は悪魔憑きか、などと騒がれたものだ。
これにはさすがに周囲も黙ってはいない。
特に由緒ある三大公爵家である、コーネウリシュ家としては。
公爵令嬢に相応しくあれと、アウネリアの魔学に関する私物は下賤と判断された大衆恋愛小説と共に全て取り上げられた。
魔学研究機関への出入りも禁止。自宅での実験も研究も全てが禁止。禁止禁止禁止。
アウネリア、地獄のような日々の始まりである。
(しんじゃう……好きなものに囲まれてなきゃ、私、死んじゃうぅぅぅぅッ!)
何度か脱走を試みたがために、いつの間にか周りを固める護衛もお付きの者も、歴戦の戦士に入れ替わっていた。
仕方がなくせめて油断を誘おうと令嬢らしい振る舞いを身に着けていったものの、気づけば博士号の取得をしてから六年……適齢期だということで、婚約の話がいくつも舞い込み始める。
よくもまあ、周囲が顔をしかめる趣味を持つ自分に婚約など申し込んだものだと感心するアウネリア。
しかし客観的に見れば公爵家という家柄に加え、王族の血を濃く受け継いでいる見た目と美貌、幼くして博士号を取得した賢さ聡明さと……まあ特徴だけ並び立てれば好物件だ。
しばらく大人しくしていたこともあって、変わり者というデメリットを利が上回ったのだろう。
多少変わっていても結婚すればもう少し大人しくなるだろう、という目論見も透けて見える。
そんなもの、ごめんだった。
そこで考えに考えて、人生における一大決心をしたのだ。
もう国、捨てちゃおうと。
趣味と生まれた国を天秤にかけたとき、鉄塊でも乗せたのかと言わんばかりに趣味へと心が傾いた結果である。
迷う事すらしなかった。
しかし外堀を埋められてからでは遅い。
どうにか手ごろな相手を見繕って恋人、婚約者のふりをしてもらいたいが……これがなかなか難しい。
下手な相手を選べばそのまま結婚ルート、もしくはアウネリアの考えがバレて実家に弾かれる。
出来れば誰もが認める人間で、アウネリアに女としての興味が無くて、それでいて個人的に弱みを握れる人物が良い。
更に言うなら大好きな小説に出てくるような、銀雪の貴公子のような見た目だとパーフェクト。
アウネリアは面食いかつ、それなりに乙女であった。
さすがにそんな都合の良い人物、居ないと考えていたのだが……。
(い、いたぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!)
ある夜会にて。
噂には聞いていたものの、その日初めて目にした魔将殺しの英雄は正にアウネリアの理想だった。
見た目だけではない。
……その実力を見極めようと魂の色を見ようとしたところ、とんでもない事実が発覚した。
(あれって……勇者エディルハルト様じゃない!?)
若く美しい男に重なるように見えた魂の形は、本体とは異なる姿をしていた。
白髪をなでつけ深い年月が皺として刻まれた、鋭い瞳を持つ老練なる戦士。
……その横顔に、アウネリアは目を奪われたのである。
――――かっこ、いい
その魂の輝きは、一瞬で少女の心を掴んだのだ。
そしてこれまで城の禁書を含めて様々な書物を読み漁ってきたアウネリアは、瞬時に理解する。
若くして魔将を単騎で倒せる実力。
禁術たる転生の儀を見破るには魂の姿を暴くべし(アウネリアと違い通常は高度な魔術が必要)、という書物の記述。
(勇者様は……転生の儀を使われたのだわ!)
その理由は分からない。
勇者といえど死ぬのが怖かったのか、それともなにか重要な使命のために生まれ変わったのか。
しかし勇者が使命を携えて生まれ変わったのなら、誰も知らないのはおかしい。
つまり、なにか後ろめたい事があるに違いない!
(弱み……にぎってしまったわーー!?)
天才と持て囃された頭脳が無駄によい回転をし、研究素材のためなら自ら冒険へと乗り出す積極性がアウネリアの体をつき動かす。
後の事は後で考えればいい。今この機を逃すな! と。
直感だった。
気づけば「話がある」と声をかけ、初対面の元勇者……現在は英雄と名高い氷樹の貴公子エイリス・グランバリエを、夜の庭園へと連れ出していた。
そして。
「婚約破棄を前提にわたくしとお付き合いしてください!」
気づけば、そんなトンチンカンな告白をしていたのだった。
+++++
「…………」
あれから早くも数か月。
婚約の手回しや発表する場を整えたりで、ろくに二人きりで会えない中。思い切ってエイリスの家を訪ねた所……思いがけず、こうして小旅行の運びとなった。
最初は一人で行く気らしかったエイリスに無理矢理ついてきた身ではあるが、もうこれは結婚していないが新婚旅行も同義なのでは? と、出発前夜は眠れぬ夜を過ごしたアウネリアである。
アウネリアは偽装婚約の相手を横目にちらっと見上げた。
見事な銀髪を撫でつけたその美丈夫は、お忍び用の目立たない服でも周囲の視線を集めている。(ちなみにそれはアウネリアもである)
だがその怜悧な美貌は先ほどまでの取り繕った氷樹の貴公子から一変。現在は食べ歩きグルメに舌鼓をうち、相好を崩していた。
(かわいいわ……)
つい見惚れて呆けるが、すぐに持ち直してきりりと顔を引き締める。顔の赤身も気合で無理やり引っ込めた。
あくまで自分は彼を振り回す、傲慢でわがままなお嬢様なのだ。
アウネリアが「塩気強めの態度で」とお願いしたのは、なにも作戦のためだけではない。
……アウネリア自身が、身をわきまえるためである。
(勇者様はご結婚されていた。だからきっと、エイリスもきっと誰とも添い遂げる気はない。そもそも相手になんてされないわ。……当然よね。この方にとっては私たちのような年齢、みんな孫にしか見えないでしょう)
昨日知り合ったばかりのエイリス……もとい勇者エディルハルトの実のひ孫であるリメリエ・シュプレーを思い出す。
大好きな作品の作家だった上に思いがけず友人となれた彼女だったが、彼女と接するエイリスの態度は正に祖父。
リメリエに聞こえない所でこっそりと「わしのひ孫、可愛いじゃろ~」と自慢してくるほどだ。ちなみにこの見た目にそぐわぬジジイ口調に最初こそ驚いたが、今ではもうすっかり慣れてしまっている。
おそらくだが、エイリスはアウネリアに対しても似たような認識である。
ついついなんでも許してくれるエイリスに甘えて子供っぽい態度をとってしまうのも、それに拍車をかけている気がした。
(ううう……! だってだって、心地よいんですもの~! 諫めてくることはあっても基本甘やかしてくれるし、私の趣味自体を否定したりしないし……! 弱みに付け込んで無理やり巻き込んだのに、私のこと嫌ってなさそうだしーーーー! どこまで心が広いのよ!?)
本当はもっと大人の女性として振舞いたい。
されども今の距離が心地よく、なかなかそうは出来ないのだ。
少しのお預け期間もあった分、近くに居るだけで嬉しく楽しく、浮かれてしまうのもまた要因の一つである。
(しかもしかも、今の体も元のお姿もかっこいいなんて反則だわ! 二倍! 二倍よ!! 二倍お得! それにリメリエ以外は素の性格知っているのって私くらいでしょ!? だからこんな可愛い顔見せてくれるのも、今のところ私の特権ってことで……! うわぁぁぁぁんっ! こんなの……こんなの!)
声に出そうになるのをぐっと拳を握ってこらえ、アウネリアは心の中で思い切り、叫んだ。
(好きにならない方がおかしいわよーーーー!)
公爵令嬢アウネリア・コーネウリシュ。
彼女はエイリス・グランバリエに惚れていた。
アウネリアが思いついた円滑的な婚約破棄。
それさえ成し遂げればこの想いにも決着をつけられる。国外へ旅立てば……きっといい思い出になるはずだ。
だからこそ準備を整える期間に、せめて想い人と過ごす時間を大事にしたかった。
大丈夫だ問題ない。
アウネリアが心に隠した気持ち以外は、全て本心、本気。よどみなく婚約破棄作戦を実行する予定だ。
この秘密さえ知られなければ、きっと最後までよい関係でいられる。
だってエイリスはとても優しいのだから。
リメリアという正ヒロインを演じてくれる素晴らしい協力者も出来た。
……エイリスを祖父と知らず恋していた彼女には共感と同情を覚えるが、真実を知った今……彼女にとってエイリスは曾祖父! 万が一でも演技が本当になってくっつく心配もない。
この恋が叶わなくとも、エイリスが誰とも結婚しないのならば……まだこの心は救われる。
そう己に言い聞かせて、アウネリアはこの束の間の時間を目いっぱい楽しむことにしていた。
……していた、のだが。
デートを楽しんだあと、そろそろ戻らねば護衛たちの心労が増すというエイリスの言葉に帰路へとついた二人。
来た時と同じように湖の上を飛行して帰っている途中、"それ"を発見してしまった。
「! エイリス、あれは何かしら!?」
「ん? あ~。あれか。あれはのう、湖の底に沈んでいる迷宮への入り口じゃよ」
「湖の底に!?」
眼下に見えるのは湖にぽっかりと口を開けた真っ黒な穴。
来るときは無かったものだ。
「迷宮? あれが?」
「ああ。たまにあるんじゃよ。潮の満ち引きのように特定の時間に現われる不可思議な入り口が。でも危険じゃから、ほれ。地元の船はみんな避けて通っておるじゃろ?」
「本当ね……」
湖には対岸と対岸を行き来する船の他、湖の魚をとる漁船や観光用の遊覧船も浮かんでいる。だがそれら全てが穴を避けて通っていた。
おそらくこれは以前から存在して、地元ではお馴染みの光景なのだろう。
「~~~~! なんだかすっごく、わくわくするわね……! コーネウリシュが管理する土地の一つだというのに、知らなかったなんて恥ずかしいわ」
「おぬしがワクワクしちゃうから、みんな黙っておったのではないか?」
「そんな! ずるい!」
「ずるいって、アウネリア……。これもおぬしの日ごろの行いが」
「……これも視察といえば、視察よね? 公爵家の務め的な……」
「……アウネリア?」
なにやら不穏な気配を感じたらしいエイリスがアウネリアの顔を窺うように見る。
かくして、その予想は当たった。
「ちょっとだけ! エイリス、ちょっとだけよ! 今から迷宮の視察に向かうわよ!」
「はぁ!? 駄目に決まって……ぬおおおぉぉぉぉぉぉ!?」
エイリスの制止も空しく、飛行に使用していた魔法を解除するアウネリア。
そうなれば一直線に湖へ落ちていくのみである。
そして、その少しあと。
珍しい迷宮魔物に目の色を変えて突っ込んでいったアウネリアに変わり、追い抜いてそれを一刀のもとに切り伏せたエイリス。
お互い魔物の返り血でドロドロになったが、その血の珍しい色に再びアウネリアが歓喜。
魔物の体に手を突っ込み内臓をかき回して引きずり出し、エイリスが「荷物なんて自分で持つ必要ないのに、なぜいつも身に着けているんじゃろう?」と気になっていた空のカバンに突っ込んだ。
今回の事でエイリスは理解した。
アウネリアがあわよくばこの貴重な外出の中で、素材の採取を狙っていたことを。
更には血の採取に必要だからとエイリスに密閉容器をねだった所で……非常に今さらながら、アウネリアは我に返った。
現在はお説教の真っ最中である。
「ごめん……なさい」
「まったく! もう少し危機感というものをじゃな……!」
アウネリアはこの日初めて正座というものをして、好きな人に説教されるという一生消えない黒歴史を生成した。
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