第五頁 多元統制境界線ラインホルトゥス

 界刻はひさしぶりに訪れた全ての世界にとって境界線に当たる空間。

 数多の並行世界の通路と評していい場所。

 その名も、多元たげん統制とうせい境界線きょうかいせん……通称、ラインホルトゥス。

 時に人の語る夢や御伽噺の道と言われ、

 数多の自分の可能性を知れる路地裏とされ、

 本来ならばただの一般人には訪れない理想郷ともされ、

 己を顧みる鏡を見つめる行為と等しい残酷な現実を突きつけてくる園へ道筋。

 とある司書の知るラインホルトゥスの総評はそうらしい。


「……変わってないな」


 作家は小さく囁く。

 彼女には他の並行世界に入らないようにするなら問題ないと言われたので、ただ通路を通るという空しい行為しか許されないが……学生時代の自分を呪うしかない。

 自分の踏みしめる道は青紫色の輝きがわずかに見える。

 宇宙の具現とも表現してもいいこの世界に、彼の胸はおどろおどろしい熱がくすぶっている。それは、一人の少女が死んだ、あの光景を見てからずっとだ。

 あの事故がなければ、俺は本格的に作家を目指すこともなかっただろう。

 自殺を図ろうとしたことなら何度もある。

 薬も、縄も、いろいろ試したが家族に止められた。

 結果的に死ぬことができなかったけれど。

 だが、それでも俺の絶望を。激情を形にできるのならばと。

 彼女の思いを綴った物語を、俺が生きている限り永遠に捧げ続けるのだと。

 俺の死を捧げられない代わりに君への思いを、誰かに訴えることができたらと。


 ――ホントウニ?


「――、」


 御神渡界刻は自分の口に手を当てる。

 頭に映像が浮かんだ。死んだ彼女が、花束を持って俺に微笑んでいる様を。

 顔が浮かばなかった。口角だけ、誰かに向けて微笑んでいる彼女の様を。

 彼女は、生きていたら俺になんと言ってくれるだろうか。結ばれた恋人同士でもないのに、そんな感傷に浸るのはいけないことだとわかってる。

 自分のために俺は作家を目指す道を選んだ。

 今は、金がないとやっていられない。純粋な理由で彼女のために物語を描いているかと言われたら、今の自分にはわからない。

 それでも、俺は彼女の笑顔を、もう一度。

 ただ、もう一度。


「……ああ、」


 嗚咽と共に漏れる息が、溺死寸前にも似た自分の脳をより苛める。

 苦しいと嘆くことは、許されないのなら。

 せめて、物語で、君を愛せたのなら。

 君を、描けたのなら。

 

「俺を、許さないでくれ――――千鶴」


 ――永遠に、俺を呪って首を絞めてくれ。愛しい人。


 一人の男は悲痛にも似た声を絞り出す。


【……ミツケタ】


 懺悔も贖罪も、彼は永遠に許されないと気づいているからこそ黒い影は彼の胸の内に零れる孤独な独白に惹かれた。


「!? なんだ!?」

【ヤット、ミツ、ケタ……ヤット、ヤット】

「何なんだ……?」


 黒い影、いいや黒焦げた女性の遺体、と言われたら一番連想しやすい。

 唯一の違いは、焦げた臭いではなく、インクの臭いがする程度。

 触れている彼女の手から文字が漏れている……なんだ? この化け物は。

 襲い掛かってくる様子もない。

 ラインホルトゥスは並行世界と現実世界を繋ぐ通路なだけじゃないのか?

 もしかして、サヤが何か黙っていた?

 いいや、そんなことはないはず。


【……ワタシハ、ムボウ、ショウジョ】

「ムボウ……もしかして、あの無貌少女むぼうしょうじょか? 都市伝説の?」


 聞いたことがある。

 無貌少女むぼうしょうじょとは、都市伝説の怪異。

 本来の彼女は人々の噂で生まれたとある怪異だ。彼女は現代の作家たちが面白半分で考えた創作やちゃんねらーの人々のからの噂話うわさばなしで成り立っている。

 主人公と結ばれるために創作されたヒロインである名も無き少女。

 ネットでは、あだ名は透明姫と乗っているのは目にしたことがある。

 その少女が怪異となって、主人公に恋し愛そうとする。そして主人公が死ぬまでずっと面倒を見て最期は主人公と心中するも、自分が既に怪異となっていたからその程度では死ねず、来世の主人公とまた恋をし同じ行為を……と、言う話が元だとか。

 形が焼死体みたいなのは、作者に外見設定の補正がないから、とかか?


【……ナマエ、ヲ】

「名前って、なんで俺が、」

【アナタガ、イイ】


 もし、この怪異を名前を与えたらどうなる?

 コイツに名前を与えて、襲ってこない可能性は?


【ガァアアアアアアアアアアアアア!!】

「な、なんだ!?」


 ミノタウロスに似た化け物が、咆哮ほうこうを上げている。


【ナマエ、ヲ】

「……助けてくれるのか?」

【ナマエヲ、クレルナラ】


 今はことを要する。

 名前なら、何がいい。無貌少女、という怪異なんだよなコイツは。

 というか、名前を付けたらコイツの外見も決まるのか?

 だが、今はコトを要する。つまり先に名前を考えよう。

 なら、名前は――俺がいまだ、未発表のヒロインの名前を採用してやろうじゃないか。透明姫という彼女の名とたまたま被るのは癪だが、しかたない


唯是ゆいぜ唯是透姫ゆいぜとき……それが、お前の名前だ。無貌少女」

【……リョウショウ】


 焼死体の女は俺に唇に口をあてがってきた。

 彼女の白髪が舞い、肌が白く染まっていく。

 整った鼻筋も、長い睫毛も、目の前で無貌少女という女は己の体を作り変えていた。白いゴスロリのドレスのレースが揺れる。

 彼女の首輪にある金色の南京錠が揺れる。

 ふと、閉じられていた瞼から銀色の死んだ目が俺を捕らえる。


「――契約成立ですわ、旦那様」

「……は?」


 界刻は固まる。旦那様と呼ばせる設定はしてないんだが?

 目の前の焼死体に等しい体だった彼女は、普通の美少女のように微笑んでいるではないか。若干、王道なヒロインというよりもサブヒロイン感がある。

 いいや、サブヒロインよりも、敵キャラとかのヤンデレ女子感ある見た目だが。しかもファーストキスを、初恋でも何でもなければ怪異の女に奪われてしまうだなんて想像できるだろうか。


「我が鎖は祖に捧げる一端へ、ことわりの生で縛り汝の像を結ぶ」


 彼女が言霊を紡ぐと、体に体に何か力が溢れてくる感覚を抱く。

 白い煌めきが俺と彼女が包んだかと思うと、彼女の首元の南京錠は解かれ、彼女の体が透明化していく。


「な、なんだ!?」

『彼の者に捧ぐ像となりて、我が武装は顕現する――――灰塵の消剣キカトリックス


 界刻の体にすそがボロボロな白いローブ。

 目元だけの烏に似た白の仮面。

 気が付けば彼の利き手に星の煌きを体現した剣が握られている。

 灰塵の消剣キカトリックスと、相棒は言ったが何か関係があるのか?

 背後に全裸の彼女が映って見える。


【さぁ、旦那様。害虫駆除しましょう】

「なんで透けてる? というかなんで全裸!?」

【精神体なので】

「どういう理屈だよ!?」


 というか、なんで俺の知り合いのイラストレイターが描いた女の見た目してんだ!? こいつ!?


【旦那様、戦闘態勢に入らなければ、死にますよ】

「っ、なんだかわからないが、やればいいんだろ? 後で、お仕置きだからな。メアリー!!」

【唯是透姫です】


 界刻は吠えると目の前にいる怪物に剣を構えた。

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