第3話▷円滑的婚約破棄大作戦

 グランバリエ伯爵家に養子入りしておるわしじゃが、今のところ一人暮らしをしておる。

 父上母上には「私は未熟な若輩者。伯爵家という過分な身分に奢ることもままあるでしょう。ですから己を律するため、今しばらくは単身での生活を続けたく存じます」とかなんとか言って言いくるめたわい。


 ものすごく残念そうにされたが。




 そのため黙っていても茶が出てくるということもなく、婚約者殿をリビングに待たせて茶葉を探していたわけじゃが……。


「あ、私のことは気にしなくていいわ。続けて?」

「……待っていてくれと、お頼みしたんじゃがなぁ……」

「だって退屈なんだもの」


 茶を淹れる時間もじっとしていられないとは、幼児かな?


 アウネリアはカルガモのように厨房へ向かうわしについてくると、茶器や菓子を用意するわしを横から覗き込んだり、興味深そうに周囲への視線をさ迷わせていた。

 その様子は好奇心旺盛な子猫にも見えて、彼女を例えるのに「子供」や「小動物」の例があとからあとから出てきそうで苦笑する。

 微笑ましいもんじゃ。

 とても魔王の生まれ変わりには思えない。


 彼女と始めて相対した時は気を張って内心まで外面に合わせていたが、今ではもうすっかり仮面は剥げてしまっている。


「……一人で住んでいる割に広いのね。ここも立派な厨房だわ。ねえ、今度研究材料を持ち込んでいいかしら!? ここなら大鍋が火にかけられるわ!」

「やめてくだされ。ここは料理を作る場所。食材以外を煮られてはかなわん」

「ええ~?」


 残念そうに眉尻を下げるアウネリアを「これ」と小突いて、用意したティーセットをトレイに乗せて運ぶ。

 アウネリアには菓子の入ったバスケットを持たせた。


「一人で暮らすにしても、伯爵家の外聞があるからの。あまりこじんまりしたところも選べなんだ。さすがに掃除だけは七日に一度、人に入ってもらっておるよ」

「へぇ~。いいな、私もこんな暮らしをしてみたい」

「ふっふっふ。気楽でええぞ。それが目的じゃからな」


 言いながらアウネリアの前にだけ茶を用意し、わしはにやりと笑って酒瓶を取り出した。

 小娘の来訪ごときでわしの今日の予定は崩せんのじゃ!


「ああー! お酒! 昼間から飲むなんて……!」

「いいじゃろ~。年寄りの数少ない楽しみじゃわい」

「…………。薄々感じていたけど、あなたって世間の評判とは真逆の性格をしているのね。勇者様像の方も崩れたわ」

「何とでも言え。バレたからには取り繕っててもいいことないじゃろ」

「ふぅん。まっ、私は嫌いではないけれど」

「……普段のは、かつての友を真似てるだけじゃよ。わしにとって一番かっこいい男は、あいつだったからのぅ」


 今朝その友を夢で見たこともあって、少し感傷に浸る。


 貴族になったからには婚姻もまた仕事となるが、わしにその気は無かった。

 だから出来るだけ人を寄せ付けない仮面キャラを被ろうと選んだのが、身内以外にはひどく冷徹に思われていた友を真似る事。

 嫌われるような性格では伯爵家の顔に泥を塗るからの。

 かっこよくて、だけど近寄りがたい。そんなキャラを考えていたら行きついたのは、"氷の君"と呼ばれていた友じゃった。


 そして目論見は成功。「氷樹の貴公子」などという、友と似た二つ名で呼ばれるようになった。

 あれ、ちと恥ずかしいんだがの。



 ……結局、そのキャラ空しくのっぴきならない事情で婚約などしてしまったが。



「……友、かぁ。いいわね。私、お友達っていないのよ」

「いきなり悲しい事を言うな! じゃったらわしが友達になってやる!」

「わっ、涙ぐまないでよ!? やぁね年寄りは、涙もろくて。……それに友達って。あなたは婚約者でしょ!」

「じゃが……」

「いいの! こんな身分でこんな趣味。早々に心を許せる友達なんて、見つかるなんて思ってないわ。それにどうせこの国は出るつもりだし、親しい相手は少ない方がいいのよ」


 そう言って一杯目の茶を豪快に飲み干したアウネリア。

 ……空になったカップが、こちらに差し出された。


「ん」

「駄目じゃ」


 大事な酒を抱き込むようにして守る。


「ケチ! 私たち、共犯でしょ? これは契りの盃というやつよ」

「共犯も何も、わしは脅されたんじゃが」

「でもあなた、結婚する気とかなかったでしょ? でなきゃその年で女の影が無いのはおかしいわ。前世の奥様に操を立ててるとか? 素敵ね。…………だから、あれよ。お互い、いい虫よけじゃないの」

「屁理屈がうまいのぉ! まったく……ちょっとだけじゃぞ」


 渋々と琥珀色の酒を注いでやると、アウネリアは嬉しそうに両手でカップを持つ。


「では、私の国外逃亡を目指して! かんぱ~い!」

「乾杯したくなくなる音頭はやめい」


 子供のようなところは好ましく微笑ましいが、やはり振り回されると体力使いそうだのう……。



 そう思いながら、わしらは酒瓶とティーカップというチグハグな器で乾杯をするのじゃった。

 












「ところでエイリス。あなた恋人つくりなさいよ」

「さっきの今でそれ言ってくるの、おかしくないじゃろうか」


 思わず酒を噴き出しそうになった。

 女の影が無い、前世の妻に操を立ててるのか。そう口にしたのは嬢ちゃんのはずなんじゃが!?


「フリでもいいのよ、フリでも」

「今も嘘ついてるのに更にそれを重ねろと!?」

「だって貴方に迷惑をかけない、円滑な婚約破棄に必要なんだものー。そうねぇ……出来れば、す~ごく守ってあげたくなっちゃうような、可愛くて儚くて性格がすごくいい子がいいわ!」

「その上で相手を注文して来るのか!?」

「ええ!」


 いい返事が返ってきた。それだけ評価するなら花丸である。


 ……今後の方針を決めると言っていたから、その関係なんじゃろうが。

 もっとこう、前置くとか言葉を選ぶとかの配慮がほしい。


 眉間をもみほぐしながら、ともかく話を聞かねば始まらんかと続きを促す。

 これ、付き合いを申し込まれたときと一緒じゃな。基本的にいつもペースを握られてしまう。


「……それで、嬢ちゃんが描いているシナリオは?」

「ふふんっ。よくぞ聞いてくれたわ! この天才アウネリアが考えた完璧な作戦を聞いてちょうだい!」

「わ~」


 棒読みで歓声を上げ拍手する。だってソファの上に立ち上がって舞台役者のように腕を広げるから……。

 行儀が悪いと𠮟るべきか、少し悩んだ。


「この間、私たちは婚約発表したでしょう? まず第一段階クリア! お互いの家族も祝福してくれたわ」

「すごい罪悪感じゃった」

「そして次の段階は、私が一方的にエイリスに惚れこんでいると周囲に思わせること!」

「ほう」

「だからエイリス、あなた私に塩っ気強い態度を続けなさいね。私が無理やり婚約させたって周囲に思ってもらわないといけないもの。だからあなたから私に会いに来るのも、優しくするのも無しよ。よろしくて?」

「はあ」


 …………。

 だんだんと見えて来たぞ……?


「それでね? 実はあなたには、ひそかに想い合っている女性がいたのよ!」

「唐突な身に覚えのない新登場人物キャラ生えてきたのぅ」

「公爵家の絶大な力と強引で我儘な公爵令嬢アウネリアに逆らえず、婚約を受け入れるしかなかったエイリス卿。しかし、その愛は消えなかったの! 会えなくとも彼女の事を想い続けていたわ……!」

「へえ」

「氷の仮面の裏側で、その情熱は日に日に増していく! ……あ、これまで恋人がいることがバレなかったのは、その氷のような表情と身分差とかなにか事情があって意図的に隠していたとかそういう設定にするから、相手が決まったら一緒に考えましょうね」

「わしも考えるの!?」

「そして!」

「!」

「ある日、運命の再会! 夜会で偶然にも出会い、ダンスをしてつかの間の逢瀬を楽しむ二人……けど、それをこの私アウネリアが見逃さなかった! 二人の間にある絆を見て嫉妬する私! その嫉妬心はエイリスの元恋人へ向かう!」

「ほあ~」


 段々と熱の入っていく語り口に、さっきからツッコミと「へえ、はあ、ほお」みたいな気の抜けた声しか出ない。


「そして私は、完全に二人の仲を切り裂くべく! おぞましい禁術を用いてエイリス元恋人を殺そうとする! 押さえられる現場! 衆目の中で醜く叫ぶ私! エイリスと元恋人へ向かう周囲の同情!」

「おおう……」


 そこまで言い切ると、アウネリアは「どう?」とばかりに自信満々の顔でわしを見て来た。


「この流れでの婚約破棄なら、貴方に罪は問われない。迷惑かけない! 完璧でしょう!? 完璧な円滑的婚約破棄! ついでに私は禁術の罪で国外追放をもぎ取れたら万々歳! 合法的に国外逃亡出来るって寸法よ! 作戦決行までは婚約のおかげで露払いと油断も誘えるし……一石二鳥すぎて我ながら己が頭脳が怖いわ……! ふふふふふふ」


 合法とか円滑って、どんな意味じゃったっけ……。

 あと国外追放をもぎ取るって、何? そんな喜んでもぐもの?

 それにこれで婚約破棄が上手く行っても、そのあとわしは恋人(偽)と結ばれなかったら疑問に思われない……?

 少し聞いただけでも、完璧どころか穴だらけの作戦じゃ。

 この子、魔学の才能はあってもそれ以外はてんでダメなのではないか?




 しかし、ひとつ分かった事がある。




「……アウネリア。おぬし、大衆恋愛小説にドはまりしている口じゃな?」

「!?」


 アウネリアが固まった。


「な、な、なん、なんの……こと、かしらぁあ!?」

「声、裏返っておるぞ」


 指摘しつつわしは本棚へ向かい、一冊の本を取り出してアウネリアに投げよこす。

 それを器用にもしっかり受け取ったアウネリアは、表紙を見て衝撃を受けた様に大声をあげた。


「こ、これはーーーー!? 【伯爵と蜜月~身分差を超えた溺愛。愛されすぎて困ってます!~】の初版本!? え、うそ! しかも作者のサイン入りですって!?」


 次いで向けられたのは……喜色で彩られた、宝石箱のような視線。


「あなた、こういうの読むの!? え、え、しかもこれはかなりのマニアじゃない! だってこの方が有名になる前の処女作よ! うそー! あの氷の貴公子が!? 勇者様の生まれ変わりが私と同じ趣味!? きゃー! これは運命よ! 私の同志としてますます相応しいわー! ねえねえ、どの話が好き!? 私ねー、既刊は全部集めたの! でもさすがに隠しておけなくて、全部取り上げられちゃって……! 魔学の研究はやめろというし好きなものは読むなと言うし、本当に貴族って不自由だわ! これを初めて読んだ時、私がどれだけ衝撃を受けたか……! あーもう、作戦会議の続きはまた今度にしましょう! 今日は恋愛小説を語る会の開催! はい決定! ほか、他は!? なにがあるの!? こんなぺろっと貴重な本が出てくるんですもの! 他にもあるでしょう!? 早く出してくださいな! ねえ早く! は~や~く~!」

「ま、待っ、待って。待ちなされ! 胸倉を掴んで揺さぶるんじゃない! 近い!」


 好きなんだろうな~と予想はしていたが、思った以上に効果覿面じゃった。

 怖いくらいに圧が強い。


 しかし彼女がどれだけ趣味を愛しているかは存分に伝わってきた。

 ……なるほど。魔学と小説。大好きな趣味をふたつも取り上げられるとあって、国外逃亡などと突拍子もない事を……。

 それにしたって思い切りが良すぎるが、本当に趣味で生きてる子なんじゃな……。






 数分後。






「失礼したわ」

「あ、ハイ」


 なんとか落ち着かせると、先ほどの自分の態度が恥ずかしかったのか。真っ赤になって冷めた茶で喉を潤すアウネリア。

 ……すんっと澄ましているように見えるが、声も震えておる。

 ただ時折わしの答えを気にするように、チラッチラッと視線を向けてくるのは微笑ましい。

 よほど好きなものを語れる相手が欲しかったんじゃなぁ……。

 友達、居ないと言っておったし。



 苦笑すると、わしは種明かしをすることにした。



「……すまんの。わしはこれを読んだことはあるが、自分で買ったわけではないんじゃ」

「え……そうなの……」


 聞くなり途端に耳を垂れさせた犬のように落ち込むアウネリア。少しばかり罪悪感を覚える。

 じゃがわしは同好の士とはなれずとも……それになりえる人物を紹介することは可能だ。

 ついでにアウネリアの無茶なオーダーにも応えることも、もしかすれば……。


「あ~……それでじゃな? これを手に入れた経緯なんじゃが……。その、作者と知り合いで……」

「!!」


 ガタっと音を立ててアウネリアが立った。落ち着け。茶がこぼれるぞ。







「ついでに言うと、ひ孫なんじゃよね。偽の真の恋人役、頼めば引き受けてくれるかもしれんぞ?」













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