追憶

寿甘

あの日の君に

 視界が白に染まっている。今日は今年一番の寒さだという。何でも十年に一度の大寒波がやってきているとか。そんな状況でも仕事は休みになることもなく、可能な限りの防寒装備に身を包んで襲い来る横殴りの雪に逆らいながら道を進む。


「さむーい!」


 白く染まった世界の向こうで、元気のいい子供の声が聞こえた。登校中の小学生といったところか。いくら子供は風の子などと言われていても、この雪の中を走り回るのは危険ではないか。幸い、足元は柔らかい新雪に覆われていて、足を滑らせて転ぶということもなさそうだ。


 男女二人組だろうか。幼い少子供達の声はどんどん近づいてきて、そろそろ行き違う頃かと思ったその時、白の世界で鮮やかに咲く真っ赤な薔薇が現れた。


 ああ、懐かしいものを見た。途端に遠く過ぎ去ったあの日々の光景が、瞼の裏に蘇る。


「寒いねー」


「ねー」


 雪の降る中、二人並んで歩く。笑いながら手をこすり合せ、顔の前に持ってきて息を吐きかけたりする。その頬っぺたは、寒さで赤く染まっていた。何となくその辺の台に積もった雪を掴んで、ボールのようにして、また真っ白な地面を目掛けて投げつけた。そんな意味のない行動にも、二人して大笑いをしていた日々。


 あの頃の僕達は、将来のことなんて何も考えずに『今』を生きていた。目に映る全てが新鮮で、でもどこか恐ろしくて。世界を広げるためにほんの少しだけ足を踏み出すことも、とてつもない大冒険に感じた。隣を歩く友達には男も女もなく、共に冒険の世界を生きる戦友だった。


 いつからだろうか、あの赤く染まった頬を直視するのが恥ずかしいと感じるようになったのは。


 先に態度を変えたのはあの子の方だ。子供の成長は女の方が早いから、男の子と二人で歩くのが気恥ずかしく感じたのだろう。他の女の子と遊ぶようになったあの子に、僕は置いていかれたような気持ちになった。それで、こちらも負けじと男友達と一緒に遊ぶようになり、いつの間にか顔を合わせたら挨拶をする程度の距離感になっていた。


 あの時、置いていかないでと伝えていたら。


 あるいはあの時、遊びに誘っていたら。


 そんなことを考えながら見知らぬ二人の子供を見送って、また職場への道を歩き出す。本当に凄い雪だ。歩いて行ける距離に職場が無かったら、間違いなく休みを取っていた。


 だが、こんな雪の中を歩いてでも職場には行く価値がある。仕事がしたいからではない。そんな間違った使命感はとうの昔に消え失せた。いや嘘だ。最初からそんなものはない。私が何としても出勤したい理由はただ一つ。


「おはようございまーす!」


「おはよう、凄い雪だね」


 笑顔で挨拶を交わす。私と同じく雪の中を歩いて出勤してきた証拠に、赤く染まった頬。彼女は同じ職場の同僚で、私が何としてでも出勤したい理由だ。先日交際を申し込み、OKを貰った。要するに付き合い始めの彼女だ。


 結局女の子と仲良くしているじゃないか、と怒られるだろうか。あるいは、あの時のように無邪気な笑顔で応援してくれるだろうか。


 瞼の裏の、あの日の君に。


 いつか、会いに行く時は沢山の楽しいみやげ話を持っていけるといいな。そう願いつつ、世界を白く染めようとする雲を見上げた。

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追憶 寿甘 @aderans

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